第3回 死者からのメッセージ ―ネオ・アニミズム―
公開日:2021年10月13日 09時00分
更新日:2021年10月13日 09時00分
こちらの記事は下記より転載しました。
柏木 哲夫
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長

人生100年時代のサスティナブルな社会の構築に向けた課題と解決視点
日本人はどのような宗教観を持っているのであろうか。多くの宗教家はアニミズムを挙げる。アニミズムとは、短く定義すれば、「山、海、川、動物、植物などあらゆるところに精霊が宿っているという考え方」といえると思う。巨木に精霊が宿ると考え、お供物をして、手厚く扱うなどは、その典型的な例である。
このアニミズムに変化が出てきていると指摘したのは中村生雄氏(元学習院大学文学部教授)である。やや古いものであるが、2009年11月号の『書斎の窓』(有斐閣)に「『千の風』のネオ・アニミズム」という題で掲載された非常に興味のある論文がある。以下にこの論文の内容を中心にして、ネオ・アニミズムについて述べてみたい。
中村氏は日本のアニミズム的考えに最近変化が出てきたと指摘する。中村氏は『千の風になって』という曲の人気の中にネオ・アニミズムの萌芽を感じるという。2001年、新井満が、アメリカ合衆国発祥とされる詩を日本語に訳し、自ら曲をつけた。その曲は『千の風になって』と名づけられてテノール歌手・秋川雅史の歌唱によって、多くの人々によって歌われ、愛された。これは「千の風ブーム」と呼んでもいいほどのものであった。
このブームは決して一過性のものではなく、今も多くの日本人の心の奥深くに強い影響を及ぼしている。『千の風になって』がこれほどまでに幅広く圧倒的な支持を得るに至ったのは、やはりその訳詞に盛り込まれた独特の死者のイメージと関係があると考えられる。
『千の風になって』の訳詞を紹介すると、
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
「死んだあと、自分はお墓の中などにはいない」と最初にそう明言したうえで、彼(死者)は自分の死後の行方と役割について次のように言う。
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
ここには、自在に大空を吹きわたる風となって、四季折々、朝な夕なに、私(死者)はあなた(生者)を優しく包み、いつくしみ、見守っていく、という揺るぎないメッセージがある。
私はこの中村氏の論文を読んで、日本対がん協会会長の垣添忠生先生の言葉を思い出した。奥様が亡くなられたあと、奥様が「蝶や小鳥、そしてウサギなどになって自分を慰め、励ましてくれた」と垣添先生は書いておられる。ある講演会で先生にお会いしたとき、話がこのことにおよんだ。垣添先生は、「頭ではそんな馬鹿なことがと思っているのですが、感情としてはまさに妻は小鳥に姿を変えて私を慰めてくれたのです」と言われた。
これは『千の風になって』の歌詞に見事につながっている。母親を失くした幼稚園児に父親が「ママはお星様になってお空からボクを見守ってくれているからね」と言った。「ボク」は納得したようにうなずいた。「夜は星になって あなたを見守る」という歌詞そのものといってよい。
中村氏の論文にもう少し触れさせていただく。ここで死者から発せられているメッセージには、見逃すことができない特徴がある。というのは、そこからは「魂」や「永遠」や「神」といったキリスト教的な概念が見事に抜け落ちているからである。
風の中に、また雪や雨の中に、そして鳥や花々の中に、いつも私(死者)はいる。......そう断言するこの歌のメッセージは、文字どおり"アニミズム"そのものである。要するに、この歌詞が高々と歌い上げるキリスト教的でも仏教的でもないアニミズム的な感性が、現代の日本人から圧倒的に支持されたのである。
ただ見過ごしてはならないのは、死と死者がひたすら美しく優しいもの一色に塗り込められていて、死の残酷さ、死者の怨みや絶望といった負の部分は見事に無視されているということである。
ネオ・アニミズム
多くの日本文化論があるが、大衆的なレベルでアニミズムの日本文化論を展開したのが哲学者の梅原猛氏である。日本文化の深層にアイヌや沖縄、ひいてはまた縄文文化が存在すると考えた梅原氏は、その基底にアニミズムを見出し、それが行き詰まった近代合理主義に代わる新しい救世の思想であると主張する。
このようなアニミズムこそ日本文化の精髄であるという議論が歴史的・哲学的な思弁を経由するものであったのとは対照的に『千の風になって』はもっぱらそれを個人的な感性にうったえかけることを通して、絶大な共感と支持を勝ち得ていったと中村氏は分析する。しかもそれは、舞い散る雪、降り注ぐ雨、さえずる鳥、咲き誇る花々などの間を自在に吹き抜ける「千の風」という"自然"に託して、一気に歌い上げたのであった。それは、「ネオ・アニミズム」と呼ばれるにふさわしいと中村氏は主張する。
彼は続けて、両者の間の差異は決して小さいものではないという。やや大袈裟に言うと、『千の風になって』の登場によって、日本文化論の様相は大きくその性格を変えたのである。なぜなら、それまでの日本文化論が多かれ少なかれ日本の歴史と社会に対する反省的な知識と異文化に対する比較の視点を前提にしていたのに反して、『千の風になって』はそのようなプロセスを抜きにして、結果として、"自然"との親しさのうちに「日本文化」の本質を見出す感性を広範囲に行き渡らせていると思える。日本文化論はかつてのような"論"の体裁をとる必要がなくなり、より直接に個々の気分や感性に作用するものへと変わっていく兆しが、そこから読みとれるかもしれない、と中村氏は結んでいる。
1つの歌の流行が日本人の死生観を変えるとは思えないが、それが、これまであまり注目されなかった。日本人の心性を表に出したということはいえるのではなかろうか。
死後の世界の有無と死んだ人はどのようになるのかとは少し違うように思う。第2回エッセイで触れた「お母さんが向こうで待っている」と言った娘さんは、明らかに死後の世界(あの世)を信じている。『人は死ねばゴミになる』の著者、伊藤栄樹氏の妻は「死んでからも、私たちを見守っていてほしい」と言っている。死んだ人が「あの世」に行くかどうかは別にして、何らかの存在様式(たとえば霊魂)をとり、見守ってほしいと希望している。亡くなった母親が星になって子どもを見守ると言った父親のことも述べた。
このような一連の考えはアニミズムに通じる。しかし、従来のアニミズムに対して、「ネオ・アニミズム」と呼ばれる新しい流れが少しずつ、ゆっくりと日本列島を流れているのではないかと感じている。
著者

- 柏木 哲夫(かしわぎ てつお)
- 淀川キリスト教病院名誉ホスピス長、大阪大学名誉教授。1939年生まれ。1965年大阪大学医学部卒業。同大学精神神経科に勤務後、ワシントン大学に留学。1972年帰国後、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。1984年淀川キリスト教病院ホスピス長、1992年大阪大学人間科学部教授、2004年金城学院大学学長、2013年淀川キリスト教病院理事長を歴任。
著書
『死にゆく人々のケア―末期患者へのチームアプローチ』(医学書院)、『死を看取る医学』(NHK出版)など多数。
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