健康長寿ネット

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高齢者のこころを理解して社会参加のアプローチを(佐藤 眞一)

公開日:2018年12月14日 14:07
更新日:2019年2月 1日 20:53

第8回対談風景写真。祖父江理事長と佐藤眞一氏

シリーズ第8回 生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして

 わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎・公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第8回は、佐藤眞一・大阪大学大学院人間科学研究科教授をお招きしました。

主観的年齢は暦年齢よりもずっと若い

祖父江:わが国は世界で最も速いスピードで高齢化が進んだ国で、世界の先頭を歩み続けています。2013年には高齢化率は25.1%となり、約4人に1人が高齢者となりました。まさに超の上に超が付く超超高齢社会となりました。生き生きと活力ある長寿社会を構築するためには、どのような心構えが必要なのか。高齢者をどのように捉え、理解していくかが重要になります。

 佐藤先生は、大阪大学大学院人間科学研究科で、老年行動学という高齢者の心理学的側面から研究をされています。先生のお立場から、その研究の一端を話していただけますでしょうか。

佐藤:大学院卒業後、東京都老人総合研究所に入職し、そこでの研究で非常に興味深いものがありました。「主観(的)年齢」というもので、実際の年齢、暦年齢ではなく、自分が感じる自分の年齢のことをさします。

 その主観年齢を調査しますと、実年齢よりもずっと若いと感じていることがわかりました。これは日本だけでなく世界共通の結果です。日本の方は控えめな方が多いですから、主観年齢を伺うと、実際の年齢とやや近めに言いますが、アメリカなどでは、70歳代の方なら40歳代、差が大きい方では、30歳代くらいに感じている方がいるほどです。

 国連の定義では65歳以上を高齢者としていますが、実際は、65歳、70歳くらいの方は、ご自身を高齢者だと感じていないということです。私は、それまで実年齢だけから高齢者だと判断して研究をしてきましたが、ご本人は高齢者だと思っていなかったということになります。

祖父江:では、高齢者はどの段階で「老い」を感じるようになるのでしょうか。

佐藤:年齢を重ねていく過程の中の、あるポイントで意識が変化してくるようです。たとえば慢性疾患や障害を抱えるなどで、身体能力や精神力が落ち、自信を喪失し、「自分ひとりでは生活がむずかしい」と感じたときに「老い」を自覚するのです。

 しかし、高齢者というと、65歳以上から百寿者までいるわけですから、もう少し研究の中身を吟味する必要があります。人によって老い方も違えば、「老い」のスピードもテンポも違います。100歳以上の方も一人ひとり違っていて、これが100歳だとは一概にいえませんね。

祖父江:小野庄一さんの『百歳王』(新潮社)という満100歳以上の方々の写真集があります。これは20年ほど前の写真集なのですが、彼が最近撮った100歳以上の方々の写真と比べると、表情がまったく違ってきていることに驚かされます。最近の100歳以上の方はより生き生きとして見え、その違いは一目瞭然です。

 私は「老いに個人差ある」ということが1つの大きなテーマだと思います。高齢者は単一の集団ではなく、バラエティが非常に豊かです。その背景にあるさまざまな要因を考え、「老い」を分析する必要があると考えます。

認知症の人ほど不安に満ちた人はいない

祖父江理事長の対談風景写真。

祖父江:佐藤先生は著書の中に、アイデンティティの喪失の問題が取り上げられていました。私は、認知症とはアイデンティティの崩壊であり、喪失であると考えています。それに気付いたのは、認知症の人の表情のなくなった独特の顔付きです。自我が形成される前の10か月くらいの赤ちゃんの表情にも似ている。「認知症はアイデンティティの喪失である」という側面から、認知症を捉える必要があると思います。

佐藤:アイデンティティの喪失は認知症を考えるに当たり、大きなテーマです。アイデンティティは、自分の歴史の中で内面化し、記憶や思い出と絡めて形成されていくものです。その人がその人であるということが、自分自身だけでなく、他者にも認められている状態をさします。アイデンティティは1つではなく、仕事上のアイデンティティ、家庭でのアイデンティティ、社会的関係の中でのアイデンティティなど、たくさん存在します。認知症の人は、「自分が何者か」がわからなくなり、アイデンティティを喪失し、非常に大きな不安を覚えるのです。

祖父江:「認知症になると何もわからないから楽だろう」とおっしゃる方がいますが、それは大きな間違いですね。認知症の人ほど、不安に満ちた人はいないと思います。

佐藤:認知症の中核症状に見当識障害がありますが、これは時間と空間の歪み、4次元の歪みです。定位を失うということは非常に不安なことだと思います。

祖父江:ある人の講演の中で、「認知症の人はどのような世界に住んでいるのか」という話がありました。ニューヨークの真ん中に突然放り出されて、方向も何もわからない状態になったら、これほど不安なことはありません。いわゆるディスオリエンテーション(見当識障害)が急に起こった形になりますね。

佐藤:さらに、認知症の人はアイデンティティの喪失により、周りとの関係性が断ち切られ、孤独感・孤立感を覚えるという問題もあります。周りとの関係性をどのように構築していくかが重要になりますし、認知症というのは、1側面ではコミュニケーション障害と考えられます。

私たちが見ている世界と認知症の人が見ている世界は違う

佐藤:最近、私と同じ大阪大学の石黒浩教授の運営するATR国際電気通信基礎技術研究所の研究室と私どもの研究室とで、遠隔操作型の人型ロボット(アンドロイド)を共同研究しています。厚労省が推進している介護ロボットとは少し違う、不思議な顔をしたコミュニケーションロボットで、「テレノイド」といいます(写真1、2)。「テレ=離れていること」を意味し、パソコンの遠隔操作でロボットを操作します。どんなに距離が離れていても、インターネットで操作することができます。操作者が話した通りにテレノイドの口が動き、首も手も動かすことができます。操作を続けていると不思議と表情が現れてくるのです。

写真1:佐藤先生が共同研究する遠隔操作型人間ロボット「テレノイド」の写真。インターネットで操作を行い操作者が話した通りにテレノイドの口が動き、首も手も動かすことができる。
写真1:認知症高齢者を幸せにするテレノイド 遠隔操作型人型ロボット(アンドロイド)
佐藤眞一1、 西尾修一2, 3、石黒 浩2
1: 大阪大学大学院人間科学研究科、 2: 大阪大学大学院基礎工学研究科、3: ATR国際電気通信基礎技術研究所
写真2:佐藤先生が共同研究する遠隔操作型人間ロボット「テレノイド」の写真。インターネットで操作を行い操作者が話した通りにテレノイドの口が動き、首も手も動かすことができる。
写真2:認知症高齢者を幸せにするテレノイド 遠隔操作型人型ロボット(アンドロイド)
佐藤眞一1、 西尾修一2, 3、石黒 浩2
1: 大阪大学大学院人間科学研究科、 2: 大阪大学大学院基礎工学研究科、3: ATR国際電気通信基礎技術研究所

 いろいろな方にテレノイドを見ていただくと、「奇妙だ」と言われるのですが、認知症の人には大変喜ばれます。普段は笑顔がなかった認知症の人が、テレノイドと接することによって、満面の笑みになるのです。

祖父江:認知症の人に喜ばれる要因はどこにあるのでしょうか。

佐藤:このシンプルな形が1つにあると思います。認知症の人には、一般の普通の顔というのが個性的すぎて理解しきれないのです。人に見える最小限の姿で、老若男女、誰にでも見える。子どもにも見えるし、「この人、男前ね」と言われる方もいます。

祖父江:これは、10か月くらいの赤ちゃんの表情に似ていますね。いわゆるアイデンティティが形成される前の表情。そこが認知症の人の世界に似ているのかもしれません。

佐藤:おっしゃる通りです。認知症の人の世界がここに現れています。普段はあまり話さない認知症の人でも、テレノイドには一生懸命に話してくださる。現在、研究段階ですが、このテレノイドと認知症の人のコミュニケーションが始まるということは確かなのです。

 認知症の人の見ている世界というのは、私たちが見ている世界と全然違うのです。たとえば、一枚のお正月の家族団らんの絵があります(図)。日本人がその絵を見ると、お正月の絵だということがすぐにわかります。ところが、認知症の人が見ると、絵の隅にいる猫が気になって、「猫は何を狙っているのだろう」とか、お酒を飲んでいるお父さんを見て、「酔っ払っていい気分だね」など、そういう答えが返ってきます。

図:お正月の家族団らんの絵を表す図。一枚の絵を例とし、私達と違い、認知症の人が見ている世界を知り、認知症の人の世界を理解することが重要であることを示す。
図:お正月の情景図
出典:佐藤眞一 『認知症「不可解な行動」には理由(ワケ)がある』(ソフトバンク新書)96ページ

 なぜ認知症の人が適切な答えができないのかというと、一枚の絵の中に情報量が多すぎて、一度に多くの情報を処理することができないのです。つまり、認知症の人の見ている世界と私たちが見ている世界は違うということです。

祖父江:認知症の人の世界を理解することが重要になってきますね。認知症の人に、私たちはどのように映っているかということも考えていかなくてはなりません。

佐藤:よく「認知症の人は何を考えているのだろう」といわれますが、認知症の人にとっては「あなたたちは何を考えているのだろう」ということになります。

祖父江:私たちが認知症の人の世界に近付かないと、コミュニケーションできないということですね。

高齢者の「孤独」と「孤立」、「孤食」の問題

佐藤眞一氏の対談風景写真。

佐藤:認知症の人以外にも、高齢者全体として「孤独」というのが問題になっています。高齢者の孤独について研究をしているのですが、「1人でいる時間は、若い人より高齢者の方が長くなる」という海外のデータがあります。このデータによると、一般成人が一日の生活のうち1人でいる時間の平均は、1日の29%(約7時間)、高齢者では48%(約12時間)となります。相対的に高齢者は1人で過ごす時間が長いということになります。

 ところが、孤独感は若い人の方が高いのです。高齢者は年齢を重ねて、1人でいることが上手になっていく。私たちはそれを「独自性」呼んでいるのですが、自分の世界に1人でいられ、「孤独」というよりは、「孤高」に近い。高齢者は、孤高の世界に向かって、内面の世界がだんだん充実してくるのだと思います。一方、「孤独」は、人を求めるけれど得られない。「孤立」は、人を避けることです。「孤立」の場合は、排他的になり、だんだんと反社会的になってしまうのです。

 孤独死も問題になっていますが、女性では高齢になるほど増え、多くは心臓発作などの突然死ですが、男性の場合では、50歳代、60歳代に多く、その原因の多くはアルコール依存症だったということがわかっています。

祖父江:これは、1つに生活様式が変化したことに要因があるように思います。核家族化が進み、住居のマンション化が進み、高齢者だけでなく若い世代にも、同じシチュエーションがみられます。食事に関しても、宅配サービスが非常に増えましたね。自分で料理をしなくても、食べ物を容易に手に入れることができる時代になりました。核家族化が進み、住環境の変化とともに、食環境にも個別化が進んでいます。

佐藤:いわゆる孤食(個食)ですね。食事というのは、単なる栄養補給でなく、「食の楽しみ」という心理的な効果が大きいのです。「食の楽しみ」は1人でも感じることはできますが、やはり人と一緒に食することにより、おおいに得られるものだと思います。

祖父江:食環境によって、こころの発達や成熟が得られるわけですから、特に子どもの発達段階では食環境は重要になります。この孤食という環境が人為的につくられていることに、非常に歯がゆさを感じますね。

佐藤:今は健康長寿時代ということで、栄養に注目しがちですが、誰とどんな環境で食すかと心理的、環境の側面も非常に大切だと思います。

高齢期になってもこころは生涯発達していく

祖父江:高齢期における「こころの老化」をどのように捉えるのでしょうか。

佐藤:いわゆる精神医学的な老化というものはあると思いますが、私たち心理学の立場からいいますと、「こころは生涯発達する」という考えを持っています。高齢になってこそ、若い頃と違ったこころのあり様があり、特に内面世界が広がっていくと考えます。子どもたちが独立し、あるいは配偶者と死に別れ、やがて1人になっていく。そして、1人になっていくことになんとか適応していく。これは高齢者の発達的な側面であり、若い人には耐えがたいことかもしれません。先ほどの孤独の話にも通じますが、少数の親しい人とのつながりがあり、1人の時間は長いのですが、それに耐えられる。そのような環境の中でも充実した内面生活を送ることができるというのが高齢者なのです。

祖父江:「こころとは何か」という大きい課題は、いまだ解明されていません。昔から、知情意は脳の機能に入るといわれています。私は、こころとは脳の機能の1つである可能性が高いと思います。今、脳の賦活が問われていますね。いろいろなテクニックやメソッドがありますが、脳の賦活に有効なのでしょうか。

佐藤:若い頃の高い脳活動をトレーニングなどで維持することはよいことだと思います。しかし、一方で若い頃の知能に戻るということではないと思うのです。

 情報処理などの知能は年齢とともに衰えていきますが、一方で、年齢を重ねてますます高まる可能性のある知能があることがわかっています。「結晶知能」といって、理解や洞察力など、経験に基づいて獲得される知能です。年を取れば誰でも結晶知能が高まるのかといえば、そうではありません。外へ出て人に会い、新しいものを取り入れ、こころを動かした知的体験をするということが大切になります。

祖父江:知能といっても多面的にみる必要がありますね。たとえ計算が遅く、もの忘れがあっても、日々高まっていく知能がある。老いてこその知能があるということは、高齢者にとっては大きな励みになりますね。

不安や心配事を乗り越え、高齢者は幸福感が高い

祖父江:「死」をどのように考えるかは超高齢社会では大きな課題であると思います。

 私は軍医として戦艦大和に乗艦した経験があります。以前テレビの取材を受け、「戦艦に乗っているとき、死をどのように考えたか」と質問されました。「過去」「現在」「未来」の中で最も大切なのは、「現在」です。そして、その「現在」を積み重ねていくことが大切なのです。「今を生きる」「瞬間を生きる」ということで、死の恐怖を拭いされました。戦艦に乗って死を考えていたら、任務に付くことはできません。今、与えられた任務に忠実であることの一点に気持ちを集中することで、こころの安定を保てました。これは、実際に戦争に行ったからこそ得られた死生観です。

 戦後70年ほどが過ぎ、人々の死生観はどのように変わってきているのでしょうか。「生」や「死」をどのように捉えているのでしょうか。

佐藤:平和な現代の社会の中では、「死」をリアルに考えることができなくなってきているように感じます。いずれ「死」が訪れるとわかっていても、すぐに自分に「死」が訪れるとは考えていない。高齢者の方と話をする中で気が付くことですが、高齢者は若い人に比べ、人生の残された時間が少ないにもかかわらず、「死」を恐れることなく、ポジティブに日々を過ごしている方が多いのです。高齢期になると、ネガティブなことにあまり目が行かず、無意識的にポジティブなことに目が向きやすくなるようです。

 一方、若い人はネガティブな方向へ目が行きやすい。若い人は生きていく上での学習行為として、ネガティブなほうに目が行くのです。高齢者は若い頃にネガティブな経験をたくさんしてきたので、もうそれを学習する必要がありません。その結果、高齢者は楽しいことやうれしいことに目が行き、わりと幸福感が高いのです。

祖父江:客観的に見れば、若い人より高齢者のほうが、不安材料が多いようにみえます。それでも、その不安や心配事を乗り越えて、幸福感が高い。高齢者を理解するには、重要なポイントとなりますね。

高齢者の「環境」「行動」「こころ」3つを相互に考える

祖父江:これからの超長寿社会を乗り切っていくには、個の問題と社会の問題との2つがあります。ですが、国や自治体としては、施策を明確に打ち出していないように感じます。

佐藤:社会の問題も最終的には個人の問題につながると思います。たとえば、社会参加の機会をつくるという施策は国や自治体が行いますが、その場所へ高齢者にいかに出てきてもらうかについては、極めて個人の問題になります。したがって、高齢者自身が「行動に出る」ということが重要になります。国や自治体は、高齢者が社会参加しやすいようにサポートすることはできますが、外に出るか出ないかは個人の問題、モチベーションの問題です。

 社会参加には、「促進」と「抑制」の要因があります。「天気が悪い」「遠い」などいろいろな言い訳をして、こころに葛藤があり、ぱっと行動に出られない方がいる。そのような高齢者の背中を押してあげられるように、一人ひとりの「環境」と「行動」と「こころ」の3つを相互に考え、何が整えば、高齢者は行動に出られるのか、行動・心理学の立場から研究をしていきたいと思っています。

祖父江:国や自治体が、個々を引き出すような社会構造、高齢者が入り込みやすい環境を構築できていないということが常に議論になるところです。

佐藤:高齢者が社会参加するためには、最初の入り口をわかりやすくする必要があると思います。地域包括支援センターの職員の方に伺うと、「"地域包括支援センター"と看板が出ていても、いったい何をするところなのか」という住民の声を多く聞くそうです。

祖父江:国や自治体は地域包括支援センターを設置して、それでおしまい。「これで十分に活動できますよ」と、あとは現場に任せっきりという風潮がありますね。主役になる住民にきちんと周知していかなくては意味がありません。

佐藤:虚弱な方であっても、ご本人はなんとか生活ができているので、自分はまだ支援の対象になっていないと思っている方が多いと聞きます。ここにミスマッチが起きています。主観年齢が若いので、「私はまだ大丈夫」と思っている方が多いのでしょう。「老い」を実感して気弱な面を見せることもありますが、本来は有能感が高く、誇り高い高齢者のこころを汲んだ、違った側面からのアプローチが必要になると思います。

高齢者の内発的動機付けを高めるアプローチを

祖父江:高齢者に「生きがいを持ちましょう」と社会参加を促していますが、この生きがいというのを趣味の延長と誤解しているように感じます。生きがいというのは、もっと高度で高尚なものであって、達成感の中にその本質があるといわれています。高齢者にはこの達成感・満足感を充足する機会がもっと必要になると思います。

佐藤:シニアカレッジ、高齢者大学など、いわゆる高齢者の学習活動を支援する施設が各地にあります。旧文部省に生涯学習局ができた頃のことなので、もう20年以上も前の話になります。ある高齢者教室の新学期と1年後の修了式直前の2度にわたり、受講生に参加動機をたずねたことがあります。最初の回答では、友だち作り、ボケ防止などが上位を占めていたのですが、1年後の回答では、学ぶことが楽しくて参加し続けたという回答が圧倒的に多くなっていました。

祖父江:参加者の動機が変わった理由は、どこにあるのでしょうか。

佐藤:知的好奇心の充足に楽しみと喜びを見出していたということだと思います。このような行動をもたらす心理的作用を「内発的動機付け」といいます。最初のきっかけは些細なことでも、内発的動機付けが高まれば、その行動は継続するのです。

 また、大阪府高齢者大学校という自主運営のNPO法人があります。今年の入学生は2,500人近くになり、私も講義などで関わりを持っています。この規模ですから運営も大変です。運営するのも退職者などの高齢者で、しかもすべてボランティアです。運営する人たちは、一般の受講生よりもさらに熱心で、政策提言のための勉強会をしているそうです。

 私は別の研究で、支援を受ける側の人と支える側の人のウェルビーイング(幸福・健康)を比較したことがあります。すると支える側の人のウェルビーイングの方が高いことがわかりました。他者への貢献は、生きがいの追求とともに高齢者の幸福感を高めてくれる両輪なのでしょう。

高齢者自らが高齢社会の構築に参画していく

祖父江:災害時に備えて避難訓練をするように、まだケアの必要ない元気な高齢者も巻き込んで、ともに高齢社会を構築していくべきだと考えています。

佐藤:当事者意識というのでしょうか。災害が発生するとボランティアなどで援助ということになりますが、実際は、やはり当事者が中心になります。当事者というのは、高齢社会の中では高齢者に当たります。高齢者自らが高齢社会の構築に参画していただきたいと思っています。

 高齢者といっても65歳や70歳代の方なら、いくらでも社会資源になり得るのです。そういう方々が支える側になるような社会システムの構築が急務だと思います。

祖父江:その声をもっと大きくしていかなくてはなりませんね。社会資源を開拓する方策を国民は知らないので、国や自治体はサポートする必要があります。

佐藤:ちょうど団塊の世代が65歳となり、高齢者の仲間入りをしました。60歳代とまだまだ若く元気のある方たちです。その方たちもが当事者であり、もっと上の世代をサポートする。いずれはその方々も支えられる高齢者になりますから、豊な高齢社会を構築するためには、高齢者自らが活躍していく必要があります。

祖父江:20年、30年先にどのような高齢社会を構築していくか、その鍵を握っているのは、現役世代だけでなく、高齢者自らであることを知っていただきたい。

 高齢者自身が積極的に行動し、自らも中心となって高齢社会を構築していけるよう、今後も老年行動・心理学の側面から研究を進めていただきたいと思います。本日はお忙しい中、ありがとうございました。

(2014年10月発行エイジングアンドヘルスNo.71より転載)

対談者

佐藤眞一先生
佐藤 眞一(さとう しんいち)
1980年、早稲田大学教育学部卒業。1987年、同大学大学院文学研究科博士後期課程修了、1999年、埼玉医科大学より博士号授与。東京都老人総合研究所研究員、明治学院大学文学部助教授、マックスプランク人口学研究所上級客員研究員等、明治学院大学心理学部教授を経て、2009年より現職。『老いのこころ』(有斐閣)、『ご老人は謎だらけ』(光文社新書)、『認知症「不可解な行動」には理ワケ由がある』(ソフトバンク新書)など、著作多数。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.71

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