健康長寿ネット

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100年時代をどう生きるか?

公開日:2019年12月27日 09時00分
更新日:2019年12月27日 09時00分

田邊 穣(たなべ みのる)
元愛知県健康福祉部理事


 平成の時代がそれなりに混乱なく終わり、新しい時代が開幕した。実際の世の中には常に大小の問題が存在していて、それらの問題との付き合い方の記録が私たちの歴史というものなのだろう。我々の関係する保健・福祉関係について言えば、歴史的に、明治から昭和の中ごろまでの飢餓と感染症、それ以後の生活習慣病までは、何とか乗り越えてきたと思う。勿論、新型インフルエンザをはじめとする感染症、がんとか認知症とかいくつかの精神神経疾患などは未だ宿題として残っているので、気が抜けないのは事実だが・・・。

 令和の世になり、明治から平成の時代に比べ一段と現実味を帯びてきた問題が、「高齢にかかわる問題」であるような気がする。地球上に誕生した時からヒトは自分たちに寿命があるとは思っていただろう。ただし、妊娠はしても、生まれること自体が難しく、生まれた後でも周囲の条件が悪いため、近代にいたるまで寿命というものに対するある種の諦めがあり、寿命などというやや抽象的な事柄に注意を向ける余裕はなかったと思う。キリスト教文化の真っただ中の中世のヨーロッパの美術品で、黒死病が猖獗(しょうけつ)を極めた時期の版画などに、Memento Mori(メメント・モリ:死を忘れるな)という言葉が刻まれているのをよく目にする。本来ならば、もっと生きていたかったのが、中断しなければならない不条理とか恐怖心あるいは諦めの気持ちを訴えたかったのかもしれない。黒死病の原因も、現代的な視点から見ればペスト菌の感染であるが、当時としては「神の怒り」と考えるのがもっとも合理的だったのだろう。

 文明の発達とともに多くの病気の原因が解明されてから(とはいってもペスト菌ですら発見されたのは19世紀の終わり近くになってからではある)、感染症についての研究、治療や予防などの技術的進歩は飛躍的に進歩し、1980年にはWHOは天然痘の撲滅宣言を出すまでになった。「これで人類は感染症を撲滅した。」ということで世界中の医療関係者は舞い上がってしまったのだが、そうは問屋がおろさなかった。1981年にAIDSが登場してきたのである。世界中はビックリ仰天してしまった。それでも大げさな言い方をすれば、世界中の保健医療の関係者だけでなく、政治経済にかかわる人たちを巻き込んで、AIDS撲滅の運動が起きた。それまでに持っていた科学技術の総力を挙げて、この病気の本体の解明、治療法の開発などが比較的短時間の間にほぼ確立され、ほっと一息、首スジを撫で下ろしたのも束の間、人類が克服したとばかり思っていた古くからの感染症や、地球上の片隅にのみで息を潜めていたエボラ出血熱などの感染症が、格安航空券に乗っかって世界中に出回るようになってしまった。ある意味では古くて新しい敵とのバトルは未だ終わってはいない。それでも、新顔の感染症が突然どこかに出現しても、人々が大パニックに陥ることはあまりない。小規模の流行はあちこちで起きてはいるが、嘗(かつ)てのような大騒動になることはない。感染症をはじめとする病気をターゲットとして、人類が培ってきた手法が、かなり役に立つという事を学んだからであろう。

 しかし一方では、近代以降、西欧的科学技術を信じて疑わない人々は(もちろん我々もその中に入っているが)、いろいろな分野で先を争って最新知見を求め、先端的技術を極めようとしている。きわめてしまったらどうなるかについては多分No Ideaなのかもしれないが、とにかく猪突猛進で行こうというのが我々人類の救いようのないところかもしれない。

 次のような有名な文章がある。それは20世紀後半以降の医療・保健行政で金科玉条のごとく唱えられてきたもので、米国のウインスロー(C.Winslow)という方が提案し、その後WHOの勧告の中にも取り込まれているのだが、その中に「・・・公衆衛生とは、組織化された地域社会の努力を通じて、疾病の予防、生命の延長、身体的・精神的健康・・・」と書かれているところがある。私が医学の勉強を始めたのは昭和40年頃で、日本人の平均寿命は70歳前後で、加齢に伴う骨粗鬆症とか認知症はあるにはあったが、一般には延長した寿命と関連づけて考えることはなかった。しかし時を経て、行きがかり上、医療の現場で高齢の患者さんとお付き合いしたり、何よりも自分自身が後期高齢者の仲間入りするに及んで、「高齢者」が意味することの容易ならざる現実に出会うことになってしまった。事故は別として、突然命がなくなるわけでもなく、生活に使えるエネルギーが徐々に減少していき、ある閾値に達するとそれまで出来ていたことができなくなってしまうというのは悲しいとしか言いようがない。実際に、家族の中に106歳まで生きた人がいて、その日常生活上の処置で、如何したら良いのか立ち往生してしまうことが少なからずあった。近年、健康寿命という言葉を耳にすることが多いが、いったいどういう状態を想定して言っているのか、その言葉を発した人に聞いてみたいという衝動に駆られることがある。

 人生100年時代という言葉にうかうかと乗れないなと思うのは、100歳というのが単に歴年齢の問題だけでなく、その人の過ごしてきた人生の積もり積もったものがその言葉の中に集積しているという事なのだ。そういった意味で、毎日が黒死病で突然死神から誘惑されていた時代のMemento Moriではなく、現代的な意味でのMemento Moriを考えていかなければならないと思う。

著者

写真:著者の田辺穣先生
田邊 穣(たなべ みのる)
1971年 名古屋大学医学部卒、1972年 名古屋大学医学部附属病院小児科 非常勤医師、1975年~1976年 フランス政府給費留学生 Hopital Necker des Enfants Malades(Paris)、1977年~1985年 社会保険中京病院 医師、1985年~1989年 愛知県技術吏員として、愛知県春日井保健所衛生管理監、愛知県衛生部環境衛生課長などを歴任、1989年~1995年 厚生技官 国立病院医療センター国際医療協力部医師。この間ボリビア国サンタクルス総合病院プロジェクトリーダーとして同病院で技術指導。その他、インド、エジプト、ペルー、ヴェトナム、インドネシア、ラオス、パキスタン等、十数か国の途上国でその医療状況調査、地域の保健行政計画の指導。1995年 愛知県衛生部技監、1999年 愛知県衛生部長、2000年 愛知県健康福祉部理事、2001年 金城学院大学教授、2007年 協栄学園伊勢志摩リハビリテーション専門学校 学校長、2019年 退職。
所属学会
日本小児学会、日本公衆衛生学会、日本国際保健医療学会、日仏医学会
専門分野
臨床小児科学、公衆衛生学、国際保健学

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