第107回 麻酔から覚めるとき―私の経験による「意識」と「こころ」の違い―
公開日:2026年8月14日 08時30分
更新日:2026年8月14日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
「意識」という用語の使われ方は途方に暮れるほど千差万別で、定義もさまざまである。
「こころ」と言う言葉も曖昧で実態をつかみにくい。
「意識」と「こころ」は違うのか?となると更に分からなくなる。
二つの言葉の違いを述べるのは、くっついてしまった2枚のセロファンの薄紙をはがすのに似て難しいが、私は「意識」と「こころ」の違いを実感した経験があるので、忘れぬうちに書き残しておこうと思う。
- 食道癌
13年前に食道が閉塞して水も通過しなくなり、緊急で大学病院へ入院して、食道癌に罹患していることが分かった。
癌細胞は肺のリンパ節に転移しており根治手術の適応ではなかった。
放射線と化学療法に頼らざるをえなかったが、幸いなことに予想に反して私の癌は消えた。
2年後に再発したが、再度の化学療法で治った。
それから今日まで11年が経った。
発症から現在まで食道内視鏡による検査を繰り返してきた。
最初の年は1年に6回以上、次の年には3か月に1回、3年後からは1年に2回の検査をした。5年後からは年に1回の検査であった。
内視鏡による苦痛を逃れるために検査の度に主治医にお願いして静脈麻酔をしてもらった。
麻酔を累計30数回以上受けたのだが、その度に意識喪失を繰り返した。
同じことを30回以上繰り返した私は、麻酔から覚めるときの経験から意識とこころの違いが分かったような気がした。 - 内視鏡検査のための麻酔
胃カメラ用の部屋へ入ると看護師から喉の周辺の筋肉を麻酔するためのゼリー状の薬を渡される。口に含んでうがいをするのだが、何とも言えぬ不愉快な味である。
点滴から麻酔薬が注入されると数秒で意識がなくなる。
医師による内視鏡の検査の間、私は完全にこの世から消えている。 - 麻酔から覚める時
麻酔から覚醒するのは内視鏡の検査が終わって数分経た頃である。
最初に気づくのは雑音である。人の歩く足音がして遠くの方で人の声がする。
目を開けると天井が見えて、傍らのカーテンが目に入る。
この状態は「意識」が戻る状態であり「こころ」はまだ戻っていない。
麻酔から覚醒するとき、初期の状態を「意識が戻った」という。「こころが戻った」とはいわない。 - こころ
「こころ」は意識の後に時間差を置いて蘇ってくる。
カーテンに仕切られた空間におり、ベッドに寝ていることが分かる。
それから胃カメラの検査のために麻酔をかけられたことを思い出す。
別室に移されて麻酔から覚めるのを待っている身であることが分かるのはこころが戻ってくる時である。 - 覚醒
数分後に、胃カメラの結果はどうであったのだろうか?食道癌の再発はなかったのだろうか?などと脳が活動を始める。
そして空間的、時間的に自分の置かれている立場を理解する。
とめどもなく唾液が出始める。
唾液を拭うためにティッシュが必要である。「看護師さんティッシュをお願いします」と声を上げることができた時は意識とこころが戻った時である。 - 私見による「意識」と「こころ」の違い
この頃、普段の生活でも「意識」と「こころ」のズレを感じることがある。
最近我が家の隣の林で鶯が鳴いている。
「鶯が鳴いている」のが分かるのは意識である。季節外れであると気が付くのはこころである。

(イラスト:茶畑和也)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」「老いを見るまなざし―老いは神の呪いか恩寵か」(いずれも風媒社)など