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認知機能が低下した人の医療ケアにおける意思決定

公開日:2023年10月14日 09時00分
更新日:2023年11月 7日 13時24分

井藤 佳恵(いとう かえ)

東京都健康長寿医療センター研究所 福祉と生活ケア研究チーム研究部長
東京都健康長寿医療センター 認知症支援推進センター長


 判断力が不十分な人の意思決定に、どのような意味があるのか。そして、そこに私たち医療者が関わることに、どのような意味があるのだろうか。本稿ではこの2つの問いを立て、認知症を抱えたひとりの女性のエンドオブライフの生き方を通して考察する。

症例提示

 症例提示から始める。

70代、女性、A
診断
アルツハイマー型認知症(中等症)、横行結腸がん
生活歴
生活歴不明。戸籍上、結婚歴はなく、子もいない。10年前から生活保護を受給。家族とは不仲で、唯一連絡先が把握できた親族である姉は、今回の治療に関しても一切の関わりを拒否。
現病歴
X年1月から家賃滞納あり、大家から福祉事務所に相談があった。
同年3月から電気料金を滞納し、5月に電気を止められた。
同年6月に、尿便失禁状態でファストフード店の中をふらふらと歩いていたところを警察に通報された。警察に呼び出されて身柄を引き取った福祉事務所の職員に連れられて、同日B精神科病院を初診した。

 認知症が疑われ、かつ、この数か月で急激に症状が強くなったと推察され、医療保護入院の適応と判断された。Aは入院に激しく抵抗し、入院時検査も実施できなかった。

「人権に最大限配慮した態度」のむずかしさ

 身体的にはおそらく重度の貧血、活動性の出血源があり、膨満した腹部から腸閉塞を疑った。認知症高齢者が進行がんを抱え、せん妄が重畳している状態ではないかと考えられた。A本人と状況を共有したいのだが、Aは会話にまったく集中できない。

医師:「もし大きな病気があったらどうしたいですか?」

A:「え? 通帳?」「ああ、あそこが出口ね」「検査なんて嫌よ」

 しかし「検査は嫌」という意思表示は一貫していた。この場合の、「人権に最大限配慮した態度」とはいかなる態度であろうか。認知症とせん妄を背景とする心理的混乱の影響が想定されても、「検査は嫌」というAの意思を尊重することが、Aの人権に最大限配慮した態度だろうか。あるいは、せん妄の影響を受けていることを根拠として、「検査は嫌」というAの意思を退け、せん妄が改善しAが治療を受ける機会を得る可能性を残すことが、Aの人権に最大限配慮した態度だろうか。

 この時は、治療を得る機会を残すことがAの人権に最大限配慮することになるのではないかと判断し、鎮静下で検査を実施した。言うまでもなくパターナリスティックな態度であり、この判断の妥当性については、意見が分かれるだろう。

医学的評価

 検査の結果、診断は、横行結腸がん、肝・リンパ節転移があり、stage Ⅳの進行がんであった。

 判断力がどれほど不十分だとしても、人は、自身の身に起こったことを引き受けて生きる。判断力の不十分さを理由に、他者が代わりに決めたとしても、その結果を引き受けるのは本人なのである。

 ここで、Aが引き受けなければならない状況を整理する。現時点で、1.がんの治癒の可能性はなく、2.医療に期待できることは苦痛の緩和、具体的には人工肛門造設による腸閉塞の解除と、輸血による倦怠感の軽減およびせん妄の改善、身体的苦痛の軽減による心理的混乱の緩和、3.医療行為を行わないことによるリスクは、がんによる腸閉塞から腸管破裂に至り死亡すること、であった。この時期、貧血の進行のため、Aは1日のほとんどを臥床して過ごすようになっていた。少し話をするだけで息がきれ、何かを考えることがむずかしい身体状況であるように見えた。

医療上の選択と倫理的課題

 Aに輸血の話をした。「他人の血が混ざるなんて気持ち悪いわね」と返ってきた。会話の流れと無関係に「手術なんて嫌」とも言っていたので、手術の話をされているという感覚もあったと想像する。

 ここまでで示されているAの意思を尊重して、「何も行わない」という判断もあり得る。明確な意思表示であったから、自立尊重原則を重んじるのであればそれが順当な選択かもしれない。一方、自身の状況をほとんど理解しないまま表示された意思を根拠に「何も行わない」ことは、倫理的に許容されるだろうか。

 輸血によって、貧血によるせん妄が一時的にでも改善できれば、対話を通して、Aが自身の病気と治療についてAなりに理解できる可能性があった。では、対話と理解の可能性のために、明確に示されたAの意思を再び退けることは、倫理的に許容されるのか。

 今回の入院前に、Aが輸血を目的に他院に通院していたことが把握されたこともあり、内科医と話し合い、1回だけと決めて輸血を行った。輸血によって一時的に貧血が改善した。落ち着いて会話ができるようになったこのタイミングで、病名を告げた。

 「そんなの困るわ。考えたことなかったもの」と即答し、「私、これから出かけるの。ごめんなさいね。明日も出かけるから、そうね、明後日、またいらしてちょうだい」と言って、それ以上の会話を回避した。無理にその先を聞かせることは過度な侵襲と判断してその日の面接を終えた。

理解と受容、あるいは現実への適応

 ところがその夜、Aが夜勤の看護師をつかまえて、「大変なことになったわ。私、がんなのよ」と話していた、という報告があった。2週間を限度として、本人の理解と現状への適応が追いつくことを待つ方針にした。せん妄が改善しても認知症は明らかであった。しかし「おなかにがんがある」という記憶はこの後も残り、「麻酔なんて怖い」とも言っていたので、手術の話も覚えているようだった。

 そしてこの時期に、いくつかのことがバラバラに語られた。

 「おっきな病院に行ってたのよ。行くたんびにね、『入院しよう、手術したほうがいい』って先生が言うの。しつこいから、行くのやめたの」

 「母が手術中に亡くなったのよ。なんてことない手術だって話だったのに、びっくりしたわ」

 A自身は、これらのことと、検査や手術に対する自身の心理的抵抗とを関連づけることはなかった。

フェーズの変化・意思の変化

 Aが語る体験からは手術を拒否する心情には理解できるところがあり、判断力の不足を理由にAの意思を退けることはできないという結論に達した。カンファレンスを開き、「手術はせず、腸閉塞の進行を注意深く観察しながら、この状態で、この病棟でみていく」という方針を、関わるスタッフ全員の間で共有した。

 そうしたところ、Aがしっかりと目を合わせて話すようになった。フェーズが変わりつつあると感じた。もう一度、がんは治らないこと、しかし苦しい最期にならないように人工肛門をつくる手術をしたいと思っていることを、Aに伝えた。拍子抜けする気軽さで、「私、もう少しがんばろうかしら」と返答があった。人工肛門も「当然」つくると言い、輸血についても「手術するなら当たり前じゃない」と了承された。そして「私、大病を患ってるの。だから施設に入りたいの。人にお世話されながら死にたいわ」と話した。

理解・意思・記憶

 記憶の保持は断片的であった。しかし「おなかにがんがある。がんは治らないが、痛くならないように手術をする。手術の際には麻酔と、必要であれば輸血をする」と、状況をきわめて単純化して、しかし正しく理解していた。しかし治療同意能力がないことは明らかであった。手続きとしては、今後一切関わらないと言っている姉の同意によって手術が行われた。

 術後しばらくは、手術を受けてよかったと話し、執刀医にも「名医ね!」と賛辞を送っていた。痛みが引くに伴い、手術の記憶も薄れ、執刀医に対する既知感も失われた。術後検査は一切拒否し、時間経過の中で、手術を受けたことも、大腸がんの診断も、想起できなくなった。一方で、人工肛門があることに対する違和感を訴えることはなかった。まるでずっと、それがそこにあったかのような態度で暮らしていた。本人の了承のもと成年後見申立てを行い、高齢者施設に退院した。

判断力とは何か

 「判断力のある成人なら、他人に危害を及ぼさないかぎり、自己決定を尊重される」1)。19世紀に功利主義を提唱したJSミルの他者危害原則である2)(自己決定と意思決定はほぼ同義で使われる)。では、「判断力が不十分であれば、自己決定を他者が制限することが、正当なものとして認められる」のだろうか。

 そもそも、判断力とは何か。臨床の場では、判断力、意思能力、意思決定能力、治療同意能力などの言葉が、あまり区別されずに使われる。これらの語の定義は、国・社会・文化・時代によって変化し、定まっていない。『認知症疾患診療ガイドライン2017』3)には、「意思能力とは、有効に意思表示をし、自己の行為の結果を弁識できる精神能力(判断力、意思決定能力)のことをいう」と定義されている。五十嵐は4),5)、意思決定能力と判断力について以下のように説明している。意思決定能力は、支援を受けて自らの意思を自分で決定することのできる能力であり、本人の個別の能力と、支援者側の支援力によって決まる能力であるとしている。治療同意能力は、インフォームド・コンセントを与えるために必要な判断能力で、意思能力のひとつである。そして、意思能力には、機能的能力、キャパシティ、コンピタンスの3つのレベルがある。機能的能力は、精神医学的・心理学的に客観的に連続量として測定可能な、認知機能としての意思能力である。キャパシティは、医療専門職によって判断される臨床的状態である。コンピタンスは、法律家、とくに裁判官が判定する法的身分であり、わかりやすく言うと、法律行為を単独で行うための能力が、ある/なしの二分法で判断される。

インフォームド・コンセント?

 20世紀、インフォームド・コンセントの成立に大きな影響を与えたとされる2つ判決がある。その要旨は、「医療が医療であるためには、自己決定権に基づいた患者の同意が必要である」(シュレンドルフ事件、1914年)、「その同意が有効であるためには、判断に必要な情報が開示されていなければならない」(サルゴ事件、1957年)というものである。これらがインフォームド・コンセントの骨格となった6)。つまりインフォームド・コンセントが前提としている人間像は、「自分のことが自分で決められる人間」であると考えられる。前項と同じ問いが立つ:では、判断力が不十分である患者の自己決定権は制限してよいのか。

 現実として、認知症高齢者は、しばしばそのような状況にある。比較的簡単に「認知症だから判断力がない」と誰かが判断し、家族による代諾が求められる。それは日本に限ったことではない7)。医療はインフォームド・コンセントに基づいて行われるべきである、それが現在の日本の医療の、揺らぐことのない規範である。しかし一方で、「高齢だから」「判断力がないから」家族にだけ病状説明を行い、家族とだけ話し合い、医師と家族で治療方針を決定するということも、医療の慣習として許容される。そのこと自体の是非を問いたいのではない。インフォームド・コンセントを当たり前の規範としながら、医療者も、そして家族も、こういったやり方にさしたる矛盾を感じていない状況をどのように考えるのかということが、認知症高齢者の意思決定をめぐる大きな問いではないのだろうか。

おわりに

 判断力が不十分な人の意思決定に、どのような意味があるのか。そして、そこに私たち医療者が関わることに、どのような意味があるのだろうか。

 判断力が不十分であることは、意思がないことを意味しない。治療同意書の署名に効力がないことは、意思決定能力がないことと同義ではない。そして、判断力がどれほど不十分であったとしても、治療を受ける主体はその人でしかありえず、治療を行うこと/行わないことの帰結を引き受けるのもまた、その人である。判断力が不十分である人の意思決定は、その人が自分の身に起こったことを受容し、自分の人生に統合していくプロセスである。

 他者が誰かの自己決定権を制限することには、控えめに言っても相当に慎重になる必要がある。自己決定を促す前に、ましてや制限する前に、「その患者が、自分の身体に起こっていることを受容し、選択する医療の予想される帰結について理解する」ことに助力するフェーズが必要である。臨床の中にある本質的な問いは、治療同意能力のある/なしではなく、医療者が「判断力が不十分とされる人の意思決定のプロセスが、本人にとって意味あるものであることを願うのか」という問いである。それは、「医療者がどのように関われば、その関わりが、本人にとって意味あるものになるのか」という問いでもある。

文献

  1. J.S.ミル: 自由論. 関口正司訳, 岩波文庫, 2020.
  2. 二見千尋: 功利主義. 倫理学案内―理論と課題 (小松光彦, 樽井正義, 谷寿美編), 初版. 慶應義塾大学出版会, 2006, p.19-34.
  3. CQ 5B-1 認知症者の判断能力や意思決定能力を評価することは可能か. 認知症疾患診療ガイドライン2017(「認知症疾患診療ガイドライン」作成委員会編, 日本神経学会監修) , 初版. 医学書院, 2017, p.183-185.
  4. 五十嵐禎人:判断能力の精神医学的評価. 司法精神医学 2017; 12(1): 34-46.
  5. 五十嵐禎人:【進行期の認知症と終末期医療】進行期認知症の人の意思能力の評価と意思決定支援. 老年精神医学雑誌 2020; 31(12): 1269-1279.
  6. インフォームド・コンセント. 医療倫理学のABC(服部健司, 伊東隆雄編), 第4版. 株式会社メジカルフレンド社, 2018, p. 62-75.
  7. Visser M, Smaling HJA, Parker D, van der Steen JT: How Do We Talk With People Living With Dementia About Future Care: A Scoping Review. Front Psychol. 2022; 13: 849100.

筆者

いとうかえ氏の写真。
井藤 佳恵(いとう かえ)
東京都健康長寿医療センター研究所 福祉と生活ケア研究チーム研究部長
東京都健康長寿医療センター 認知症支援推進センター長
略歴
1993年:東京大学文学部フランス語フランス文学科卒業、2002年:東北大学医学部卒業、東北大学病院精神科入局、2010年:東京都健康長寿医療センター研究所自立促進と精神保健研究チーム研究員、2015年:東京都立松沢病院精神科医長、2021年より現職
専門分野
老年精神医学

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health 2023年 第32巻第3号(PDF:5.4MB)(新しいウィンドウが開きます)

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