健康長寿ネット

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高齢社会では 100 歳の人生設計を(磯田 道史)

左:祖父江逸郎氏と右:磯田道史氏

シリーズ第18回生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして

 わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江 逸郎・公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第 18 回は、磯田道史・歴史学者、国際日本文化研究センター 准教授をお招きしました。

東日本大震災後、日本は"慶長時代"になった

祖父江:今号は歴史学者の磯田道史先生にお越しいただきました。『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』という本がベストセラーになり、映画化もされていますね。まずは先生の研究のご専門などをお話しいただけますか。

磯田:私の研究は、主に古文書を使って過去を見るというものです。隠されたものを明らかにするのがおもしろい。ですが、東日本大震災が起きて、生き方が少し変わりました。それまでは、幕末維新期の激動を生きた武士の暮らしなどを研究していました。その後は忍者の研究をしようと、伊賀と甲賀の忍者の子孫の家をまわって資料を集めて、初めての学術的な論文の執筆に取りかかろうと思っていたところに、東日本大震災が起きました。

 揺れが3分を超えて5分に達したところで、どう考えてもこの揺れはおかしいと思いました。トラフ、つまり海溝型地震だ。南海トラフか東北のトラフのどちらかと思い、テレビを付けました。

祖父江:あの揺れは独特でしたね。

磯田:そうですね。2回に分けて大規模なプレートのずれが起こりましたので、あのような巨大地震になりました。震源が東北だとわかり、すぐに津波のことが頭に思い浮かびました。東海地方だと津波がすぐ到達するので間に合わないのですが、東北だと到達まで30分以上あるので電話で避難を呼びかけようと。そして思ったのは、「もう忍者の研究はできない」ということでした。

 私の母は2歳のときに、実家の徳島県の牟岐(むぎ)で昭和南海津波(1946年)に遭っています。闇夜の中、一家全員で山へ避難したのですが、山へ上がってみると2歳の母だけがいない。大人たちは青くなるのですが、意外にも母は生きていました。幼いながら1人で山の上に登っていたのです。それが、夜が明けてからわかった。

 小さいころからいかに津波が恐ろしいか、母方から津波の被害に遭ってきたことを聞いてきたので、大学院生のころから津波や地震の古文書の資料を集めていました。すぐに地震の研究に取りかかればよかったのですが、運がよかったのか悪かったのか、1960年代から1995年の阪神・淡路大震災が起きるまでは、地震の災間期でした。阪神・淡路大震災からプレートは動き始めていたわけですが、それに気が付かず、あるいは阪神・淡路大震災は局所的な現象だと思ってしまった。そこに東日本大震災が起きてトラフが動いて、「日本が慶長時代になった」と思いました。

祖父江:慶長時代とは関ケ原の戦いのころですね。

磯田:東北では伊達政宗の領地を大津波が襲い、トラフが割れて大地震が起きたころです。「これから30年はこのような地震が連発することは間違いない。研究のテーマを変えて、5年は地震や津波の研究をしたい」と思いました。

祖父江:地震の研究はどちらでされたのですか。

磯田:静岡文化芸術大学です。調べてみると、津波の被害の危険が一番ある東海筋に、古文書が読める地震や津波を研究している研究者は1人もいない。これはまずいと思いました。ちょうど震災直後、静岡文化芸術大学で公募があったので応募してうつりました。

 浜松市に赴任していた4年の間に『天災から日本史を読みなおす』を書きました。先人がどのように災害と付き合ってきたのか、先人を主人公にして書いた防災史です。次の南海トラフ地震は、およそ100年周期で起きるといわれています。前の地震から70年経ちますから、あと20 ~ 30年後の話かもしれません。過去の災害の記録が現代の人びとの防災や安全に役立てばと思っています。

戦艦大和に乗り、原爆を科学的に確認

磯田:私が祖父江さんにお会いしたかったのは2つの理由があります。1つは世界最大の戦艦大和に軍医としてお乗りになっていて、実戦を経験されているということ。もう1つは広島原爆投下3日目に広島に入り、病院内の遮蔽(しゃへい)箱に収納されたレントゲンフィルムがことごとく感光していた事実から、放射線に関連する特殊な爆弾が落とされたのではないかという情報を報告された。つまり、世界で初めて落とされた原子力爆弾を科学的証拠で確認・検証された方だということです。私は今日、祖父江さんとお会いしたことを長く記憶し、将来、歴史書に記述すると思います。

祖父江:私は昭和の激動時代を身を持って経験しています。よくもまあ、あんなことができたと思いますよ。

磯田:「一身にして二生(にしょう)を経る」とは福沢諭吉の言葉ですが、明治維新を生きた人と昭和戦争期を生きた人は、一身にして2つの世界を見たのですね。だからこの世代の証言は貴重です。気の毒なことにこの世代は、文科系の人が太平洋戦争でごっそり命を持っていかれた。生き残った理系の人たちもすさまじい経験をしています。

祖父江:大和に乗っていた人はもうほとんどいないですね。海軍兵学校や海軍機関学校から優秀な人を集めて大和に乗せました。大和に乗るということ自体が名誉だったのです。

磯田:戦艦大和に乗っていたことが社会的な信用になって いた。人によっては「大和乗組」の四文字が東大卒よりも すごい意味がありました。

祖父江:船が立派だから、乗っている人もそれなりでないと運営できないと考えたのでしょう。その後、大和は海上特攻部隊として鹿児島南方の坊ノ岬(ぼうのみさき)沖で撃沈されて最後を遂げるのですが...。

磯田:日露戦争開戦前に、秋山真之(あきやまさねゆき)(元海軍中将)が海軍大学校の戦術の講義で、教壇に立つや、「これから海軍は無用な古物になり、空軍万能の時代がくる。巡洋艦が空中を飛行し、戦闘艦が水中を潜航する。戦場は平面的でなく立体的だ。今から教える平面戦術は役に立たなくなる」と言ってから講義を始めました。武器は全然違う時代に入っていくことを知っていたのですね。昭和の時代まで秋山真之が生きていれば、大和のような無力な戦艦に優秀な人材を乗せることが本当は間違いであることに気付いたに違いありません。

 祖父江さんの言葉で印象に残ったのは、「戦争は感情があってはできるものではない。不安だけど目の前の仕事を1つずつやることで不安を消していく」という言葉です。

祖父江:死を考えていたらとても戦争はできません。目の前の任務に忠実であることの一点に気持ちを集中させることで、心の平静を保っていたのだと思います。

「総合」とは異なる「統合」の力

磯田:今の医療は看取りもなく、患者を診ずに病気を診るとか、細分化されて部分を診る医療といわれて久しいですが、祖父江さんのように戦争を知っている世代が今の医療を見て感じることをお聞きしたいと思っています。

祖父江:今の医療は看取りもしないからいけないのです。人間を細分化しすぎたわけですね。細分化したら何もかもバラバラ。それを統合する力が非常に必要になる。いわゆる人間の統合力です。

 脳そのものがそうです。例えば、私が磯田さんの顔を見て、脳の中で情報を統合している。「磯田さんはこういう方だ」と統合して脳に焼き付けてインプットしている。だから別のところで会ったときに、それをあわせて考える。脳の統合力はすごいですよ。統合というのは、いわゆるインテグレーションです。「総合」ではなく「統合」。これが人間の持っている大変優秀な力です。

磯田:「総合」はただ集めただけで、横に並列しているけれど、「統合」というのは糸がしっかり結んであって、要するに情報を統すべて新しいものを生み出す。情報の支配者になるということですね。

祖父江:「統合力」は人間の不思議な力であり、人間の第一の機能として挙げなければいけない。「統合」は医学のみならず、世の中一般の事象を検討するうえで大変重要ですね。

写真:歴史学者、国際日本文化研究センター 准教授 磯田道史 氏

磯田:「これは○○が起きる兆候である」ということを知ること。「桐一葉落ちて天下の秋を知る」という言葉があります。秋になると自然に葉が1枚落ちてくる。桐一葉が落ちるということは、統合力のない人間にとっては、単に「木から葉が落ちた」ということに過ぎない。

 桐一葉落ちるということは、地球が公転して太陽の周りをまわり、地軸が傾いていることで太陽のエネルギーが少なくなり、寒くなって秋が来るという営みの一部であり、大きな宇宙の中で起きている現象の1つだということ。それに気付く能力が人間には与えられていて、それが「統合」だと思います。「情報を統合して悟る力」です。これは「患者が偉大な情報源である」という祖父江さんの教えにつながると思います。

祖父江:医学は情報学です。兆候は隠されていますから、普通に患者をみていてもわからない。ですから兆候を引き出す力が大切なのです。

江戸時代にすでにあった「養生文化」

磯田:祖父江さんは戦後すぐの、まだ日本人が行っていないまだ柔らかくほやほやだったころのアメリカに留学されていますね。

祖父江:昭和28年、戦後10年経っていないころ、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学で神経学の勉強をしました。まだプロペラ機の時代ですから、給油のために途中、ウェーキ島とハワイに寄らなくてはならなかった。戦争で沈んだ船がまだそのままあるような時代でした。

 そのときに驚いたのは、現在の日本社会とそっくりそのままと感じられる社会が、当時すでにアメリカにあったことです。極度に発達した車社会で、一家に2、3台は車を持っていましたし、自動販売機はいたるところにありました。戦後10年ですでにそういう社会でした。このころアメリカで行われていた医学や医療もそのまま日本に取り入れられました。アメリカにあったものがすべて日本に入ってきて、アメリカの真似をすることで日本は発展してきたともいえます。

磯田:逆にいうと、昭和28年のころにすでにアメリカにあったものから日本は脱却できていないということですね。

祖父江:そうですね。日本はもっと先のものをつくらなくてはいけないし、日本人に合うようにつくり直していかなければならない。

磯田:日本はアメリカの真似をしてきましたが、「長寿」という点に関しては、アメリカは失敗した社会だと思います。アメリカでは40、50歳代の死亡率は上がっていますし、特に貧困層の平均余命をコントロールできていません。それに比べて、「日本人はなぜ放っておいても健康に気を付けるのか」と考えると、やはり江戸時代にその源があって、元禄のころには相当な「養生文化」が根付いていました。

祖父江:貝原益軒の『養生訓』というベストセラーもありましたね。あの時代によく書いたものです。

磯田:あの時代に学問の目的は、「まともな暮らしと命を守る」という、きわめて実利的で生活に根ざしたものでした。1700年ごろの早い段階から、生命を上手に保ってきちんと暮らすためにはどうしたらいいかという知識の提供を学者が大量に行っている。それがインテリだけの知ではなくて、農家の書棚にも『養生訓』がある状態を江戸時代のうちにつくることができたということは大きいと思います。

祖父江:益軒を代表する医学者たちの功績は大きいですね。健康ブームという意味では、江戸時代は現代と似ているところがあるかもしれません。

磯田:私の師匠の速水融(はやみあきら)(経済学者)は、江戸時代はじめの関ケ原のころの人口は1,200万人~ 1,800万人であるといっています。その後100年の間に人口が3,000万人まで増えた。

祖父江:100年で2倍以上とはものすごいスピードですね。

磯田:農業社会としては異様なスピードです。人口が増え続ける社会では、それほど命について深く考えません。子供はいくらでも生まれて、労働力は放っておいても増える。ところが元禄のころになると、人口増は天井を打ちます。

 江戸時代は、社会分業の程度や知識の高さや官僚制度の発達をみると、日本史上、最も発達した農業社会であり、最も緻密(ちみつ)につくられた社会です。明治時代に入り、ここに蒸気機関などの機械文明が入ってきました。明治の近代化がすぐに進んだのはこのような背景があったからです。

 その社会を担っていたのが「健康文化」であり、そのベースには「清潔の文化」や「衛生観念」がある。ユダヤ教やキリスト教では、戒律を守るということが重要です。一方、神道は、「手を洗う」というのが一番の戒律で、清浄の他にはないといっていいくらいです。「いいか悪いか」という問題と、「きれいか汚いか」という問題が、頭の中で近い箇所にあるというのが日本の文化です。

祖父江:こんなにきれい好きな国民は世界でも稀でしょう。

磯田:私の祖母には、「清(きよ」」と「次(つぎ)」という概念がありました。
「清」は清らかなもので、「次」というのは少し穢れたもの。布団の角には房が付いていて、房が付いているほうが頭を置くほう、付いていないほうが足を置くほうと決めていました。房が付いているほうに一度でも足を置こうものなら、もうそれは「次」になった状態であるから「汚い」と言い出します。

祖父江:そういう思想は私たちの世代では確かにありましたね。

磯田:この概念は前近代社会を生きた人に育てられた最後の世代、90歳前後の旧制高校時代までの人にはあったと思うのです。

写真:公益財団法人長寿科学振興財団理事長 祖父江逸郎氏

限界寿命 120、130歳に延びる可能性も

祖父江:長寿社会に入り、「長寿」という問題は盛んにいわれるようになりました。江戸あるいは明治時代には健康文化の土壌はあったようですが、「長寿社会」という概念はまだなかったと思います。この点はいかがでしょうか。

磯田:平均寿命の延びが重要になってくるわけで、実際に戦争直後の昭和22年ごろの日本人の平均寿命はまだ50歳くらいで、前近代とさほど変わりませんでした。長寿になるとともに人口が減るといわれているのは最近のことです。1970年代あたりまでは人口が増えて困るという時代で、80年代後半から少子高齢化といわれるようになりましたね。

祖父江:日本は高齢化のスピードが非常に速い。同時に少子化もどんどん進み、すでに毎年人口減少傾向となり、2050年ごろには日本の総人口は1億人を切るといわれています。

磯田:私はこれからもっと少子高齢化が進むと思います。京都大学の山中伸弥さんとお会いする機会をいただいたのですが、iPS細胞はすごい技術だと思いました。

 彼が研究しているiPS細胞やES細胞の世界では、立体のものがつくることができて、臓器のパーツが取り換えられるのです。そうすると、今までの平均寿命の延びは、高齢者ではない若い世代、いわゆる60歳代以前の人を助けることでほぼ延びてきたわけです。ですが70歳以降になっても、がん化した臓器が交換可能な段階になった場合、どの程度まで日本人の平均寿命が延びるかという研究が今後の中心課題になるはずです。

 現在、モナコの平均寿命が90歳に達しようとしていて、日本も、山中さんたちの研究がなかったとしても、女性の平均寿命は90歳代の大台に乗る可能性は高くなってきています。さらに、今年生まれた子どもが75歳のときに受ける医療は75年後の医療です。われわれ世代がこの75年でどのような医療の進歩をみてきたか。しかも臓器のパーツが換えられる、立体の臓器ができるのは、もう時間の問題です。75年後にはないと考えるほうがおかしい。

祖父江:平均寿命が100歳を超える可能性はあります。臓器移植の発達はあると思いますが、もう1つは免疫細胞の組み換え、免疫遺伝子の組み換えができたら人間そのものが変わりますから、もっと寿命が延びる可能性があると思います。今現在、限界寿命は115歳などといわれますが、今後は120歳、130歳になる可能性だってあります。

磯田:今の学校制度や就職、結婚などは、平均寿命が40、50歳時代の設計です。これからの人生設計は100歳まで生きる社会にあわせて概念を根本から変える必要があると思います。なぜ私がこのようなことを言うのかというと、古文書学者として長期に日本史を見てきているからです。それこそ秋山真之の世代の人たちが2つの世界を見たように、「一身にして二様を見た」人たちの姿を私は見てきました。

人生 100歳時代に必要な「老いる準備」

祖父江:先生の考えは非常に進歩的だと思います。過去から現在までずっとつなげて見ているわけですから。これからの当面の、10 ~ 20年先の社会を見据えて、何かいいアイディアやアドバイスはありませんでしょうか。

磯田:平均寿命はこれから延びるでしょうから、「人生二毛作」という考え方もあります。寿命が延びた場合、「何に幸せを感じるか」という問題があると思います。

 人生の段階を分けるとするならば、若いときは、「その人が自立すること」「他の人の世話にならずにきちんと暮らせるようにして、さらに力のある人は人も養う」というところまでいくような教育と経済的基盤が必要なので、そのような働き方を40、50歳代までの間にする。

 その次の60歳代から80、90歳代までかなりの割合の人が健康に動けるはずで、江戸の隠居社会に近いと思いますが、蓄えてきたものをもとに自分が思うことをしてもいいし、報酬を得ない形の公的な仕事するのもいい。そのように社会的貢献をする人に対しては、きちんと生活が保障されるような仕組みをつくっていく。やはり人の役に立ったときに感じる幸せというのは大きいと思います。

祖父江:高齢者は豊富な知識と経験を持っていますから、それを社会へ、若い世代へ還元していくことが大切になるでしょう。今の若い世代が高齢者になるころの社会、50 ~60年後の社会ではどうでしょうか。

磯田:これはあまり明るいようには思えないですね。若い世代の人たちは、祖父江さんの世代のように逆境を生き抜くような訓練を受けていませんから。

祖父江:そうですね。われわれの世代では、まだ江戸や明治時代のもの、例えば儒教的な考え方などは残っていましたが、今は全然残っていませんね。

磯田:今の90歳代の人は戦争に行かれているし、とても90歳まで生きられるとは思っていなかった世代ですよね。

祖父江:「人生40年」と思っていた人が多かったですね。

磯田:私たち世代は90歳まで生きると思っていながら、確実に老いて長く生きるはずなのに、その準備をしていない。大学に入るための準備はしてきたけれど、「老いる準備」はしていない。「老いるための予備校」に通っていない。学歴が高くても昔のようにそれに見合った職に就けない時代でもあるので、むしろ「老いる予備校」のほうが必要かもしれません。その人の幸せ感や生活が重要だという自覚を持つことからまずは始めなくてはならないと思います。

祖父江:貴重なご意見をありがとうございました。これからも日本がどのように変わっていくか、見続けていただきたいと思います。

対談者

著者写真:磯田道史氏

磯田 道史(いそだ みちふみ)

1970年、岡山県生まれ。2002年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。2004年、茨城大学人文学部助教授、2007年、准教授。2008年~2011年、国際日本文化研究センター客員准教授、2012年、静岡文化芸術大学文化政策学部准教授、2014年、同大学教授を経て、2016年より現職。著書に『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)、『無私の日本人』(文藝春秋)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)などがある。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.81

Aging&Health(エイジングアンドヘルス)No.81(新しいウィンドウが開きます)

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