健康長寿ネット

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高齢者にも対応できる選択可能な社会を考える(藤田 一郎)

写真:第23回対談風景写真。祖父江理事長と藤田一郎氏。

シリーズ第23回 生き生きとした心豊かな長寿社会への構築をめざして

 わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎・公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第23 回は、藤田一郎・大阪大学大学院生命機能研究科教授をお招きしました。

ブッダの教えを脳科学ではどう見るか

祖父江:今号の対談は大阪大学大学院教授で認知脳科学者の藤田一郎先生をお招きしました。藤田先生は脳のさまざまな機能の中でも視覚に注目されて、脳内メカニズムの研究をされています。

藤田:視知覚・視覚認識の神経機構の研究です。サルを用いた生理学実験や人の心理学的テスト、脳機能イメージングなどを用いて研究をしています。

祖父江:私が藤田先生を知ったのは、『NHK100分de名著ブッダ 真理のことば』(佐々木閑(しずか)著・NHK出版)がきっかけです。先生はその中でブッダの教えを脳科学の面からどう見るかについて話されていますね。大変興味を持ちました。

藤田:あの本はNHK教育テレビの番組「100分de名著」の内容をまとめた本です。番組の講師の佐々木閑さん(花園大学文学部仏教学科教授)の話を聞いていると、仏教はもともと宗教というよりは哲学ですね。世界は何からできているのか、人間とは何かなどを探求しています。彼によれば、原始仏教では、「神様や仏様はいなくて、このような超越者なしに、世の中は因果関係だけで動いている。原因があるから結果が生まれてくる。それを正しく見るように修行しよう」と考えるそうです。話を伺って、因果を求める点が科学に似ていることに驚きました。

祖父江:佐々木先生との対談でも出てきますが、「釈迦の仏教」では、自己鍛錬システムとしての性格が前面に出ており、「叡智の目」を磨くことが強調されていますね。このことは、正しい観察眼と判断力を持つことの重要性を指摘しており、現代社会でも極めて大切なことを教えています。瞑想による精神の集中など具体的な点にも言及していますね。こうした状態では脳機能はどうなっているのか、現代の脳科学にとっても興味ある課題として取り上げられ、脳波やMRIなど駆使して客観的に追究が行われています。脳科学との接点でもあり、宗教と科学のつながりが感じられます。

 これらのことは宗教で取り上げられている悟りにも通ずるところがあり、これが最近では磁気刺激を活用することで同じような状態が得られないかなどの研究にも相通ずるところがあります。また、釈迦が仏教の教えを広め、伝える手段として開発、整理したサンガ(修行僧の集まり)の制度と実施はすばらしいもので、その精神がさまざまな点で、現代にまで教え伝えられてきていることは大いに学ぶべき点だと思います。

藤田:10年か15年くらい前のことでしたか、アメリカで毎年開かれている世界最大の神経科学の学会で、瞑想中の僧侶の脳活動に関する発表をしたオーストラリアの研究者がいました。残念ながら明快な結果は得られていませんでしたが、そのような研究が始まっていることを知り、とても驚きました。ただ、科学と宗教の接点はこのような研究にとどまりません。たとえば、「正しく世界を見ることがどうしてむずかしいのか」、「人はなぜ、煩悩にとらわれるのか」といった問題、つまり、先ほど祖父江先生がおっしゃられた観察眼と判断力の問題に、脳を理解することでヒントを得ることができるからです。

「見る」の2つの機能─知覚意識と行動の乖離

祖父江:あらためてご専門の視覚について伺います。「見ること」とはどういうことなのか。「見る」という字から始まって、「観る」や「診る」などさまざまですね。視覚は脳の中でどのようなメカニズムになっているのでしょうか。

藤田:視覚には大きく分けて2つの機能があります。「見たものが何であるかがわかる機能」と「見たものに対して働きかける機能」です。この2つの機能は、脳の別の場所で担われています。「見て何であるかわかる」という視覚認識の機能には側頭葉が関係していて、頭頂葉に行くもう1つの経路が「見たものに働きかける」という機能に関係しています。

祖父江:「見たものに対して働きかける機能」とは、具体的にいうとどういうことですか。

藤田:たとえば、「コーヒーカップをつまんで飲むことができる」ということです。側頭葉が壊れると、ものが何であるかわからなくなってしまいます。いわゆる視覚失認ですね。ところが、そのような患者さんに、「コーヒーをどうぞ」と言ってコーヒーカップをお出しすると、それがコーヒーカップであるかビールのジョッキであるかわからないにもかかわらず、何気なくカップを持って飲まれる。逆に、頭頂葉が壊れた患者さんはコーヒーカップだとわかるけれども、カップを手でつかむことができない。

 つまり、側頭葉が壊れて視覚失認を起きる患者さんと、頭頂葉が壊れて運動失行が起きる患者さんに分かれるということです。健常な状態では、「見たものが何であるかわかる機能」「見たものに対して働きかける機能」それぞれを担う別の過程が同時に起きています。しかし、脳の片方の機能が損なわれると片方の行為ができない患者が出てきて、意識と行動が乖離してしまうのです。

祖父江:視覚経路はそれぞれ役割分担をしているということですか。それは驚きますね。日常の感覚からいうと、コーヒーを飲む行為には、カップの取っ手を持って口に近づけて飲むということが経験として脳にストックされていて、それらを統合して飲むことができる。視覚機能が他の脳の機能と統合することによって、認知機能と運動機能につながると思っていました。

藤田:もちろんそれもあるのですが、頭頂葉が壊れた患者さんは目で得た情報に基づいて、手の軌道を計算してカップの方向に持っていくことや、カップをつまむために指を形づくることができません。視覚情報に基づいて、自分の腕や手を正しくコントロールするという何気ないことができないのです。

祖父江:視覚の情報を運動へ転換することができないということですね。知覚意識と行動は乖離しているということですが、私にはどうしても、自分が感じて、自分が考えたことに基づいて体を動かしていると思えてなりません。

藤田:本当にそうですね。しかし、脳科学はそうではないことを教えてくれたのです。「見る」ということは、眼底に映った像を網膜で受けてそれを処理していくことです。「円筒形である」「輝いている」「水面が動いている」など、いろいろな情報を処理していますが、それらの情報に基づいてそれに相当する像をつくり直すことが知覚です。その知覚が生じた瞬間に、私たちは脳の中にしまってある記憶と合わせて、それが何であるかを確定します。これが「視覚認識」と呼ばれるものです。それは「見ること」のもう一歩先、「見たものを理解する」機能となります。しかし、これらは視覚機能の一部に過ぎなかったのです。

「水が水である」とわかる脳のメカニズム

祖父江:たとえば、「これは飲める水かどうか」という判断は、見る機能だけではできなくて、経験に基づくものが大きいように感じます。「これは水」「これはコーヒー」と、私たちは長い生活の中で経験事実として知っているわけで、これはどのように解釈すればいいのでしょうか。

藤田:それは脳のメカニズムとして、とてつもなくむずかしいことです。なぜかというと、コップに入った水といっても、今、目の前にある情景と同じ情景をこれから先の人生で見ることは二度とありません。コップの形も違うし、照明も違うし、見る距離も違うし、敷いてあるコースターも違う。網膜に映る像は生まれてから死ぬまで一度も同じではない。それでも次に水の入ったコップを出されたときに、それが「水だ」とわかるということは、個々のコップの網膜像によらない共通の特徴を脳が抽出しているということを意味しています。そのようにして抽出した情報をどうやって次の記憶情報として使うかということは、認知脳科学におけるものすごく大きな課題です。

祖父江:人は難なく「水が水だ」とわかる。それはとてつもなく優れた脳のメカニズムですね。

藤田:まさしくそうなのです。この問題に関心を持っているのは私のような脳科学者だけではありません。コンピュータビジョン、ロボット、人工知能を専門とする研究者も、非常に関心を持っています。このような分野における従来のアプローチでは、人が抽出している特徴を科学的に探求して、それをプログラムに書き込んで、物体認識をさせようとしていましたが、今はその手法は行っていません。その代わり、水の入ったコップとそうでない画像を何万枚も準備して、コンピュータに弁別させて、答えを1回1回与えていると、そのうち自動的にその特徴を抽出するようなネットワークができるという手法に変わってきています。

祖父江:しかし、それは私たち人間が行っている知覚認識とはだいぶ違う感覚ですよね。

藤田:そうですね。息子が2歳くらいのとき、カリフォルニアに住んでいたのですが、彼は芝生でまわるスプリンクラーを1度も見たことがなかったのに、ある日スプリンクラーから出る水を初めて見て、「Water!」と言ったのです。それはものすごい能力ですね。ふだん見ている水から、スプリンクラーから飛び出ている水を「水である」と類推する能力は、今の人工知能は持っていないでしょう。人間特有の何か違うメカニズムがあると思います。

祖父江:そう考えると、人間の能力はまだまだ人工知能に負けていないですね。

写真1:祖父江理事長の対談風景写真。

驚くべき人間のコンペンセーション

祖父江:感覚器の発生プロセスからいうと、視覚、聴覚、嗅覚などの五感の中で視覚は早くから備わってきた感覚機能と感じるのですが、いかがでしょうか。

藤田:そのあたりは進化を研究している専門家に聞いてみたいところですが、確かなことは、嗅覚は古くから発達した感覚です。恐竜の時代には哺乳類は昼間外をうろうろすることができなくなって、みな夜行性となり、視覚はいったんかなり退化していきました。その後、恐竜の時代が終わって哺乳類が昼間に活動できるようになり、視覚優位の動物種が増えました。色覚はそのあとに生まれたとされています。

祖父江:私は臨床的に感覚器を含めてかなり細かく調べたのですが、視覚を喪失した盲人の方は何を頼りにしているかというと触覚です。特に前頭部(おでこのあたり)の触覚が非常に発達していることがわかっています。

藤田:おでこを触られたときに敏感だということですか。

祖父江:いえそうではなく、盲人の方は、おでこのあたりで風や空気の圧力などを敏感に感じるそうです。視覚を喪失した場合には、前頭部の皮膚感覚が発達して、おでこの感覚や空間認識で生活をしているらしいです。盲学校に行って調べたことです。

藤田:触られなくても感じる!そういえば、歩いている盲人の方の前方に障害物を置くと、察知してその前で立ち止まるという実験の映像を見たことがあります。

祖父江:視覚がない分、他の感覚が鋭敏になっているのですね。

藤田:このような研究をご存じでしょうか。盲人の方が点字を触っているときには、脳の視覚野が活動しているのです。網膜からの情報が視覚野に行かなくなったので、視覚野が空き地になっている。そこに触覚に関わる神経線維が入り込んだということです。その後、耳が聞こえない方の聴覚野に視覚の情報が入っているという話も出てきました。

祖父江:それは、失った機能を補完するように機能する、いわゆるコンペンセーション(代償)でしょう。

藤田:ええ。しかし、その話が出た1990年代当時は、脳の中で何センチも離れた聴覚野と視覚野の間でコンペンセーションが起き得るのかという疑問がありました。ですから、これらの研究成果は驚きを持って迎えられたのです。

祖父江:たとえば、半身不随になった場合には、脳の新しいニューロン(神経細胞)ネットワークができるという話にもなっています。

藤田:残っているニューロンが新しいシナプスをつくって新たなネットワークをつくるということですね。

祖父江:そうです。ニューロンネットワークの変革が起きるようです。

藤田:私が20代の頃に読んだ論文で印象的なものがありました。MRI以前のCTスキャンができるようになった頃の話です。スイスかイギリスの数学科の大学院生の脳を調べたところ、なんと大脳皮質がなかったのです。幼少期に水頭症だったらしく、大脳皮質が発達せず、痕跡的なのものが側頭に少し残っているだけでしたが、本人も周りの人も気がつかないほど知性は保たれ、大学院で数学を専攻するほどだったのです。その論文のタイトルは「あなたの大脳皮質は必要か」という印象的なものでした。小さい頃から大脳皮質がなければ、脳の他の場所、おそらく脳幹のどこかが機能を補っていたというびっくりするような話です。

祖父江:それは驚くべき事実ですね。生命の維持や生活に一番大事になるのは脳幹だということでしょう。

社会の近代化で人間の五感は退化するか

祖父江:人間は優秀な感覚器センサーを持っていても、生活していくうえで五感を使わなくなれば、鈍くなって退化していくものもありますよね。

藤田:一番有名なものは副嗅覚系というものです。たとえばネズミですと、鼻腔のうえに鋤鼻(じょび)器官というものがあって、普通の嗅覚系とは別の副嗅覚系という神経が走っています。それは人にはありません。胎児のときにちょっとだけ痕跡があるようですが、生後はなくなります。

祖父江:必要ないから退化する。

藤田:ネズミの副嗅覚系(鋤鼻器官)は異性を検知するのに使われている器官で、彼らは匂いで異性を探しているのですが、人間ではその機能は相当落ちています。

祖父江:今は文明社会となり、人工的に環境をつくってきた結果、昔の環境とずいぶん変わりました。センサーとしての感覚器もこれからもっと変わる可能性もあります。

写真2:藤田一郎氏の対談風景写真。

藤田:人間が持っている五感だけがデフォルト(普通)ではなくて、動物の世界を見ると、われわれ人間のほうが特殊かもしれません。極端にいうと、未来の人間は嗅覚なんて食べ物以外にもう使わなくなっていくのではないでしょうか。匂いで何かを察知する必要性がほとんどなくなってきました。匂いがついているものを嫌がる風潮もありますし、何でも清潔でなければならないという雰囲気もあります。嗅覚を使う機会が減って、匂いで何かを察知することもだんだんできなくなるのではないかとさえ思います。

祖父江:環境によって人間のセンサーは残るものと退化するものがあるとすれば、むやみやたらに文明化・近代化していくことも考えものですね。

藤田:そう思います。そもそも人間は自然の中に生まれてきたわけですから。

祖父江:特に視覚についていうと、今は明るすぎますね。

藤田:日本は特にそうですね。一方、欧米のホテルに行くと照明がかなり暗いですが、あれはどうしてなんでしょう。

祖父江:有色人種と違って、欧米人の目の色素が薄いことに関係しているのではないでしょうか。欧米人にとっては適当な明るさなのかもしれません。

藤田:蛍光灯の明かりは、目にあまりよくないといいますね。波長の中でブルーの成分を多く含み、水晶体や角膜には悪影響があるようです。

祖父江:特に今は高齢社会です。高齢になると感覚機能も全体的にどんどん落ちてきてしまいます。近代化した今の環境は、昔の行灯(あんどん)を使っていた頃と比べて明るすぎますね。長寿社会においては、どういう環境が適切なのかという研究が必要ですね。

藤田:網膜や内耳の細胞にもうちょっと優しい、傷つけないような環境条件を考える必要があるでしょうね。

祖父江:最後になりますが、先生のお立場から長寿社会の現状をどうお考えですか。

藤田:私が心配していることは、コンピュータに頼りきっている今の社会は本当に便利かという問題です。空港のチェックインなども複雑になり、とまどう人も多いと思います。

祖父江:コンピュータに慣れていない世代には、かなりむずかしいです。電車の券売機も複雑で切符が買えません。切符が買えなくて乗り遅れてしまいますよね。

藤田:私のような者にとっても、操作に問題が起きたときにどうすればよいかの指示が親切ではないと感じます。コンピュータを使い慣れていない方々にとってはなおさらのことと思います。

祖父江:われわれのようにコンピュータに馴染まない世代には外国に行ったのと同じような感覚で、操作がむずかしいです。今、日本の社会全体がこのようになりつつあります。

藤田:この問題は真剣に対応を考えるべきです。コンピュータを使ってこなかった高齢の方々が実際に困っているのですから。現状では、経済活動のターゲットとして、若い世代や元気で不便がない方に注目が集まりがちですね。

祖父江:われわれの年代はコンピュータの教育を受けていませんが、若い世代ではコンピュータは当たり前です。今の多様化した社会では、若者にも高齢者にもどちらにも対応できる、選択できる社会につくり変えていく必要があると思います。古いものと新しいものの両方を選択できる仕組みが必要です。

藤田:人間の体や脳が持つ特性、特に年齢を重ねるにつれてどういうことが起きるかということを理解し、それをテクノロジーに生かさなくてはなりません。技術開発の現場において、高齢者の方々への十分な配慮をしていく必要があります。その際に、脳科学もまた、役に立つ知見を提供できると思います。

祖父江:今日は貴重なお話をありがとうございました。

対談者

写真:藤田一郎氏
藤田 一郎(ふじた いちろう)
1956年、広島県生まれ。79年、東京大学理学部生物学科卒業。84年、東京大学大学院理学系研究科動物学課程修了。理学博士。岡崎国立共同研究機構生理学研究所、カリフォルニア工科大学、理化学研究所、新技術事業団を経て、94年、大阪大学医学部教授。2000年より同大学院生命機能研究科教授。11年より脳情報通信融合研究センターPIを兼任。専門は認知脳科学。特にヒトを含めた霊長類における視覚認識の脳内メカニズムの解明を行っている。著書に、「『見る』とはどういうことか―脳と心の関係をさぐる」(化学同人)、「脳がつくる3D世界─立体視のなぞとしくみ」(化学同人)、「脳ブームの迷信」(飛鳥新社)、「脳の風景―『かたち』を読む脳科学」(筑摩書房)などがある。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.86

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