健康長寿ネット

健康長寿ネットは高齢期を前向きに生活するための情報を提供し、健康長寿社会の発展を目的に作られた公益財団法人長寿科学振興財団が運営しているウェブサイトです。

心の長寿

公開日:2019年11月29日 09時00分
更新日:2019年12月 4日 15時50分

戸川 達男(とがわ たつお)
早稲田大学人間総合研究センター


 私は今81歳なので、ちょうど今の男性の平均寿命です。産業革命の頃の欧州の平均寿命は40歳くらいだといわれるので、当時と比べれば寿命は2倍にもなったわけです。けれど、私のまわりの人たちはみな今の時代の人なので、だれも私のことを特別に長寿だと思ってはくれません。せっかく寿命が2倍にもなったのに、それをだれも祝ってくれることはなく、自分でも特別な恩恵にあずかっているという実感はほとんどありません。

 長寿だけではなく、衣食住が豊かになり、自由になり、やがて暴力も差別も貧困もなくなり、数百年後か数千年後には戦争もなくなるかもしれません。その上、すべての人間の活動が持続可能となり、一時的に破壊された環境も次第に回復して、産業革命以前の自然が戻ってくるかもしれません。でも、そんな未来の人達は、絶大な恩恵にあずかっていることをあまり意識することなく、今より少し長い寿命を今の私と同じように生きているかもしれません。そこになにかむなしさを感じますが、それは今始まったことではなく、古代から現代に至るまで、さらに未来まで変ることのない心のありようなのかもしれません。

 心については、これまで文献を調べたり自分で考えたりしてきました1)。それでわかったことは、心は架空の事柄ではなく、実在する現象であり、従って科学で扱うことができる事柄であり、心を進化論的に解明していくことも原理的に可能だということです。現状では意識や記憶・想起のメカニズムなどの心の発現の基本が全く解明されていないので、心の科学は空白地帯ですが、やがて心が解明され、身体の科学に匹敵する領域が出現することは間違いないと思います。しかし、そこに全く新しい心の世界が出現するというものではなく、これまでに哲学者、思想家、芸術家、宗教家、あるいは感性の鋭い多くの一般の人達がすでにとらえていた事柄が科学的に裏付けられるということではないかと思います。

 しかし、心の科学の成立を待つまでもなく、心の可能性の探究として今すぐにでもできることはいろいろあるのです。今私が試みているのは、自分あるいは自己という概念を拡張する試みです。今は個人主義が広く受け入れられていて、個人の存在が尊重され、個人の権利が優先されています。その場合の個人の概念として、自分と自分の身体とを同一視していることが多いのです。しかし、「身体に心臓や肝臓があるのと同じように自己があるのではない」2)と云われるように、自分の身体と自己は別な存在だと考えることができるのです。そのような考えによれば、自己の概念を未来にまで拡張して、未来の人々の心の世界にまでも自分を拡張することができ、未来の人々に良い環境をもたらすための活動も自分のための活動と考えることができるはずです。私は地球の救済をアピールする一般向けの本3)、4)を書き、未来の隣人を大切にしようと呼びかけるウェブサイト"Love Future Neighbours"5)を運営していますが、この活動の要点は自己概念の拡張なのです。

図:文献4)の表紙、背、裏表紙の図。
文献4)の表紙、背、裏表紙

 自己概念の拡張は死の問題にも応用できます。もし個体としての自分とは独立な自己の概念を持てるならば、個体死によって消滅しない自分を考えることができるはずです。すでに主要な宗教では個体死で消滅しない霊魂の存在をごく自然に受け入れてきましたし、宗教の教理としてではなくても、個体死で消滅しない自分の存在を想像するのはむしろごく普通ではなかったかと思います。高齢者は自分の個体死が近いことを意識することが多くなりますが、納得できる自分の死の概念を持っていれば、個体に残された期間も死の不安から解放され、穏やかな個体死を迎えることができるのではないかと思います。

 人生100年時代は、寿命の伸びがほとんど限界に到達し、医療技術も限界に近づいた時代です。それから後の時代は、それまでに蓄積された重い遺産を背負いながら、人類の絶滅を回避するという困難な課題に取り組まなければならない辛い時代です。そんな時代に生きたくないと思っても逃げ道はありません。けれども、遠い未来にまで広がった自分のために今できることに取り組むなら、たとえ道半ばで個体寿命が来ても、未来の自分に「今はここまででごめんなさい」とひとこと謝るだけで、それ以上後悔することは何もない穏やかな死を迎えることができるのではないかと思うのです。

文献

  • 1)戸川達男、動物の心人間の心-科学はまだ心をとらえていない、コロナ社、2008.
  • 2)Taylor C, Sources of The Self, Harvard University Press, Cambridge, 1989, p34.
  • 3)戸川達男、遠未来の人々との絆、東京図書出版、2014.
  • 4)Togawa T and Rolfe P, Reach Across Time to Save Our Planet, Grosvenor House Publishing, 2017.
  • 5)Togawa T and Rolfe P, ブログLove Future Neighbours(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)

著者

筆者_戸川達男先生
戸川 達男(とがわ たつお)
1937年生(東京)、1960年 早稲田大学理工学部応用物理学科卒業、1965年 東京大学大学院博士後期課程修了(工学博士)。東京大学医学部医用電子研究施設助手、東京医科歯科大学生体材料工学研究所教授、早稲田大学人間科学学術院特任教授を経て、現在は早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員。リンシェピン大学(スウェーデン)名誉博士、医用生体工学国際アカデミー(IAMBE)会員、 ポーランド科学アカデミー(PAN)外国人会員、英国物理学会(IOP)フェロー。

無料メールマガジン配信について

 健康長寿ネットの更新情報や、長寿科学研究成果ニュース、財団からのメッセージなど日々に役立つ健康情報をメールでお届けいたします。

 メールマガジンの配信をご希望の方は登録ページをご覧ください。

無料メールマガジン配信登録

寄附について

 当財団は、「長生きを喜べる長寿社会実現」のため、調査研究の実施・研究の助長奨励・研究成果の普及を行っており、これらの活動は皆様からのご寄附により成り立っています。

 温かいご支援を賜りますようお願い申し上げます。

ご寄附のお願い(新しいウインドウが開きます)

このページについてご意見をお聞かせください