健康長寿ネット

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総論:人はなぜ笑うのか

森下 伸也(もりした しんや)

関西大学人間健康学部教授

ヘラクレイトスは泣き、デモクリトスは笑った

 西洋では古来より、「ヘラクレイトスは泣き、デモクリトスは笑った」と言われてきた。ヘラクレイトスもデモクリトスも古代ギリシアの哲学者である。前者は「万物は流転する」の言葉で知られ、後者は原子論の提唱者として有名である。ヘラクレイトスが泣き、デモクリトスが笑ったのはどちらも世の無常と不条理である。「泣く哲学者」ヘラクレイトスはそれを嘆いて泣き、「笑う哲学者」デモクリトスはそれがどうにもあほらしくて笑ったのだそうである。このように人間は気の持ちようで、同じことに笑うこともできれば泣くこともできる。別の言い方をすれば、「人は何にでも笑える」ということだ。

 人間の行動は一般に、【刺激⇒情報処理⇒反応】という構造になっているが、その観点からみると、笑いの構造は(A)笑いを引き起こす「笑い刺激」⇒(B)入力された刺激情報を「笑え!」という運動情報へと加工して出力する「笑いの脳内処理」⇒(C)筋肉を中心とする身体内の諸部位を活動させて生じる「笑いの身体運動」と分析できる。たとえば、(A)冗談を聞く⇒(B)冗談を理解し、おかしいと感じ、声を出して笑えと脳が指令する⇒(C)「はっはっは」と笑うという具合である。これは極端にわかりやすい例であって、こんなことで笑いをわかった気になってはいけない。笑いは複雑で極めがたい現象であり、そこにこそ「笑い学」の醍醐味の源泉がある。

 (A)(B)(C)のうち、最も厄介なのは(B)である。この過程を明らかにすることを中心的に担うのが脳科学(神経科学)であるが、猛スピードで発展しつつある脳科学でもなかなか笑いの謎に追いつけないのが現状である。しかし、たとえば「笑いの伝染現象」はミラー・ニューロンという神経細胞の働きであるとか、自分で自分をくすぐっても笑えないのは、くすぐる側の神経が作動するとくすぐられる側の神経が停止するからだといった知見が急速に蓄積されつつあり、笑いの脳科学は前途大いに有望である。

 「人は何にでも笑える」とは、(A)が無限に多様であり得るということ。人が笑うのは何も楽しかったりおかしかったりするからとは限らない。心にもない愛想で笑い、苦しまぎれに笑い、痛がりながら笑い、悲しいときに微笑み、恐怖のあまりに笑ったりするのが人間である。笑い刺激のこうした過剰な複雑さについては後で立ち返るとして、その前にまず、(C)笑いの身体反応について多少立ち入って考えてみよう。

人間が持つ2つの笑い「微笑」と「音笑」

 万学の祖アリストテレスが『Parts of Animals』(動物部分論)の中で「人間だけが笑う動物である」と説いて以来、2千年以上ずっとその言葉が繰り返されてきた。しかし、進化論の祖ダーウィンは『The Expression of the Emotions in Man and Animals』(人間および動物の表情)の中で「霊長類も笑う」と反論した。実際、チンパンジーやゴリラ、とりわけ子どもたちは遊びの中で互いにじゃれ合って笑う。その笑いの目的は自分たちが遊んでいることを相互に確認し、きずなを強めることにほぼ限定されている。そのため、愉快だから、おかしいから、ましてや苦しまぎれに笑ったりすることはない。その意味では、本格的に笑うのはやはり人間だけだ。

 笑いの表情は、頬を冷笑的にピクッと動かすだけのものから、涙を流し、手を打ち、足を踏み鳴らし、身をよじらせての大爆笑まで実に千変万化である。一見「笑い刺激」と同じぐらい多様であるように思えるが、分類するのははるかに簡単である。笑いの身体運動の中心になるのは「笑顔」と「笑い声」の2つで、これをもって笑いを2つに大別することができる。声がなく顔の表情だけの笑いと声を上げての笑い、つまり英語の「smile」と「laugh(ter)」である。以下、それぞれ「微笑」「音笑」と訳すことにしよう。

1.微笑:Smile

 微笑も音笑も本能的行動である。まずは前者から。人間は母親の胎内で妊娠8か月頃から微笑し始める。条件次第では、赤ちゃんは生まれたその日から微笑することができる。特に睡眠時によく現れるこの笑顔を「新生児微笑」と呼ぶ。胎内にいるときから微笑するのは、生まれたらすぐに微笑できるようになるための表情筋の準備運動らしい。

 なぜ生まれてすぐに微笑むのか。人間は他の動物に比較して際立って大きな脳をしているので、他の動物と同じくらい身体が成熟する段階まで胎内にいると、脳が巨大になりすぎて頭が産道を通れなくなる。そこで、人間は頭が産道を通れる段階で出産する。それで約1年早産することになるといわれており、その結果、人間の赤ちゃんは全動物中最も未熟でひ弱な存在になった。極端にひ弱だから、人間の赤ちゃんは周囲の人間たち、とりわけ親の念入りな養育行動を必要とする。親から積極的な養育を引き出すために最も重要なのは親に「かわいい」と思ってもらうことである。赤ちゃんが一番かわいく見えるのはどんなときか。それは言うまでもなく、ニコニコしているときである。したがって、新生児微笑は赤ちゃんの本能的なサバイバル戦略なのである。

 成長途上で間もなくこの微笑は機嫌のよさを表す表情となる。その一方で、成長してからも親のみならず他人に好意を持ってもらうために不可欠な表情であり続ける。すなわち、微笑とは、人間たちが好意を持って機嫌よく接し合い、関わり合うために不可欠な表情といえる。人類は優れた頭脳を持つ動物であると同時に、他に比類なき社会的動物である。社会的動物が存続するためには個体間のコミュニケーションが必要で、人類はコミュニケーション手段を著しく高度に発達させることになった。その頂点をなすのは言語であるが、言語はジェスチャーの進化形態である。そして、そのジェスチャーの最も主要な基盤となるのが顔の表情である。できるだけ豊かな意味を伝達できるよう、つまりできるだけ多くの表情が演出できるよう、結果的に人類の顔面には他の動物には見られない多数の微細な筋肉が発達した。約20種類の表情筋がそれである。

 言語やジェスチャーのシステムは文化によって異なるが、最もベーシックなコミュニケーション手段である表情のシステムは非常に普遍性が高く、民族が違っても喜怒哀楽の表情の意味を読み間違えることはあまりない。その表情の中で、微笑はどの民族においても至高の意味を持っているのである。口角の筋肉が引っ張られてつり上がり、目尻の筋肉が引っ張られてつり下がる。その表情が敵対心のなさ、機嫌のよさ、親密感、好意、満足感─などの記号となり、人と人をつなぎ、社会という巨大な構造を織り上げるのだ。

2.音笑:laugh(ter)

 さて、微笑の次は音笑である。音笑は生後約4か月後に現れる。笑い声の特徴は呼気の断続。息を断続的に吐き出しながら声帯を振動させると「はっはっは」になる。笑い声なしの笑顔はあっても、笑顔なしの笑い声は普通ない。英語ではsmilelaugh(ter)を区別するけれども、両者はいわばグラデーション状につながっており、微笑の延長上に音笑がある。表情筋の動きが大きくなって臨界点に達すると、呼吸が深く激しくなって笑い声が発せられ始め、笑い声が大きくなるとともに、肺、横隔膜、腹筋等の筋肉が大きく収縮・弛緩する。こうした呼吸系の筋肉運動を可能にするためには身をよじったり、のけぞったりする必要があり、それも限界に達すると、今度は手を打ったり、足を踏み鳴らしたり、それでも足りなければ駆け出したりもする。

 なぜここまでやる必要があるのか。そもそも音笑は何のためにあるのか。先に述べたように、「笑い刺激」は無限に多様であり、それが喚起する感覚や感情の無限に多様である。「笑い刺激」はいずれ何らかの興奮を生じさせるものであり、どのような種類の興奮も長時間脳内に滞留することは生命にとって危険であるために、何らかの方法で放出されなければならない。そこでこの過剰になった脳神経性の興奮エネルギーを筋肉の運動エネルギーに転換して放出する。その過程で呼吸器系の器官にエネルギーの放出が集中して生起するのが音笑ではないかと考えられている。

 なぜ呼吸器系に集中してエネルギー放出が起きるのかはわかっていないが、いずれにしてもこうして音笑は過剰な神経興奮から生命を保護するためのホメオスタシス機構の働きだというわけである。

ユーモアとは何か「想定外」を笑って楽しめる状態

 ここでは、笑いを(ⅰ)「つくり笑い」、(ⅱ)「変調の笑い」、(ⅲ)「習慣的笑い」、(ⅳ)「愉快な笑い」の4種類に分類し、それぞれについてみていく(表)。

表:笑いの分類

随意(人為的) (ⅰ)「つくり笑い」 演技の笑い、愛想笑い、お世辞笑い
不随意(身体内からわいてくる) (ⅱ)「変調の笑い」 脳の病変、脳の一時的失調による
(ⅲ)「習慣的笑い」 文化的習慣による笑い、また個人の性癖としての笑い
(ⅳ)「愉快な笑い」 (α)愉快なるが故に笑う「快笑系」
  1. 快感の笑い:五感による笑い
  2. 幸福の笑い:ありとあらゆる喜びの笑い
  3. 知的充足の笑い:難問やクイズが解けたり予測が的中したりして起きる知的満足の笑い

(β)笑ったが故に愉快になる「苦笑系」

  • 感情・感覚レベル:世の不条理に笑うデモクリトスの笑い
  • 知的レベル:ユーモア

 まず(ⅰ)は、(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)が身体内からわいてくる不随意の笑いであるのと対照的に、人為的につくり出す随意的な笑いである。具体的には、演技の笑い、愛想笑い、お世辞笑いのたぐい。

 (ⅱ)は笑いの指令を出す脳の内部に変調が生じたために生まれる奇妙な笑いで、統合失調症、脳腫瘍、てんかんのような脳の病変によるものと、アルコール、薬物、疲労など脳の一時的失調によるものと、大きく2種類に分けられる。

 そして(ⅲ)は、挨拶の笑顔、協調の笑い、いわゆる"ジャパニーズ・スマイル"のような文化的慣習による笑い、また個人の性癖としての笑いといったものである。このうち(ⅰ)と(ⅲ)の大部分は対面的相互作用の場面で重要な役割を果たす「社交の笑い」で、日常生活における笑いの約8割を占め、あまりにもありふれ過ぎて印象が薄いが、実は最も分量的に多い笑いである。

 最も印象の強い笑い、笑いらしい笑いは(ⅳ)の愉快さを伴う笑いである。一言で愉快な笑いと定義しても、(α)愉快なるが故に笑う場合と、(β)笑ったが故に愉快になる場合の2種類がある。また、愉快な笑いには大きく分けて「快笑系」と「苦笑系」の2系統があり、前者は(α)、後者は(β)とほぼ重なっている。快笑系の笑いを念頭に、「快」の出どころを感覚、感情、知性という心理活動の3次元に分類すると、快笑は1.快感の笑い、2.幸福の笑い、3.知的充足の笑いの3種類に分類できる。たとえば、1.は五感の満足による笑い、2.はありとあらゆる喜びの笑い、3.は難問やクイズが解けたり予測が的中したりして起きる知的満足の笑いということができる。

 しかし、こうした快笑系「愉快な笑い」とは対照的に、一見してそれとはわかりにくい苦笑系「愉快な笑い」がある。そして、それは感情・感覚的なレベルのものと、知的なレベルのものに分類することができる。たとえば、向こう脛を痛打したとき、口にした果物が思わず苦かったとき、妙な悪臭をかいだとき─つまり不快なときには多くの人は笑うし、しかも不思議なことに、笑うと不快感が軽減され、ある種の快感が生まれるのだ。これが感情・感覚レベルでの苦笑系「愉快な笑い」であり、世の不条理に笑うデモクリトスの笑いはまさしくこれである。

 元来、笑いは快に対する身体反応であったと思われるが、どうしてこのように人間は不快な状況でも笑えるようになったのか。笑うと快楽物質ともいわれる脳内ホルモン・βエンドルフィンが分泌されることがわかっており、いつしか不快な状況に耐えるべくこの物質を分泌するよう苦笑系の笑いを覚えたのではないかというのが私の仮説である。

 次に知的レベルでの苦笑系「愉快な笑い」。これがいわゆるユーモアである。ユーモアの基本原理は「図式のズレ」。広義でユーモアは「おかしみ」(とそれを感じる能力)であるが、「おかしい」とは物事があるべき姿から外れているということだ。物事のあるべき姿、つまり「これこれはかくかくしかじかのものである」というわれわれの頭の中にある観念を「図式」と呼び、それから外れているおかしな状態がわれわれを笑わす。もし図式どおりの事態が想定内だとしたら、ユーモアとは想定外を愉快と感じる状態だといえる。

 これは、それこそおかしなことではあるまいか。自分が思ったように事が進んだから愉快で笑うのは自然であるが、それとは逆で思ったように事が進まない、普通なら不快と感じるべき(実際そのように感じる場合も多々ある)事態を愉快と感じて笑っている。この矛盾にユーモアの最大の秘密がある。すなわち、ユーモアとは知の不快(しばしばそれは感情の不快を伴う)を知の快へと転換する能力なのだ。大きな個人差はあるが、なぜそんな能力が万人に備わっているのか。

 ここまでくればそれは容易に推測できるであろう。おそらく人生は想定外だらけ、思ったとおりに進まないことばかり。そんな事態にただ嘆いたり、おろおろしたり、泣いたり、怒ったりせずに、元気に耐えられるよう、それどころかそんな事態を陽気に笑って楽しめるよう、人類はユーモアという心的メカニズムを進化させてきたのである。

 ドイツではユーモアとは「にもかかわらず笑うこと」と定義するそうだが、その「にもかかわらず」の前に入るのは「想定外」や「不快」であろう。また、米国屈指のユーモア作家マーク・トウェインの言葉に「天国にはユーモアはない」というのがあるが、それは天国には原理上「想定外」や「不快」が存在しないからである。かくしてユーモアとは、心的サバイバル装置たる苦笑系「愉快な笑い」の頂点に立つ心のスタミナなのである。

笑って地獄を生き抜くユーモアは究極のサバイバル術

 ユダヤ民族は「笑いの民族」といわれている。アンリ・ベルクソンやジークムント・フロイトのような超一級のユーモア研究者を輩出し、ビリー・ワイルダーやウッディ・アレンのようなコメディの神様を生み、ユダヤ・ジョークは世界最高と評価される民族は、まことにその名にふさわしい。彼らの言葉ヘブライ語ではジョークを「ホフマ」と呼ぶが、同時にそれは「知恵」も意味する。ジョークとは知恵の結晶であるという、何ものにも替えがたい価値をユーモアに見出す彼らの世界観がよく表れた言葉である。彼らはどのようにして「笑いの民族」になったのか。

 ユダヤ民族は約2千年前、ローマ帝国によってイスラエルの地を追われてから欧州ほか各地に離散し、どこでも少数民族として抑圧され迫害されながら生きてきた。ユダヤ民族の知性が極めて優秀であることはよく知られているが、それはこの過酷な運命を生き抜くために知恵を振り絞って生きてきたことによる。彼らの得意とするユーモアはまさにその知恵の結晶であり、まさに意のままにならぬ運命を笑って耐え忍ぶための魂の戦略となってきたのである。

 ユダヤ民族の過酷な運命の行き着く果てが彼らを絶滅させようとしたナチスの強制収容所であった。何百万人ものユダヤ人を殺戮(さつりく)した強制収容所は一度入ると二度と出られないこの世の地獄であったが、この地獄を生き抜くためにユダヤ古来の「知恵=ホフマ」を活用した人物がいる。フロイトの弟子で、「ロゴテラピー」という独自の精神療法で知られる精神医学者ヴィクトール・フランクルその人である。彼は毎日、収容所仲間と「冗談=ホフマ」を言って笑い合うというノルマを自らに課することによって、この極限状況を耐え忍び、アウシュヴィッツとダッハウの2つの強制収容所を4年も生き抜いて、ついに解放の日を迎えたのであった。まさしくユーモアこそ究極のサバイバル術なのである。

科学によって実証されつつある「笑いは百薬の長」

 1964年、ユーモアという精神のサバイバル術を身体のサバイバルに応用する試み、ユーモア療法が始まった。この年、全快する確率が500分の1という深刻な膠原(こうげん)病を罹患した米国の著名なジャーナリストのノーマン・カズンズが「ネガティブな感情は病気の原因となる」という学説から、「ポジティブな感情は病気を快癒(かいゆ)させる」のではないかと思いつき、四六時中笑おうと努めた結果、症状が劇的に軽減、数年後に全快するという奇跡が起きたのだ。

 カズンズがこの奇跡譚(きせきたん)を発表したところ、大変な反響を呼んだ。それ以降、さまざまな試みが行われるようになった。たとえば、診療の現場に笑いを持ち込もうとした米国の医師パッチ・アダムズ(その経緯は映画『パッチ・アダムズ』に描かれている)。ホスピタル・クラウン、クリニクラウン、ケアリング・クラウン、クラウン・ドクターなどと呼ばれる病院に笑いを運ぶ道化師たち。あるいはインドの医師マダン・カタリアが笑いとヨガをドッキングさせて創始した健康法、笑いヨガなど。

 一方、笑い大好きな医師たちによって、笑いは膠原病のみならず、がん、リウマチ、糖尿病、アレルギーなど多くの病気の治療や予防に有効であり、強力な鎮痛効果があり、ストレスを和らげ、脳血流を活性化するなど、多くの知見が蓄積されつつある。まさに「笑いは百薬の長」であることが、サイエンスによって実証される時代を迎えているのである。

筆者

筆者_森下伸也氏
森下 伸也(もりした しんや)
関西大学人間健康学部教授
略歴:
1976年:京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。1984年:大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。同年、長崎大学講師、1987年:長崎大学助教授、1990年:金城学院大学人間科学部助教授、1997年:金城学院大学人間科学部教授、2009年:関西大学社会学部教授、2010年より現職、日本笑い学会会長。
専門分野:
社会学、ユーモア学

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.68

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