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いつも元気、いまも現役(最高齢プロゴルファー 内田 棟さん)

公開日:2020年2月28日 09時00分
更新日:2021年2月18日 11時45分

100歳のプロゴルファー軽井沢にあり

 全国から多くの観光客が訪れる避暑地、長野県軽井沢。ここに最高齢100歳のプロゴルファー、内田 棟(むなぎ)さんが住んでいる。お会いして早々に握手をお願いした。握り返す力、骨太な腕はまったく年齢を感じさせない。

 今は腰を痛めているため、コースでのラウンドを控えているが、数年前までは年間60ラウンドをこなしていた。体調が復活したらいつでもプレーを再開できるように、自宅では毎日150球のパター練習と足腰強化のトレーニングを欠かさない。

 内田さんは軽井沢生まれの軽井沢育ち。昭和元年、10歳の頃、キャディーのアルバイトを始めたのがゴルフとの出会い。家計の助けに始めたアルバイトだったが、もう1つ、「ロストボールがほしかった」という少年らしい目的もあった。

 20歳で陸軍に入隊。20歳代の10年間を戦地で過ごした。満州、釜山(プサン)へ赴き、最後は陸軍曹長として高雄(たかお)で終戦を迎えた。

 終戦後は軽井沢ゴルフ倶楽部に職を得た。軽井沢ゴルフ倶楽部は皇族や政財界の実力者など、名士と呼ばれる人が集まる会員制のクラブだ。内田さんはキャディーマスター(キャディーの指導やスケジュール調整など管理の仕事をする人)をしながら、会員のゴルフレッスンも担当した。「内田さんが教えた人はフォームがきれいだから、すぐわかる」と言われるほど、丁寧で的確なレッスンはとても評判がよかった。

写真1:インタビュアー内田さんが10歳の頃旧軽井沢ゴルフ倶楽部にてキャディーのアルバイトをする様子を表す写真。
旧軽井沢ゴルフ倶楽部でキャディーのアルバイトをする10歳の内田さん(右端)

一流の人はゴルフでムダ口をたたかない

 内田さんがレッスンを担当したのは、田中角栄氏、佐藤栄作氏、天皇陛下の弟宮の常陸宮(ひたちのみや)様など、錚錚(そうそう)たる顔ぶれ。「田中角栄さんは他の人にはそうではなかったみたいだけど、私にはとても気さくな方でした。失敗してもさっぱりしていてクヨクヨしない。佐藤栄作さんは朝早すぎるくらい早く来て、パターの練習を黙々としていました。プレー中はもの静かで、ゴルフのことは質問するけれど、むずかしいことは何も言わない方でした」

 一流とされる人に接して気づいたことは、「ゴルフでムダ口をたたかない」「何事にも動じない」ということ。プレーにその人そのものが表れると内田さんは言う。

 「常陸宮殿下はプレーの最中に突然どこかに行かれてしまう。居場所は14番ティグランドの脇にある美智子皇后のご実家、正田家の別荘。殿下はいつもそこにティータイムに寄られる。警察も付き人も『殿下がいない』と大慌て。私は居場所を知っているので、正田家までお迎えに行って、殿下をバイクの後ろに乗せて、ゴルフハウスまでお送りしました。殿下は『これ、速いのですね』と驚いていましたね。バイクに乗られたことなどなかったのでしょう」

 軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長を務めた白洲次郎さんも内田さんに信頼を寄せていた1人。「白洲さんは非常に細かい人で"お小言"が多かったです」。どんなに名士であっても、マナーを守らない人には"カミナリおやじ"のような存在だった。

 「一般のお客さんも従業員も白洲さんの姿を見ると隠れてしまうくらい(笑)。でもなぜか私は気に入られていて、白洲さんを毎朝ジープに乗せて、18ホールのコースチェックをするのが日課でした。朝、ハウスに来て私がいないと『内田はどこだ!』と周りをせかすので、落ち着いてトイレにも行けませんでした」と苦笑いの内田さん。

写真2:インタビュアー内田さんがゴルフをする様子を表す写真。
90歳でエージシュート達成。44・46=90のスコア。エージシュートは自身の年齢以下の打数でホールアウトすること

55歳でプロテスト一発合格

 周りの勧めもあり、プロテストを受けたのは55歳のとき。もちろん結果は一発合格。試験官から「これだけ上手な人間が、なぜもっと早くテストを受けなかったのか」と言われたという。

 プロゴルファーの資格には、「ツアープロ」と「レッスンプロ」の2種類があるが、内田さんが取得したのは後者のレッスンプロ。プロになったときにはトーナメントではすでにシニアの枠だったため、レギュラーツアーには出場せずに、シニアツアーからの出場だった。内田さんはゴルフレッスンも受け持ちながら、トーナメント出場するという形で活躍した。

 最高成績は57歳のときに出場した日本プロゴルフシニア選手権での3位。「その頃は"シニア"じゃなく"セニヤ"といいました。なんと賞品はこの日本刀。刃入れはしていませんが、かなり重い日本刀です」と豪快に刀を構えてみせる。

 政財界の大物と呼ばれる人たちにも評判だった内田さんのレッスン。ここでゴルフの極意をうかがった。

 「パターにもドライバーにも共通するのですが、『呼吸を止めること』が一番のコツ。生徒さんに『呼吸を止めて躊躇(ちゅうちょ)することなく打つように』と指導すると、すぐにうまく打てるようになりますね」。陸軍曹長として射撃を指導していた経験がヒントになった。射撃でも呼吸をしながら撃つと、銃口が震えてブレる。ゴルフでも同じ原理だと考えた。

 自宅にはゴルフクラブの調整や修理をする作業部屋がある。以前はレッスンしていた生徒やゴルフ場からの修理や調整の依頼も多く受けていた。手先の器用さは木挽(こび)き(製板職人)だった父親譲り。「パターの裏に穴を開けてロウ詰めをして、バランスの調整は自分で全部しています。毎日クラブのチェックは欠かしません。プロとして道具を大切にすることは当然のことです」。作業部屋にいると時間を忘れるほど楽しく、内田さんにとって大切な時間だ。

写真3:自宅でパターの練習に励む内田さんの様子を表す写真。
「パターの極意は呼吸を止めて打つこと」。愛犬チャコをギャラリーにパターの練習に励む

親子2代でゴールドシニア選手権出場

 内田袈裟彦(けさひこ)プロ(故人)は初代シニア賞金王。袈裟彦さんは内田さんの長男だ。袈裟彦さんは内田さんよりも10年ほど前にツアープロになっていた。内田さんが袈裟彦さんにゴルフの手ほどきをしたのかと思いきや、そうではない。

 袈裟彦さんは生まれた頃から自宅の目の前にゴルフ場がある環境で育ち、キャディーのアルバイトをしていたのは父親と同じだ。

 ある日、軽井沢ゴルフ倶楽部の従業員のゴルフコンペのトーナメント表に息子の名前を発見し、内田さんはとても驚いたのだという。そのときの様子を娘のとも子さんが語る。「そのゴルフコンペで、兄の袈裟彦があまりにいいスコアで上がってきたので、どうしてこんなに上手なのか、となったそうです。それは父のクラブを無許可で使用して、隠れて練習をしていたからです」

 その後、袈裟彦さんは製薬会社勤務を辞め、プロゴルファーをめざすことを宣言。袈裟彦さんはプロテスト史上初のホールインワンを出し、3度目の挑戦で見事ツアープロとなった。

 「父と兄は親子でもゴルフのスタイルはまったく違う」と、とも子さんは言う。「兄のゴルフは豪快でした。いわゆる飛ばし屋で、ドライバーを持つとゴンと音がするので、"ケサゴン"というニックネームをつけられていました。父は正確で浮き沈みなく淡々としたプレー。トラブルがあっても、焦った顔を見せない。冷静で切り替えが上手です。父と兄はお互いのゴルフスタイルを認め合っていたと思います」

 親子で初めて一緒に出場した試合は、内田さん89歳、袈裟彦さん68歳のときのゴールドシニア選手権。一緒にラウンドしたのはこの試合が1度だけだった。

写真4:内田さんと内田さんの長男である内田袈裟彦プロのツーショット写真。
袈裟彦さん(左)と内田さん。親子2代でゴールドシニア選手権出場

好きなゴルフと食事が元気の源

 これまでに内田さんは2度のがんに見舞われ、大きな手術を3度経験している。1度目は66歳のときに膀胱がんで手術。その10年後に患部が癒着して2度目の手術を受けた。

 さらに94歳のときには直腸がんが見つかった。腹腔鏡手術の予定が急きょ開腹手術になり、14時間にも及ぶ手術を受けるも、翌々日には廊下を歩いて周囲を驚かせた。痛み止めの薬で朦朧(もうろう)とする中でもゴルフの話ばかりしていたという。

 その2年後にはゴールドシニア選手権関東予選に出場を果たした。病気を克服できたのは、もともとの頑強な体と地道なトレーニングの積み重ね、そして何よりも「ゴルフをしたい」という気持ちが内田さんを支えていたのだろう。

 もう1つ内田さんの元気の源といえば、「食事」だ。「肉は毎日食べます。やっぱり牛肉が一番。霜降りの柔らかい肉が好きです。サーロインステーキなら200グラムを平らげます。昼食が肉のときには、夕食は魚にしています。魚だと鰻と刺し身。刺し身は断然トロ。脂っこいのが好きですね。『ずいぶん食べますね』と驚かれますが、しっかり体を動かしている分、良質のたんぱく質が必要なんです」

 食事づくりはとも子さんが担当している。「父はお肉だけでなく野菜もバランスよく食べてくれるので助かります」。とも子さんは毎食、手の込んだ料理をきれいに器に盛りつける。「おかげで食欲が増すんです」と内田さんはニッコリ。ちなみに今晩のメニューはトロと鰻のお寿司。もちろんとも子さんが握るそう。

 内田さんに今後の目標をうかがうと、「腰を治して、1ラウンドすること。もっとゴルフがうまくなりたいです」。ゴルフへの情熱はいまだ衰えない。

 「これまで生きてきて思うことは、人生は『失意泰然 得意淡然』が大事だということ。物事がうまくいっているときは、驕(おご)らず淡々と。物事がうまくいかないときは、ゆったりと構えて取り乱さない。これはゴルフから学んだことです。いいときも悪いときも、動じることなく淡々と。これからもゴルフとともに進んでいきますよ」

写真5:内田さんと娘のとも子さんと愛犬チャコと一緒に写る写真。
娘のとも子さんとチャコと一緒に。とも子さんはキャディーとして内田さんのラウンドに付き添う

撮影:丹羽 諭

(2017年7月発行エイジングアンドヘルスNo.82より転載)

プロフィール

写真:インタビュアー内田棟氏。
内田 棟(うちだむなぎ)(長野県 最高齢プロゴルファー)
 1916年(大正5年)生まれ。長野県軽井沢生まれ。71年、55歳の時にプロテストに合格。73年の日本プロゴルフシニア選手権3位。ホールインワンは5回達成。息子は初代シニア賞金王の内田袈裟彦プロ(故人)。66歳と94歳で2度のがんを克服し、95歳で日本プロゴルフゴールドシニア選手権大会関東予選出場を果たした。
 著書に『淡々と生きる 100歳プロゴルファーの人生哲学』(集英社新書)がある。

編集部:内田 棟さんは2019年7月23日に長野県北佐久郡のご自宅で老衰のためご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌Aging&Health No.82

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