健康長寿ネット

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第99回 隠された記憶

公開日:2025年12月12日 08時40分
更新日:2025年12月12日 08時40分

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師


南アルプスの麓の森の中に隠れるように佇む村がある。私の母が生まれ育った所である。
母はその土地から天竜川沿いの里の村に嫁いできた。
昭和17年と思われるので太平洋戦争の最中であり母は19歳であった筈だ。
翌年に私が生まれると父は戦争に行き亡くなってしまった。
母は未亡人となり、私は戦災遺児となった。

6月になって雨が降りだすと私の脳の深い所に眠っていた遠い日の思い出が蘇るときがある。
Googleの地図上で私が生まれ育った村の右上にカーソルを移動すると山の中に母親が生まれた村が出てくる。
私は戦争で父を失った戦災遺児で、未亡人となった母親と祖父の家に住んでいた。

ある日、母と祖父の住む家から離れて母の実家に預けられていた。
そこへ見知らぬお兄さんが私を迎えに来た。
雨が降っていた。
茅葺の家の板戸の玄関に蓑を着たお兄さんが現れた。私は3歳であったはずである。
背の高い人だと思った。
その人は団らんの母の実家から私を雨の戸外へ連れ出した。
二人で畑の中の道を歩き、森に入って行った。
長い間、雨の中の暗い道を歩いた。
人に出会うことはなかった。
時折私を抱き上げて肩車をしてくれた。
長いトンネルのような山の中の道である。
森の出口には無人のお宮があった。
我が家に着くと庭に薄紫のアジサイが咲いて、杏子の匂いが漂っていた。
このエピソードは現在に続く記憶の始まりよりもずっと以前の記憶のようで、私の現実味のある記憶の路線とは離れたところに位置していた。

私を連れて雨の中を歩いていた人が誰であったのか曖昧であったが、年をとってみると一つ一つのエピソードがつながりを持つようになり、私の中に経験の位置づけが出来上がってきた。
その人は父の弟で母と結婚して私の義父となった人であったのだ。

伊那中央病院は天竜川の東の丘にある。
肺気腫を患っていた義父は私との60年を超える物語を終えて、そこで亡くなった。
母は57歳で亡くなり義父は義母を迎えて様々な物語を残して80歳で亡くなった。義父が亡くなったとき、病院の病室の窓から見えた平原には雪が舞い、二人で歩いた山の道は仙丈ケ岳から降り下りてくる吹雪に隠れていた。

義父は母の死後、後妻を娶り、二人で暮らしたが15年ほど前に亡くなった。残った後妻も昨年の5月に亡くなった。
義母の新盆に今でも残っている我が家へ行った。私の長男がどこからか私の戦死した父親の写真をもってきて見せてくれた。
義父が亡くなり義母も亡くなって、私の中で長かった戦争は終わった。
実の父が「息子がお世話になりました」と言ったであろう人たちがこの世にいなくなった。
戦争の後遺症は私の中に生涯を通じて残り続けていたのである。

パソコンを見ながら昔のことを思い出している著者を表す図

(イラスト:茶畑和也)

著者

写真:筆者_井口昭久先生

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師

1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。

著書

「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など

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