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認知症の人と家族が歩んできた道─本人と家族が主人公の社会めざして─

公開日:2020年4月30日 09時00分
更新日:2020年4月30日 09時00分

鈴木 森夫(すずき もりお)
公益社団法人認知症の人と家族の会代表理事


はじめに

 2020年1月20日、厚生労働省が主催して「認知症の本人大使(希望大使)」任命式のイベントが行われた(写真1)。これは、2019年6月に政府が策定した「認知症施策推進大綱」の中で、施策の柱として「本人発信支援」が打ち出され、地域で暮らす認知症の人本人とともに普及啓発を進め、認知症の人本人が自らの言葉で語り、認知症になっても希望を持って前を向いて暮らすことができている姿などを積極的に発信していくという方針の下に開催された。

写真1:希望大使任命式の様子を表す写真。
写真1 希望大使任命式(2020年1月20日 全社協・灘尾ホール)

 5人の希望大使の1人、藤田和子さん(日本認知症本人ワーキンググループ代表理事)は、大使活動への抱負と希望を、静かな語り口ながら、力強く語った。

 「『希望大使』が誕生した今日、2020年1月20日が認知症とともに生きる共生社会の新たな幕開けになることを心から願っています。私たち5人がこうしていられるのは、認知症であっても、自分自身そして地域のために、前を向いてともに歩んできている各地の多くの仲間たち、そして味方の存在があってこそです。そして、一足先に認知症になり、旅路の先を歩きながら、こうして私たち本人が、社会に向けて勇気を奮って発信する道を切り拓いてくれた認知症の先輩の方々に、心から敬意と感謝をお伝えしたいと思います。私自身、これから先、歳を重ね、いろんなことが起きると思いますが、希望を持って私らしく、生きていきたいと思います。みなさん、どうぞ一緒に、認知症とともに希望のある暮らしと社会をつくっていきましょう」という前向きの言葉とともに、まだまだ解消されないこの社会の現実への思いを語ることも忘れなかった。

 「今なお認知症の人1人ひとりが絶望的な思いの中にいます。この社会にはまだ根強く差別と偏見が残っています。私は今、気力をふりしぼってこの場に立っています」と。

 ゲストスピーカーとして参加した私は、この日が、奇しくも、「認知症の人と家族の会」が、ちょうど40年前、「呆け老人をかかえる家族の会」として結成した日であったということ、その後の本人や家族、支援者の地道な活動が、希望のリレーとして今日につながっていることを話した。

「呆け老人をかかえる家族の会」の誕生

 「ボケを見つめるということは老いを凝視するということ。老いを見つめるということは、死を見つめるということ。死を予見するということは、生きる尊さを知るということ─そうです。生かせてください。生き抜いてください。必死で支えるあなたの手を、みんなが支えるのです。(以下略)」

 これは、「認知症の人と家族の会」(以下、「家族の会」)の前身、「呆け老人をかかえる家族の会」の会報『家族の會』創刊号1)に「この道はいつか来る道」と題して寄せられた「家族の会」の生みの親、早川一光医師の言葉である。

 当時、認知症は、地域医療や老人医療に熱心だった医師にもまったく打つ手がなかった。京都新聞社が主催した「高齢者なんでも相談」で「ぼけ相談」を担当していた早川医師や三宅貴夫医師は、「家族どうしが集まったら」「当事者が行動しないと世の中は変わらない」と相談に訪れた家族たちに呼びかけ、「家族の集い」が始まった。集いに初めて出席した髙見国生氏(当時、養母を介護中)は、衝撃的な出会いだったと次のように述べている。

 「介護しているものどうしが話しあった、そのときの衝撃は忘れられません。誰にもわかってもらえないと思っていた苦労がすっとわかってもらえます。自分よりもっと大変な介護をしている人もいました。気持ちが軽くなり、もう少し頑張ろうという気持ちになったのです。苦労している者どうしがつながることの大切さを知りました」

 こうして、今から40年前、月1回開かれていた「家族の集い」から「家族の会」を結成することになった。その動きを京都新聞が大きく取り上げ、それを見た全国紙が続いて取り上げた。全国紙は小さな記事だったが、この記事が想像を超えた反響を呼んだのである。

 1980年1月20日、雪が舞う寒い日、京都市岡崎の芝蘭会館で結成総会が開かれた(写真2)。それまで、相談窓口もなく、孤立無援の中で介護を続けてきた人たちが集まりを持ち、気兼ねなく話しあう機会が生まれたのである。京都の家族と関係者20人ほどの集まりのつもりだったが、新聞を見た人たちが、九州から東京から千葉から岐阜から90人も集まってきた。主催者の思いを超えて、初めから全国的な「家族の会」として発足することになったのである。

写真2:京都市岡崎の芝蘭会にて行われた家族の会結成総会の様子を表す写真。
写真2 結成総会(1980年1月20日 芝蘭会館)

 代表に選ばれた髙見氏は、会報の創刊号1)で「おたがい、それぞれにとって大切な人である父や母、夫や妻が、呆けてしまったその悲しみと介護の苦労、やり場のない家族の胸のうちが、あの日、芝蘭会館に集まっていました。家族は、もうひとりぼっちではありません。もうバラバラではありません。呆け老人をかかえたのも、人生の何かの縁です。励ましあって、助けあっていきましょう。呆け老人の問題は、現在介護中の家族だけの問題ではありません。みんなの問題なのです。社会の問題です。いま私たちは家族だけの負担と犠牲で介護をしていますが、本来もっと社会の手が差しのべられるべきです。もっと政治の光が当てられるべきです」と呼びかけた。

 こうして、「家族の会」は、介護家族どうしや本人どうしが互いに励ましあい、助けあうという、地道な「ピアサポート活動」(「つどい」「会報」「電話相談」)と認知症の問題を社会全体の問題として捉え、介護保険などの支援制度がない時代も、制度がスタートしてからも、制度が後退を続ける今の時代も、当事者である本人・家族が自ら世の中に働きかけ、認知症への理解と支援策を進めるという「市民運動」の両方を取り組んで、今日に至っている。

認知症になっても心は生きている 家族として、ともに生きていこう

 今日の「新オレンジプラン」や大綱の源流ともいえる、2012年に厚生労働省認知症施策検討プロジェクトチームの報告書2)の冒頭、「これからの認知症施策の基本的な考え方」にはこう記されている。

 「世界に類をみない長寿国である日本で、高齢者が認知症になっても、尊厳をもって質の高い生活を送ることは、私たちの共通の望みである。かつて、私たちは認知症を何も分からなくなる病気と考え、徘徊や大声を出すなどの症状だけに目を向け、認知症の人の訴えを理解しようとするどころか、多くの場合、認知症の人を疎んじたり、拘束するなど、不当な扱いをしてきた。今後の認知症施策を進めるに当たっては、常に、これまで認知症の人々が置かれてきた歴史を振り返り、認知症を正しく理解し、よりよいケアと医療が提供できるように努めなければならない」

 「家族の会」が結成された後も、世の中の認知症に対する考え方が変わるまでには、長い時間が必要だった。結成当初、家族の切実な思いは、「認知症を発症し大変な状況になってしまった本人をどうやって世話していこうか」ということだった。そこには、世の中がそうであったように、「ぼけても心は生きている」の言葉もなく、「人としての尊厳」という発想は希薄だった。家族は、認知症に対する正しい理解や知識がなく、介護経験もない中で、「ぼけたら何もできない、何も分からない」という認知症観に縛られていた。それでも、「家族だから、かかわらないわけにはいかない」のであって、「ともに生きる」覚悟に心が揺れながらも、必死で介護を続けていたのである。

 しかし、それから本人も家族も認知症に向きあう経験を重ね、互いに助けあい、励ましあいながら、交流していくうちに共通の思いを持つようになった。認知症の人も同じように、不安や怒り・悲しみ・喜び・やさしさ・感謝といったいろんな思いを抱いて生きていること。つまり「ぼけても心は生きている」ことに気づいたのだ。

思いを語る本人が続く

 2000年頃になって、自ら思いを語る認知症の人が出始めた。オーストラリアの政府高官であったクリスティーン・ブライデンさんもその1人である。日本では『私は誰になっていくの?』3)が出版され、2003年11月、クリスティーンさん夫妻が京都の「家族の会」を訪問された。翌年の2004年10月、国立京都国際会館で「家族の会」が国際アルツハイマー病協会(ADI)第20回国際会議京都2004を開催した。その時、57歳の日本人男性、越智俊二さんが、「治りたい、働きたい、妻に恩返しをしたい」と語り、満席の会場は感動に包まれ、日本と世界の認知症ケアが大きく変わるきっかけとなったと言われている。

 越智さんが語ったことは、多くの認知症の人にも勇気を与えた。その後、各地で名前を公表して思いを語る本人が続き、2007年には座談会、「我ら病を持って されど日日是好日なり~認知症男性3人大いに語る~」を開催した。参加者からは、「発言の1つひとつがとても重く、人生について考えさせられた」「当事者の思いを聞くことは偏見を変えてくれる」などの声が寄せられた。認知症の本人が思いを語る時代を切り拓いたできごとだった。

「かかえる」から「ともに生き、認知症になっても安心して暮らせる社会」へ

 「痴呆」が「認知症」という言葉に改められたのは、2004年12月のことだった。それから2年後の2006年、私たちは会の名称を「呆け老人をかかえる家族の会」から、「認知症の人と家族の会」に改めた。これは「認知症」という言葉ができたことによる変更だけではなく、深い意味があった。つまり、「呆け老人」を「認知症の人」に変えただけではなく、認知症本人も家族も組織と社会の主人公であるべきと考え、「認知症の人の家族の会」ではなく、「認知症の人と家族の会」としたことである。これまでの家族と本人の関係を介護する者とされる者から、本人と家族が助けあい、支えあって、一緒に「認知症になっても安心して暮らせる社会をつくる」という決意表明でもあった。

「家族の会」の理念に込められた思い

 結成30年目を迎えた2009年6月の総会で、私たちは「家族の会」の理念を定めた。今から10年前だが、結成以来、家族どうしが励ましあい助けあい、社会の理解を進め施策の前進を促してきた歴史を背景にして生まれたもので、これからも、認知症とともに生きる社会の羅針盤として、常に立ち戻る原点である4)

理念

 認知症になったとしても、介護する側になったとしても、人としての尊厳が守られ日々の暮らしが安穏に続けられなければならない。

 私たちはかつて、認知症の人は何も分からない、何もできない人と考えていた。意味不明、理解不能な言動に振り回され、日々の介護に疲弊していた。しかし、自分を育ててくれた親や、人生をともに歩んできた夫や妻を見捨てるわけにはいかない。つらくても看なければならない。そのためには、介護する家族の健康と人権が守られなければならない。そう思って、介護家族への理解と支援を求めてきた。

 しかし、私たちは介護の中で、また多くの良心的な専門職の取り組みの中で、「ぼけても心は生きている」という言葉にたどり着いた。そしてそれは、ADI第20回国際会議京都2004で認知症の人が思いを語り、その後に続く大勢の本人の発言や文章により証明され社会の常識となった。

 認知症は病気である。認知症でなくてもどんな病気であっても、病を持った人が人として尊重され尊厳を持った人生が送れることは当然の願いである。また、認知症の人を介護する者が、介護のために健康を害し職を失い生活することなどがあってはならない。介護をする側になったとしても、尊厳ある人生が送れることは、これもまた当然の願いである。病を持って生きる、介護をしつつ生きる、それは日常の暮らしの営みである。人として尊厳が守られるとともに、社会的にも平穏であることは何よりの願いである。

理念

 認知症の人と家族の会は、ともに励ましあい助けあって、人として実りある人生を送るとともに、認知症になっても安心して暮らせる社会の実現を希求する。

 認知症の人どうし家族どうし、そして認知症の人と家族が励ましあい助けあって、生きること介護することへの勇気をわかすことは、「家族の会」が存在する原点である。それとともに、病を持ったとしても介護することになったとしても、そのことを負の経験にするのでなく、事実を見つめ、それ以降の人生を前向きに考え、仲間とともに生きることによって実りある人生を送ることができる。「我ら病を持って されど日日是好日なり」と語った認知症の人たち、「母が認知症になったおかげで多くのすばらしい友人に出会えた」と語る家族の言葉がそのことを証明している。

 認知症になったこと、介護することになったこと自体が不幸で人生の終わりではない。たしかに、「家族の会」結成の頃はそのような時代であったかもしれない。しかし、「家族の会」の働きと社会の理解の進展は、確実に時代を前に進めてきた。認知症新時代を招きよせた。いまだ不十分な面は多々あるが、この道をさらに進めれば「認知症になっても安心して暮らせる社会」の実現は夢ではない。私たちはそのことに希望と確信を持って希求するものである。

おわりに

 国際アルツハイマー病協会(ADI)(日本では「家族の会」が唯一の加盟団体)が、2019年4~6月に、インターネットで世界規模の「認知症に関する意識調査」5)を行った。日本も含めて155の国と地域の本人や家族、支援者や一般市民など7万人が参加した。調査結果からは、偏見や否定的な見方が根強く残る状況が浮き彫りになった。この中で認知症の本人は、85%以上が、「自分の意見を周囲が真剣に受け止めてくれないことがある」と回答。家族の半数は自らの健康問題や仕事上の問題をかかえていると回答。35%は、周囲に対して診断を隠した経験があることがわかった。また、一般の人では、自分が認知症であるとしたら、人に会うときそれを隠すようにすると答えた人が世界全体で20.2%(日本19.7%)だった。その他、認知症のイメージで、「認知症の人は衝撃的で予測しがたい」と思っている人は、全体で63.6%(日本46.8%)だった。

 また、2020年1月に日本の政府(内閣府)が発表した「認知症に関する世論調査」6)によると、「認知症に対して持っているイメージで最も近いものは」という問いに対して、「認知症になると、身の回りのことができなくなり、介護施設に入ってサポートを利用することが必要になる」が最も多い40%だった。「認知症になっても、医療・介護などのサポートを利用しながら、今まで暮らしてきた地域で生活していける」33%、「認知症になっても、できないことを自ら工夫して補いながら、今まで暮らしてきた地域で、今までどおり自立的に生活できる」7%と肯定的なイメージの人も合わせて40%あった。逆に、「認知症になると、暴言、暴力など周りの人に迷惑をかけてしまうので、今まで暮らしてきた地域で生活することが難しくなる」と「認知症になると、症状が進行してゆき、何もできなくなってしまう」という否定的なイメージの人も16%いた。この傾向は、2015年の同調査と大きな変化はみられなかったようであった。

 これらの数字からも、世界でも日本でも、未だに認知症に対する正しい理解の不足で、根強い誤解や偏見が残っていることがわかる。

 2019年6月、政府が策定した「認知症施策推進大綱」7)において、「共生」とは、「認知症の人が、尊厳と希望を持って認知症とともに生きる、また、認知症があってもなくても同じ社会でともに生きる、という意味である」と定義し、「引き続き、生活上の困難が生じた場合でも、重症化を予防しつつ、周囲や地域の理解と協力の下、本人が希望を持って前を向き、力を活かしていくことで極力それを減らし、住み慣れた地域の中で尊厳が守られ、自分らしく暮らし続けることができる社会を目指す」と、これからの社会のあり方を明確に述べている。

 私たち「家族の会」は、これからも「認知症とともに生きる社会」の実現に向け、国や自治体、地域の人々と力をあわせて、取り組みを進めていきたい。

文献

  1. 呆け老人をかかえる家族の会:会報「家族の會」創刊号, 1980年2月.
  2. 厚生労働省認知症施策検討プロジェクトチーム:今後の認知症施策の方向性について.2012年6月.(2020年2月26日アクセス)(PDF)(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)
  3. クリスティーン・ボーデン(著), 桧垣陽子(訳):私は誰になっていくの?─アルツハイマー病者からみた世界.クリエイツかもがわ,2003.
  4. 認知症の人と家族の会:理念と未来を考える学習会テキスト, 2018.
  5. Alzheimer's Disease International(ADI): World Alzheimer Report 2019: Attitudes to dementia.(2020年2月26日アクセス).(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)
  6. 内閣府:認知症に関する世論調査(令和元年12月調査)(2020年2月26日アクセス).(PDF)(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)
  7. 認知症施策推進関係閣僚会議:認知症施策推進大綱.(2020年2月26日アクセス)(PDF)(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)

筆者

写真:筆者_鈴木森夫先生
鈴木 森夫(すずき もりお)
公益社団法人認知症の人と家族の会代表理事
略歴
1974年:愛知県立大学社会福祉学科卒業。愛知県および石川県内の病院、介護施設で、医療ソーシャルワーカー、特別養護老人ホーム施設長、介護支援専門員(ケアマネジャー)として勤務(2017年3月まで)。1984年:「家族の会」石川県支部の設立に参画、以後事務局長、世話人として活動。2015年:「家族の会」本部常任理事、2017年6月より現職。日本認知症官民協議会実行委員、金城大学非常勤講師、精神保健福祉士

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&HealthNo.93

Aging&Health(エイジングアンドヘルス)No.93(新しいウィンドウが開きます)

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