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高齢者が1人でも生き、老いて、安心して最期を迎えられる社会を(上野 千鶴子)

公開日:2019年5月28日 09時00分
更新日:2021年6月30日 11時11分

写真:第10回対談風景写真。祖父江理事長と上野千鶴子氏。

シリーズ第10回生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして

 わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第10回は、上野千鶴子立命館大学特別招聘教授・東京大学名誉教授・認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長をお招きしました。

予測のできなかった超高齢社会を迎えて

祖父江:「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した対談は、第10回目を迎えます。節目となる今回は、東京大学名誉教授・認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長の上野千鶴子先生をお迎えしました。上野先生は社会学者でジェンダー研究の第一人者です。近年は高齢社会の研究にも深く携わっておられます。

 上野先生とお会いしたのは、長寿科学振興財団が設立された平成の初め、高齢化社会から高齢社会にまもなく移行するだろうといわれ始めた頃。愛知県大府市と東浦町で「あいち健康の森」構想があり、高齢社会に対応する保健・医療・福祉の総合的な拠点をつくろうと立ち上がった頃です。平成16(2004)年に開設した国立長寿医療研究センターはその拠点のひとつとなります。当時、愛知県が主体となり、高齢社会を考えるシンポジウムを多く開催していたのですが、上野先生にはそのシンポジウムにお越しいただいています。当時のことを思い出し、ぜひ上野先生にご登場いただきたいと思い、お声をかけた次第です。

上野:それはありがとうございます。20数年前というと、私は40代。お恥ずかしながら、当時は自分にとって"老い"はまだ先のことであり、今ほど関心がなかったかもしれません。介護保険もまだありませんでした。介護保険制度ができたときは、私には家族がおりませんので、「私のためにできたのだ」と思ったほどです。その後、順調に加齢しまして、『おひとりさまの老後』(法研)を刊行しましたが、今は『おひとりさまの最期』を準備中(編集部注:2015年、朝日新聞出版より刊行)です。こちらのほうに関心があります。

 祖父江先生は94歳とうかがいましたが(2015年当時)、お見受けしたところ、ご健康で耳も目もしっかりしていらっしゃる。私は最近、80代、90代の方にお会いする機会が多く、大きな声でゆっくり話すようにしているのですが、祖父江先生にはその必要はないようですね。

祖父江:私もやはり年齢には勝てず、聞こえにくいこともありますから、大きな声で話していただくと助かりますよ。

上野:祖父江先生は1921年生まれで戦争も経験され、90歳を過ぎても現役でご活躍されています。昔はこれだけの超高齢社会が来ることを予期しておられましたか?

祖父江:まったく予期していませんでしたね。戦前は高齢社会なんて考えもしなかった時代ですから。

上野:祖父江先生の世代では、戦時下ですから「自分の寿命は20歳まで」と思っておられた方も多いと思います。祖父江先生は戦争を乗り越え、今もなお現役で、理想の高齢者といえますね。

祖父江:それぞれその人に備わった体力と寿命なのでしょう。私は海軍で軍医になるまでの間にさまざまな厳しい訓練を受けましたから。戦時中、内地(日本)には訓練する場所もなければ食糧もない。それで医学系の大学卒業者700人は訓練を受けに中国の青島(チンタオ)に連れていかれました。九州から青島までの航路が非常に危険でした。あのあたりには潜水艦がたくさん待機していましたからね。

上野:制海権も制空権もどんどん米軍に奪われていた頃ですね。

祖父江:あんな危険な状況の中、よくもまあ、たどりつけたと思いますよ。青島の10月から2月といえば極寒の気候。その中で真っ裸で訓練を受けたというのが、その後の健康や体力に影響したのではないかと思います。

日本の長寿時代は今がピークなのか?

上野:今、100歳以上の方が全国に6万人弱いらっしゃるそうです。日本は世界一の長寿国ですが、私はこの長寿は今がピークなのではないかと思っています。祖父江先生の世代はもともと戦前から健康的な生活を送られていて、基礎体力もあり、何里も歩けるような健脚な方が多いですね。

 一方、私たちの世代は戦後のベビーブーム、いわゆる団塊の世代。もっとも食糧事情がよくなかった時代です。さらに海外からは軍人・民間人合わせて650万人が引き揚げてきました。食糧事情は、戦前よりも戦後のほうがもっと厳しく、母親のなけなしの母乳をもらって育った世代です。高度成長期には外国から新しい食べ物が入ってきたりして、昔ながらの日本食から次第に離れていきました。そのような私たちの世代は、果たして祖父江先生の世代ほど健康で長寿でいられるのかと疑問に思います。20歳までに基礎的な体力をつけるという点でも、私たち戦後生まれはなかなかその機会を得ることができませんでした。

 最近、長寿日本一が沖縄県から長野県に変わりましたね。これは長寿のピークが過ぎたことを示しているのではないかと思っているのですが。

祖父江:たしかに食事の良し悪しは、寿命と健康に深く関わってきますね。沖縄の長寿県の首位交代の一番の要因は、食生活の変化にあるといわれています。アメリカ軍占領下の1960年頃、肉の加工品などが海外から大量にもたらされました。沖縄の伝統的な食事は理想的な長寿食といわれていますが、だんだんと食生活が欧米化しました。そんな中、伝統的な食事をしてきた70歳以上の人たちは変わらず長生きなのに対し、それより若い世代の人たちでは生活習慣病が原因で短命になっているようです。沖縄以外の地域でも10~20年遅れて同じような現象が起きるのではないかといわれており、若い世代の短命化が懸念されるところですね。

写真1:祖父江理事長の対談風景写真。

家族の大変動 妻方の実家とのつながりが強固に

上野:ここ数10年で大きく家族構成が変わり、私のような"おひとりさま"もどんどん増えてきました。昔なら祖父母、子ども、孫と三世代が一緒に暮らしている世帯が多数でしたが、今は別居が増えました。

 データを見ますと三世帯同居率は、経済階層の上層で低く、下層でも低く、中間層で高いということがわかります。上層の人たちは経済的にゆとりがあるので、好んで別居を選んでいるということです。ですからお年寄りも「別居の方が気楽だ」と実は思っているのではないでしょうか。

祖父江:それぞれの生活が身について、お互いに干渉されるのが煩わしいことはあるかもしれませんね。

上野:ところが結婚した娘さんとの同居となると、違ってきます。戦後の家族変動によって、強くなったのは妻方(母方)親族とのつながりです。夫の実家にはあまり行かなくても、妻の実家にはしょっちゅう行っているというケースが増えています。これはデータを見るとわかるのですが、完全に妻方依存です。

祖父江:これは日本の文化背景における結婚の感覚が変わってきていることを示しているのでしょう。昔の日本の考え方ですと、娘は嫁に行ったのだから「外の家の人」とするのが普通でしたが。

上野:「他家の人」という考えですね。昔は想像できなかったと思いますが、今は娘が介護の戦力です。親御さんは「息子より娘を産んでおいてよかった」とおっしゃいます。古い世代の「長男が一番」とする日本の伝統的な考えと、子世代の「嫁は夫の実家に来たがらない。一方、娘は頻繁に実家に来る」といった世代の感覚のズレが起きています。

2050年日本の人口は1億人を切る 人口に見合う社会構造に変革を

上野:最近、国立社会保障・人口問題研究所が統計を発表しましたが、男性の生涯未婚率が5人に1人、女性は10人に1人。この割合はこれからもっと増えていくでしょう。だから私のような者が本を書くと売れるのです(笑)。私は自分のことを「負け犬おひとりさま」と言っているのですが、別の言い方をすると「戸籍のきれいなおひとりさま」。私たち団塊の世代までは婚姻率が非常に高く、日本人は誰でも結婚すると思われていたのが、それより下の世代では結婚しない人がどんどん増えています。未婚の男女は実家暮らしの人が多いので、ゆくゆくは親の介護をすることになるでしょう。そして、その人たちが介護される側になったとき、誰が介護をするのかということが、これからの日本の大きな課題となるでしょう。

祖父江:昭和の初期の日本の人口はまだ6000万人ほどでしたが、今は2倍の約1億2千万人です(図)。人口が2倍となり、働き手、介護の担い手、マンパワーが不足している状態です。社会構造が変化したため、人口が2分の1の時代で回っていたことがうまく立ちいかなくなりました。

上野:2050年に日本の人口は1億人を切るといわれていますが、政府は「50年後に1億人」を維持したいと言っています。それには現在の出生率1.43を、2040年には2.07にする必要があるそうです。人口6,000万人の時代をご存じの祖父江先生からみて、日本の人口の適正規模はどのくらいだと思われますか。

祖父江:それは社会の成熟度によると思いますね。今の社会の成熟度では以前の6,000万人では到底やっていけないのは明らかです。人口規模に合わせて社会構造を変えていかなければならないという転換期が来るでしょう。急に社会構造を変えるのはむずかしいので、事前の準備が必要になると思います。

上野:2008年から人口減少に転じましたから、今がその転換期なのではないかと私は思っています。経済の成長・発展を追いかけ続けてきましたから、ギアチェンジはなかなかむずかしいのではないでしょうか。

祖父江:そうですね。戦後の著しい変革を見ると、利益をとことん追求する経済至上主義のもと、大量生産・大量消費社会、そしてスピード社会へと駆け上がってきました。人口6,000万人だった時代からは想像もつきませんでした。私はこの不相応なスピード社会をスロー社会に変えていかなくてはならないと思っています。高齢者の層は千差万別であり、私たちのような90歳以上の世代から、上野先生のようなまだ若い世代までいます。私たちの世代からみれば、今の社会はスピードが速く、非常に住みにくいのです。

写真2:上野千鶴子氏の対談風景写真。

高齢者の貧困問題は社会全体の問題

上野:私は80代、90代の高齢者を見ていて、ご自分がここまで長生きすると予期していなかった人たちが、想定外の老後を迎えていらっしゃると感じています。ご自身の親御さんが自分の年齢になったときにはどうしていたかと考えても、前の世代はその年齢までにはほとんどが亡くなっていらっしゃる。だから親の老後を見ていない。このような長期化する老後を歴史上初めて経験し、それを予期していなかったために備えがないように思うのです。ふつうは親の背中を見ながら、「この年齢になったらこんなふうに生きるものだ」と考えて、だんだんと年齢を取っていくものですが、そのお手本がないところに初めて到達した世代ではないでしょうか。

祖父江:そうですね。戦後70年で30年も寿命が延びたのですから、長寿社会の先駆者といえるでしょう。備えがなく老後を迎えた人も多く、今や高齢者の貧困や経済格差の問題も多く取り上げられていますね。特に1人暮らしの高齢者の貧困は切実だと思います。

上野:おっしゃるとおり、深刻な問題ですね。自営業や無職の人の年金は低く、もらっても生活保護水準以下です。特に女性単身高齢者の貧困率は5割を超しています。今の制度では、若いときの稼得力の格差が老後に影響するようになっていますが、年金保険は「保険」ですから一定の所得層以上の人は受け取らないとか、セキュリティネットの役割を果たすことが必要ですね。若いときはたくさん稼ぐ人がよい思いをしても、年齢を取って長生きしたら、できるだけ所得格差を縮めるように再分配するという「老後社会主義」という考え方もあります。高齢者に生活保護受給者が増えると社会保障費を圧迫しますから、高齢者の貧困問題は社会全体の問題ですね。

祖父江:生産年齢人口が減少の一途をたどっていますから、若い人だけでなく、高齢者間でも高齢者を支える施策は必要になってくるでしょうね。

上野:特に80~90代の世代は農業人口が多く、1950年代までは第一次産業の就業率が3割を超え、かつ農家世帯が5割を超えています。ほとんどが農家出身なので、年金は国民年金のみで、低年金や無年金の方が多いですから。その次の世代が今の70~80歳。この方たちはサラリーマン化している世代なので、年金は悪くありません。結婚している人も多く、離婚も少ない。だから夫を見送ったあと、遺族年金をもらって、そこそこの暮らしをしています。

 介護という点でみると、備えがなくて老後に入った人たちのお世話をその下の世代がしています。介護負担がこれほどまでに重くなると誰もが思っていませんでしたから、慌ててつくったのが介護保険ですよね。やっとの思いで介護保険をつくって、私はよかったと思っています。その次の世代が「自分が老後を迎えたときにどのような備えをすればいいか」ということを、今ようやく学習しているのだと思うのです。歴史的経験がありませんでしたから。

介護保険スタートから15年 家族介護力が確実に落ちてきた

祖父江:上野先生は介護保険についてどのような考えをお持ちですか。介護保険に助けられている面は十分あると思いますが、これからどう改善していくのか、どう維持していくのか、ご意見をお聞かせいただけますか。

上野:介護保険がなかったら、家族はもっと崩壊していたと思いますので、介護保険ができて本当によかったと思っています。介護保険が始まって15年が経ちますが、最初は不完全で足りないところがあっても、3年に1度見直しをしながら少しずつ改善していくという形でスタートしました。しかし、最近は、社会保障関連予算が削減の方向に向かっているのが気になるところです。

 2014年6月には「医療・介護一括法」(医療介護総合確保推進法)が国会で成立しました。この改革案は利用者にとっては負担増などが盛り込まれ、厳しい内容となっています。医療・介護を充実させていこうと介護保険をつくったはずなのに、この15年の間でどんどん条件を厳しくして使いづらくする方向に進んでいますね。

祖父江:介護保険制度をつくった2000年と現在の社会の間に食い違いが起きていて、時代の流れや変化に介護保険の内容が追いついていないのです。

上野:祖父江先生の世代の方にそのように言っていただけると心強いです。この15年間で、家族介護力が確実に落ちてきました。これだけ落ちるとは想定外だったと思います。家族介護力を補う方向にいかなければいけないのに、今の制度は逆の方向に向かっているように感じます。

祖父江:日本の伝統的な家族構成を念頭において介護保険制度をつくったけれど、それが崩壊したのですね。

上野:おっしゃるとおりです。支える側の家族の形に急激に変化が起こったのです。家族介護力を期待するなら、子どもを5人くらい産んでおくべきでしょう(笑)。

祖父江:今の時代は子どもの数を多く望まないという風潮がありますね。子どもは1人か2人、多くても3人まで。自然のうちに制限が行われてきました。

上野:介護は家族頼みではむずかしい状況になっているのに、制度の方はしだいに厳しくなり、今年からまた厳格化するという困った状況です。

祖父江:時代の変遷を先取りして制度をつくり、その都度改善を繰り返していく必要がありますが、それには予算が大きく影響します。時代に合った制度に改革していくことと予算組みをどのようにマッチさせていくかが、なかなかむずかしいところだと思います。

高齢者の数は多い 自己主張し、声を上げるべき

上野:原資が足りないとやっとの思いで消費税を8%に引き上げ、今後さらに2%上げて10%にするはずだったのに、それも先送りしました。福祉先進国のスウェーデンでは消費税が25%で、租税負担率は約5割と高い割合になっています。スウェーデンやデンマークの人たちは、「自分たちのような貧しい国にできたことが、どうして日本のように豊かな国ができないのか」と言います。

祖父江:北欧の国は高福祉高負担。税金を多く負担する代わりに福祉が充実しているという安心感がありますね。

上野:北欧の国の人はそれを選んだのですね。日本は低福祉低負担だったのを、せめて中福祉中負担に変えようという選択をしたはずです。ですが、現実はそのようになっていません。なっていないのは、そういう政治を選んできた私たちの責任かもしれません。今の高齢者を見ていると、自分が予期していなかった老後のつらさと切なさを感じます。「こんなに長生きしたくなかった」「早くお迎えに来てほしい」という方もいらっしゃいます。

祖父江:そうはいっても生きていることはいいことですよ。そう思える世の中に変えていかなければならないと思いますよ。

上野:大先輩から「世の中変えなきゃならない」という威勢のいいお言葉を聞くと、とてもうれしいです。日本の高齢者はあまり自己主張をしない感じがします。高齢者は数が多いですが、世代的な要因もあって我慢してきた方たち。そして女性が圧倒的に多い。「人の世話を受けて生きているなんて申し訳ない。肩身がせまい」というおばあさんたちが多いのです。私は高齢者の生活をよくするためには、「高齢者が自己主張すること」が必要だと思っています。

祖父江:私は次の高齢社会の主役、60~70代の高齢者にそれを期待しています。この世代の人たちが声を上げ、自分たちのよりよい高齢社会をつくっていただきたい。私たち90代は古い日本の伝統の思想に非常に縛られているところがありますので。

上野:そう言っていただくと、私たち世代が頑張らなくちゃと思いますね。アメリカには高齢者運動、シルバーパワーがありますが、日本にはまだまだ少ないですね。

祖父江:日野原重明先生が立ち上げた「新老人の会」がありますが、会員は1万2千人ほどですから、アメリカに比べたら規模は小さいでしょう。

上野:アメリカにAARP( 以前の名称:American Association of Retired Persons・全米退職者協会)という世界最大の高齢者団体があります。会員は4千万人を超えています。この団体は政治に大きな影響力があります。特定の政党支持をしないで、民主党にも共和党にも影響力を行使しているのです。非常にうまい戦略だと思います。日本の高齢者もこのようなムーブメントを起こせないでしょうか。

祖父江:日本には3,000万人という高齢者がいますから、この層の心をつかんだ人はこの国を動かすと私は思っています。これは膨大な力となりますよ。

写真3:対談者の祖父江理事長と上野千鶴子氏。

いくつになっても「生きていてよかった」と思える社会に

祖父江:最後に上野先生の考える理想の高齢社会についてお話しいただけますか。

上野:私は"おひとりさま"ですから、子どもも孫もおりません。高齢者が1人でも生きて、老いて、安心して最期を迎えられる社会をつくることが私の夢です。そのためには介護保険をもっと手厚くしてもらいたい。そして、終末期を支える費用を手厚くしてもらいたい。

 私が今考えているのは、医療保険の高額医療費の減免制度と同じように、介護保険に終末期の短期集中ケア費用を支払い能力に応じて減免する制度をつくるということです。これがあれば最期まで自宅で過ごせます。年齢を取ったからといって施設や病院に行くのではなく、自宅で1人で最期を迎えられるための条件、制度をつくってほしい。そのためにはもっと福祉に予算付けをしてもらいたいと思います。

 福祉の予算を抑制しているのが今の政治の傾向で、それを座視しているのが高齢者です。若者にお金がまわらないという不満の声もありますが、高齢者を大事にしない社会は、若者が年齢を取ったら同じ思いをするという社会です。老いることに希望が持てなければ、生きている甲斐がないと思うのです。祖父江先生がおっしゃったように、いくつになっても「生きていてよかった」と思える社会、それが私の夢です。でも夢と言いたくはありませんね。実現したいと思っていますので。

祖父江:上野先生には私たちの次の世代の高齢者の代表として、これからも高齢社会をリードしていただきたいと思います。今日は貴重なご意見をありがとうございました。上野先生の今後のご活躍を期待しております。

(2015年4月発行エイジングアンドヘルスNo.73より転載)

対談者

上野千鶴子氏
上野 千鶴子(うえの ちづこ)
東京大学名誉教授
認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長
1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了、平安女学院短期大学助教授、シカゴ大学人類学部客員研究員、京都精華大学助教授、国際日本文化研究センター客員助教授、ボン大学客員教授、コロンビア大学客員教授、メキシコ大学院大学客員教授等を経る。1993年東京大学文学部助教授(社会学)、1995年~2011年3月まで東京大学大学院人文社会系研究科教授。2011年4月から認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。2012~2017年立命館大学特別招聘教授。
専門は女性学、ジェンダー研究。この分野のパイオニアであり、指導的な理論家のひとり。近年は高齢者の介護問題に関わっている。1994年『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)でサントリー学芸賞を受賞。2011年度朝日賞受賞。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.73

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