第2回 認知症介護の落とし穴 ケアとコントロール
公開日:2025年7月18日 09時00分
更新日:2025年7月18日 09時00分
こちらの記事は下記より転載しました。
佐藤 眞一
大阪大学名誉教授、社会福祉法人大阪府社会福祉事業団特別顧問
同居していた母方の祖母は、私が10歳の時に認知症であることが判明した。異常な行動に悩んでいた母が、かかりつけ医に相談したところ、紙に「痴呆症」と書いて見せて、治療のできない老化現象で、異常行動はますます増えてくるから、あとは家族で面倒をみるようにと言われたとのことだった。私たちにそう話しながら、母は泣いていた。この先を悲観していたのかもしれないし、母親が娘の自分のことさえもわからなくなってしまったことが悲しかったのかもしれない。
この原体験が、その後、研究者として認知症と対峙する際に、私の心の底から蘇ってきた。
母は、真剣に認知症の祖母の介護に向き合っていた。しかし、冷静に研究者の目で改めて思い出してみると、問題点も見えてきた。
例えば、祖母が夜中に起き出して、キッチンのガス台にあった鍋に火をかけて忘れてしまい、残っていた味噌汁の焦げる匂いに気づいた母が、急いで火を消すということがあった。自分の部屋で寝ていた祖母を起こして、焦げた鍋を見せながら、火事になったらどうするのかと問いただしていた。
翌日、道に迷っていた祖母を近所の人が連れて帰ってきてくれたのだが、祖母は手にアルミの鍋を握っていた。
そのことをあとになって考えてみると、火事になることを恐れて祖母を叱っていた母の心情は祖母には伝わっておらず、祖母は焦げた鍋を見せられて怒りの声を上げている母を見て、翌日、近所の金物屋に行って新しい鍋を手に入れたものの、帰り道がわからなくなってしまい、近所の人に連れられて帰ってきたのである。
その後、母は祖母の部屋で一緒に寝るようになった。祖母が夜中に起きてもわかるように、手首と手首をひもでつないでいたことを私も知っていた。ある夜、私が祖母と母が寝る部屋の前を通りかかった時に、母が「おばあちゃん、一緒に死んじゃおうか」という声と、それに続いて祖母の「死ぬのは嫌だよ、怖いよ」という声が聞こえてきたことを覚えている。この会話を思い出して考えてみると、母の言葉は介護の苦しみが言わせてしまった、いわば独り言のようなものである。一方で、それを聞いた祖母の反応は母の気持ちを推し量るようなものではなく、極めて表面的なもので、母の苦悩とは明らかにすれ違っている。
しかも、ただすれ違っているだけではなく、味噌汁の出来事では、祖母は鍋を焦がしたと母に叱られていると感じたのであろうし、「死んじゃおうか」の会話では、祖母の認知症に苦しんでいる母の様子が理解できる。しかし、祖母と母の会話はすれ違っている。
母は必死に介護をしていた。つまり「ケア」をしていたわけである。しかし、無意識とはいえ、祖母が鍋を買いに行かなくてはいけないような態度で行動を支配していた。つまり「コントロール」をしていたのである。
会話の例では、祖母は自分の認知症のために母を苦しめていることには気づいていない。しかし、介護せざるを得ない状況をつくったのは、病気なのだからやむを得ないとはいえ、祖母が原因である。つまり、認知症の祖母が母を苦しめているという意味では、母を縛り、支配し、コントロールしていると捉えることができる。
ケアであったはずの介護が、いつの間にか互いが互いを縛るコントロールに変貌してしまっているのである。相手を思いやるケアが、相手を縛るコントロールになってしまう例は、人間関係のあらゆる場面で起こり得る。親子関係、夫婦関係、友人関係、恋人関係、仲間関係などを想像すれば、すぐにも事例が思い浮かぶ。しかし、そのことを表面だって問題にすれば、関係性は壊れてしまう。私たちは、人間関係のケアとコントロールを指摘されればそうと気づくが、そうでなければ意識下に閉じ込める心理規制が働く。
認知症の介護者であれば、ケアから始まったはずの介護が、意図せずにコントロールになってしまっていたことを指摘されれば、それに思い当たる節があるであろう。一方で、認知症の本人がそれに気づくことは難しいかもしれない。
では、こうした相手を縛り、支配する、コントロールと見なされる行為を、介護者の虐待と決めつけてしまってよいのだろうか。相手を思いやる行為であるケアが、意図せずにコントロールになってしまっていることを鑑みても、介護に悩んでいる家族介護者に、その行為を虐待だと責めることはできないように感じる。
しかし、問題は起こっているのである。私は、介護にはこのような落とし穴があることを、介護者が知っていることが重要だと考えている。つい言ってしまった言葉が相手を傷つけているのではないか、こうした行動が相手に嫌な思いをさせてしまっているのではないか、と自分に問うことが重要だと思う。そのような内省が介護者には必要なのである。
介護者の悩みは尽きることがなく、毎日苦しんでいることも理解している。しかし、苦しいのは介護を受けている認知症の本人も同じであることを、介護者側が知っていることが大事だと思っている。そのような内省が繰り返されることで、介護者が認知症の要介護者を苦しめることが少なくなれば、介護も多少は楽になると考えるからである。
著者

- 佐藤 眞一(さとう しんいち)
- 早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(医学)。東京都老人総合研究所研究員、マックスプランク人口学研究所上級客員研究員、明治学院大学心理学部教授、大阪大学大学院人間科学研究科教授などを経て、現在、大阪大学名誉教授、社会福祉法人大阪府社会福祉事業団特別顧問。専門は老年心理学、老年行動学。『心理老年学と臨床死生学』(ミネルヴァ書房)、『老いのこころ--加齢と成熟の発達心理学』(有斐閣)、『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』(光文社)、『心理学で支える認知症の理論と臨床実践』(誠信書房)など著書多数。
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