健康長寿ネット

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高齢者の生活不安を取り除く社会づくりへ(柴田 博)

公開日:2018年8月 7日 11時46分
更新日:2021年6月30日 11時16分

写真:第4回対談風景写真。祖父江理事長と柴田博氏。

シリーズ第4回 生き生きとした心豊かな長寿社会への構築をめざして

 わが国がこれからの超高齢社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第4回は、柴田博日本応用老年学会理事長をお招きしました。

高齢者像・役割そして社会構造のあり方

祖父江:この対談シリーズでは、「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」というテーマに沿って、長寿科学・社会学などの分野で活躍されている先生方にお話いただいております。

 柴田先生はかねてから、著書の中で「間違った高齢者像」についてご指摘されております。先生におうかがいしたいのは、まず、「現代の高齢者像」についてです。過去には、平成12年に厚生省(当時)が高齢者像をとらえ直す取り組みを行い、厚生白書の中で「変わる高齢者」という言葉を用いて、高齢者を弱者とする見方を変えようと呼びかけていました。それから13年が経過し、その間も高齢者像は変化し続けています。そこで改めて「現代の高齢者像」を明確に示していきたいと考えています。

 次に、「高齢者の役割」についてです。現在、わが国における、高齢者の役割がはっきりしていないのではないかと常々感じています。昔に比べて現代では高齢者の影が薄くなってきているのではと危惧しております。

 さらに、米国の老年学の権威であるバトラー(Butler)氏が提唱している「プロダクティブ・エイジング(生産的高齢者)」についてです。これは、高齢者に自立を求め、さらにさまざまな生産的なものに寄与するべきであるという考えです。この考えをわが国で広め、根付かせ、元気な高齢者に活躍してほしいと願っています。そのためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。

 これら3点について、先生のお考えをお聞かせください。

「社会貢献」している高齢者ほど長生きし寝たきりや認知症にもなりにくい

柴田:20世紀に入り、人類は大きな転換を迎えました。4万年ほど前から人類の遺伝子は変わっていないといわれていますが、実際に平均寿命が50歳を超える民族・人種が現れたのは20世紀頃からです。それまで人類は現在のような長寿命を実現することはできませんでした。

 寿命延長により、高齢者が増え、地球上の人口もそれに比例して増えました。国連は、2011年に世界人口が70億人に到達したと報告をし、2013年には2050年までに世界の人口が96億人に達するという人口推計をまとめました。世界人口が100億を超えると、深刻な食糧難や土地不足をもたらす恐れがあります。

 こうした人口増加への対策として、各国では人口の抑制、つまり、子どもの数を減らす取り組みを試みるようになります。そうした少産少子の取り組みは必然的に高齢社会をつくりあげることになりますから、現在先進国が抱えている労働力不足や社会保障費負担増などの課題が世界各地で起こるようになるでしょう。したがって、日本のような超高齢社会が世界的に波及することは、もはや明らかなことなのです。

 日本人の平均寿命が50歳を超えたのは1947年で、欧米諸国から約半世紀遅れてのことでした。それによって、日本国民の人生についての考えも、以前までのいかに長生きするかという考えから、生活の質やQOLといった量から質を求めるような考えにシフトしていきました。高齢になっても自立し、幸福を感じながら天寿を全うするということに関心が向けられるようになったのです。

 それに伴って、高齢者の役割も変化しました。今から35年ほど前までは、高齢者は社会によって支えられる存在でした。しかし、段々と高齢者人口が増え、いつの間にかマジョリティ(多数派)となりました。そのため、元気な高齢者は何らかの社会的な役割を担い、支えられる側から支える側になることが求められるようになりました。こうした一連の流れが、「プロダクティブ・エイジング」「高齢者のプロダクティビティ」につながってくるのです。

祖父江:ここでいうプロダクティビティ(生産能力)という言葉は、就労で何か生み出す力という狭い意味だけではなく、もっと広い意味を持っているように感じます。

柴田:おっしゃるとおり、ここでいう「生産」とはかなり広い意味を持ちます。米国の老年学者カーン(Kahn)氏は、高齢者のプロダクティビティについての具体的な行動、つまりProductive behaviorとして、1.有償労働(就労)、2.無償労働(家事など)、3.組織的なボランティア活動、4.相互扶助、5.保健行動(self-care)を挙げ、さらに、「有償労働も無償労働もそれを行うに必要な能力や社会に対する貢献では変わるところがない」と定義しています(図1)。具体的な行動をみると、有償的なものに限定されていません。ですから、私はプロダクティブ・エイジングを「生産的老化」「生産的加齢」などと訳することに違和感を覚えたので、あえて「社会貢献」と訳しています。

図1:高齢者の社会貢献としての具体的な行動を示す図。有償的なものに限らず個々人の求められる活動を実践することが生きがいにつながります。
図1:高齢者の社会貢献(プロダクティビティ)の内容
出典KahnB.L.:J Am Geriat Soc 31,pp.750,1983.

 どういった活動を選択し、実践するかはその人の背景や生活環境によって変化しますから、十人十色です。そして、個々人の求められる活動を実践することが、本人の生きがい・役割づくりにもつながってくるのです。

 このように、高齢者像や高齢者の役割というものは大きく変化し、さらに変化を続けています。

 また、社会貢献をしている高齢者ほど、長生きし、寝たきりや認知症にもなりにくいということがわかっています(表)。高齢者の社会貢献は社会のためだけではなく、自分自身の健康維持にもなり得るのです。そして、その逆も然り。ですから、21世紀は社会貢献できる高齢者をどれだけ多くつくるかが課題なのではないでしょうか。

表:1999年の総社会貢献時間と2002年の健康状態(J-AHEAD 70歳以上のサンプル)
ADL障害レベル 認知障害レベル 死亡
有償労働時間
家庭内無償労働時間 ↓↓ ↓↓↓
奉仕・ボランティア時間
有償・無償労働の総時間 ↓↓↓ ↓↓↓

1999年時点の年齢、性、教育年数、ADL障害レベル、認知障害レベル、慢性症罹患数を調整

↓P<,10 ↓↓P<,05 ↓↓↓P<,01(Pの値が小さいほど関係が強い)

出典 柴田博ほか:応用老年学.6,21,2012

祖父江:高齢者の皆さんが、社会貢献という意識を持ちながら過ごせるようになれば、健康増進につながると思います。そして、それができれば日本の医療・介護にかかる費用の大部分を削ることができるでしょう。

柴田:そうですね。ですが、リタイア層の60歳以降の人たちは長年、世のため、家族のために頑張ってきましたから、退職後はもう「よろしく頼む」と、考えてしまう人が多いのです。元気の有り余っているそういった人たちに有償的活動でなくてもよいので、地域のボランティアや相互扶助に関わっていただけたら、社会のためにもなりますし、その人自身の健康のためにもなります。

 多くの人は、社会貢献が自分自身の健康につながるという事実を知りませんから、もっと啓発をしていかなければなりませんね。

現代でもてはやされるリテラシーは「知識」であって「知恵」ではない

写真1:祖父江理事長の対談風景写真。

祖父江:一方で若い人たちへもメッセージを発信していくことが重要だと感じています。昔は、高齢者を「古老」と呼び、高齢者を故事に通じ、社会的知識を蓄えている人物とし、彼らから若い人たちへの助言は非常に価値あるものと考えられていました。そういったところに高齢者の存在意義や役割があったと思います。

 しかし、IT化が進み、情報の蓄積はコンピューターがやってくれるようになりましたから、口伝などのように人から人へと知識や経験を伝える習慣がなくなりました。そのため、過去にあった高齢者の存在意義というものが現代では薄らいでしまったように感じます。

柴田:特に文字のない時代においては高齢者の知識・知恵というものは大変重宝されましたが、時代が変わるごとにその価値も変化していき、現代ではITが急速に発達し、リテラシー(ここでは主にコンピューターや情報の利用能力を指す)こそが人間の知性であり、リテラシーの低い高齢者はだめだといわれるようになりました。

 私は現代の機械や情報を利用することができるかどうかという点で、人間の知性を測ろうとする風潮に危機感を募らせています。現代でもてはやされているリテラシーとは、道具を利用する知識でしかありません。

祖父江:現代の若い人たちは便利なものが周りにあるので、それを利用すればよいと思います。ですが、先生がおっしゃるように、そういった機械の操作は「知識」ですが、「知恵」ではありません。知識は必要なときに電子辞書やインターネットなどで呼び出せばよいのでしょうが、機械は知恵を生み出しませんから、そこを混同してはいけないと思います。

柴田:そういった知識と知恵の違いについてこそ、高齢者が指摘しなければならないのではないでしょうか。たしかに高齢者はリテラシーが低いかもしれません。しかし、それは操作・利用できるかどうかであって、知性の高い低いという議論ではありません。そこを若い人たちにわかってほしいですね。

祖父江:高齢者の強みは過去の経験を知恵に変えることですから、そういった点を若い人たちに伝えていければよいですね。若い人たちは知識の活用方法ばかりを高めている傾向にありますが、知恵を生み出すことにも目を向けてほしいです。

各世代が交流できる場が地域に必要

写真2:柴田博氏の対談風景写真。

柴田:1995年頃から年代別の栄養状態がわかるようになりました。そこで明らかになったのは、若い人の栄養状態が悪くなっているということです。一方、70歳以上の人の栄養状態は悪くなっていなかったのです。

 2005年には食育基本法が定められました。この中でも高齢者の位置付けもまた曖昧なのです。高齢者を支援するようなニュアンスの条文がありますが、私は逆だと感じています。むしろ、高齢者が若い人たちの食事を教育するほうがよいのではないかと考えています。

 栄養に限らず、高齢者の力はさまざまな場面で活かせると思うのです。たとえば、夫婦が共働きで留守のため、常に鍵を持たされている子ども(カギっ子)がいたとします。その子は一人で食事を摂ることになりますから、地域の高齢者がそういった子を気にかけ、孤食にならないようにすることも役割の1つになるのではないでしょうか。

祖父江:定年で仕事をリタイアしたから、「もう知らない」と言うのではなく、積極的に地域に関わっていただきたいですね。しかし、そういった高齢者の役割を十分に機能させるには、地域の場づくりが必要だと感じますね。核家族が増え、近所付き合いが減ったといわれる現代においては、まずお互いの歩み寄りが必要となります。つまり、若い人たちは高齢者の助言に耳を傾け、支えるだけでなく、ときに支えてもらうという姿勢を持つ。そして、高齢者は若い人たちに自分の培ってきた知識・知恵を授け、指導するという姿勢を持つということです。

柴田:そういった意味では欧米のスタイルを見習うのがよいですね。欧米では昔から、成人後に親と同居するという風習はなかった反面、別離した後も交流を保ちます。親が施設に入っても同じです。しかし、日本では親と同居しなくなると関係が切れてしまいがちですね。

 ですから、老年世帯、中高年世帯、若年世帯の人たちが交流できるような場が必要です。お祭りやコミュニティカフェなど、それはどんな形でもよいのです。しかし、留意してほしいのは、その場に子どもも入れるということです。

祖父江:そうですね。この年になって、一番親しみを覚えるのは子ども、特に赤ちゃんですね。ですから、地域交流の場にはぜひとも子どもも入っていてほしいです。また、住宅施策としても高齢者だけを集めるのではなく、若年世帯や子どもを持った中高年世帯と一緒のほうが地域の場づくりがしやすくなるのではないでしょうか。具体的には、高齢者施設と保育園の併設などが望ましいのではないかと思います。

柴田:そういった環境を整えることは大事ですが、機能しなければ意味がありません。また、人は同年代の人たちと群れたがる傾向がありますから、そうなってしまわないようにしたいですね。米国アリゾナ州の「サンシティ」がよい例でしょう。高齢者だけを集めてもあまりよい方向には進みませんから、地域住民の意識改革を行い、多世代間の交流を深めるのがよいですね。これは大変難しいことですが、本腰をすえて取り組めば成果が期待できるでしょう。

社会の変化とともに意識の変換が大事

柴田:社会貢献を通じて生きがいを持って、心身ともに健康になっていただく。これが理想です。しかし、日本の75歳以上の自殺率は世界の5本の指に入るほど高くなっています(図2)。なぜ、そのような傾向になってしまうのか。それは社会貢献できなくなると、主観的な幸福感が低下し、自殺してしまうといわれています。これはアジアや東欧系女性によくみられる傾向です。ケアを受けるようになってからの高齢女性をどのようにサポートしていくか、これが1つの大きな課題になるのかと思うのです。日本人高齢者は、アングロサクソン系の人たちと異なり、社会貢献できないと、「余生を送らせてもらっている」と考えがちになるのです。ですから、多少身体機能や認知機能が衰えたとしても自分の人生を謳歌するという気概を持てば、意識も変わってくるでしょう。

図2:75歳以上の女性の自殺率上位4ヵ国を表す図。日本は、1位韓国、2位ハンガリー、3位ロシアに続き4位と高くなっています。
図2:75歳以上の女性の自殺率上位4か国
出典:厚生労働統計協会「国民衛生の動向2011/2012」2012.

祖父江:日本人高齢者は寝たきりになってしまうと「もうだめだ」「社会の役に立たない」と早合点してしまうのですが、寝たきりになったとしても貢献できることはあります。

柴田:私は、何回か100歳の人を対象とした調査を行ってきました。その年齡になると寝たきりになった人もいますし、認知症が進んでいる人もいます。ところが、健康度の自己評価は、80歳代の高齢者より高いのです。80歳ぐらいまでは身体機能の低下に伴って自己評価が下がるのですが、100歳になると自己評価が上がるのです。

祖父江:それは価値観の変化でしょうね。そして、高齢期においては、そういった意識の変換が大事になります。

柴田:先ほどの調査ですが、実施したのは今から40年前です。当時の高齢者に対する美意識というのはシワの深さやシミの数・大きさでした。しかし、現代はそうではありません。シワをなるべくつくらないように女性は頑張っていますが、そのために表情が不自然になってしまっている人もいたりします。

祖父江:そうですね。外見だけの若さを意識し過ぎているようにも思えます。内面のエネルギーというものがないと、いくら外見を取り繕っていても本当の美しさや健康は保てないのです。私は現在92歳ですが、健康維持の重要性とその難しさを実感しております。毎日努力していないと、すぐに衰えてしまいますからね。だから、「継続は力なり」なのです。

 現在、介護予防というのが盛んに取りざたされていますが、生活習慣にしていくことが極めて大事なのです。私の場合は92歳の体力・筋力維持のために、朝目覚めたとき、布団の上で全身を伸ばす体操をしています。3~5分、自分の体と相談しながら自己流のストレッチをすると気分よく起き上がることができます。夜、寝る前にも両手に1キログラムのダンベルを前に出して30秒保持する。それから足の屈伸運動を30秒、椅子に手をついての腕立て伏せも30秒しています。

柴田:若いときのように何でもパーフェクトにはいきません。加齢に伴ってさまざまな不都合が出てきますから、それに折り合いをつけていく。その年齢の心身状態に合わせて意識を変えていくことがよいのではないでしょうか。そして、健康を維持するためにできることは行う。そのときどきではなく、継続していく。

生涯現役の高齢者を奨励する仕組みが急がれる

柴田:現在の日本の制度は、高齢者の社会貢献へのモチベーションが上がらないような仕組みになっているように感じます。私も75歳を過ぎましたので、後期高齢者医療制度に加入しています。それまでは私学共済に加入していて、今回の移行で保険料が下がるのではないかと思っていたのですが、かえって高くなりました。それまで雇っている側が支払っていたものも自分で支払うのですから当然のことですが、それに加えて扶養家族で免除されていた妻の保険料の支払いも必要になりましたので、国民健康保険に加入することになりました。さらに、介護保険料もありますから、結果的に、現役時代の約2.5倍の支払いをすることになりました。

 これでは「年金をもらって少し働く」というのが一番経済的には効率がよいことになり、生涯現役で頑張っている人が割を食うというような図式になっています。先日、ある座談会でご一緒した評論家の樋口恵子さんが「後期高齢者で生涯現役で頑張っている人は日本に約30万人いる」とおっしゃっていました。高齢になって働いた場合には少し年金を減らすことは確かに必要なのですが、生涯現役で頑張っている高齢者を奨励するような仕組みがないと、社会貢献へのモチベーションも上がらないと思うのです。

祖父江:やはり高齢者に社会貢献を行う機会を与えるということも必要だと思います。個人のモチベーションの問題もありますが、社会の仕組みの問題にも目を向ける必要があります。そういった機会がないと、たいていの高齢者は引き込もりがちになってしまうと思うのですが。

柴田:チャンスがなくて引き込もりになる高齢者は多くの地域にいます。また、元気が有り余っている人は労働ではなく、余暇に力を注ぐようになります。その理由の1つに、先ほどの生涯現役が割を食う制度が関係していると思います。

祖父江:楽しみも確かに大事なのですが、長い老後生活を考えたときに、「それだけでよいのか」と思ってしまいますね。また、社会も高齢者の余暇を奨励し過ぎているきらいがあると思います。

柴田:重要なのはバランスです。余暇を地域に参加するという選択もあります。たとえば、お祭りに参加して、子どもたちとの交流を深めるということも1つの選択肢です。せっかく元気で、オシャレもしているのですから、同世代だけで集まるのではなく、もっと他世代との交流を楽しむべきではないでしょうか。また、行政もその町に合った形で高齢者の社会貢献の場をつくってほしいですね。

祖父江:わが国は、介護保険制度を立ち上げ、その後もの凄い勢いで介護施設や老人ホームなどをつくっていきました。そして、現状をみてみると、それらの建物の機能が単一的なものになってしまっているように思えるのです。同じような年齢の人たちを1か所に集め、場合によっては長期間そこで過ごすようになってしまいました。私はむしろ、そういった施設はもっと多面的なものであるべきと考えています。つまり、ちょっとしたときに短期間利用できる施設であり、また高齢者だけではなく地域住民が利用できるような機能に切り替えていく必要があるのではないかと考えています。

柴田:介護の分野では、ショートステイが有効でしょうね。

祖父江:ショートステイのサービスはとてもよいものだと思います。しかし、もっと高齢者に限定せず、幅広い年齡が利用できる場が広まればよいと感じています。

柴田:「高齢者だけ」と、限定してしまうとそこに入る人たちは他世代との交流が途絶え、気持ちも落ち込んできてしまう。たとえそれが有料老人ホームの入居者であっても同じような事態が起こります。北欧では食事を摂る場所を開放し、地域の人も利用できるようにして、交流を図っているのです。日本でも積極的に地域と施設の交流を進めるべきではないでしょうか。

祖父江:現在の構造では、人と建物などのハード面が十分にマッチングできていません。建物は建物で孤立し世代間で孤立してしまっている。若者は若者、高齢者は高齢者という分け方としてしまっている。お互いが交流しながら、利用し合い、社会貢献へつなげられていないのが現状です。この現状を打破するには、どういったデザインを描いていけばいいのでしょうか。

「施設」ではなく "Social Family"の概念へ

柴田:そういった意味では「施設」という概念を変えていくのがよいと思います。欧米では、病院や高度な医療サービスを持ったナーシングホームを施設と呼びます。そして、老人ホームなどを施設ではなく、「居住地」と呼びます。このように日本でも老人ホームやグループホームなどのことを社会的空間ととらえる。つまり、"Social Family(社会的家族)"の概念を持つことが望まれます。建物は介護施設かもしれないが、地域で孤立せずにつながっている。こういった地域との関係が欧米では当たり前ですから、日本はこういった点を見習うべきではないでしょうか。

祖父江:要するに、日本では地域と施設の区切りがはっきりし過ぎているということですね。また、地域と施設という区分だけではなく、若者と高齢者といった区分の境界をなるべく取っ払っていく必要があると思います。

柴田:そうですね。その際には言葉も変えていかなければいけません。欧米のように、医療機能が重装備されたところだけを施設と呼び、あとの住まいをSocial Familyの場として理解する必要があります。そして、Social Familyとして機能させるためにはソフト面、つまり、地域との交流を促すような仕組みづくりも考えていかなければなりません。

食事・買い物・ゴミ出しを支え高齢者の生活不安を取り除く

祖父江:最近、高齢者だけの世帯、独居高齢者が増えてきました。そういった人たちにとって、食事・買い物・ゴミ出しなど日々の生活に最低限必要な仕事はたくさんありますが、それすらできなくなるような人が少なくありません。

柴田:特に、買い物とゴミ出しは重大な課題です。買い物に行けないと栄養が偏り、低栄養状態に陥りやすくなります。また、ゴミ出しもできなくなれば家の中にゴミが溜まってしまいます。それは衛生的にも精神的にもよろしくない。

 では、そういった人たちをどうやって支えるのか。それには「互助」がカギになってくるでしょう。地域での支え合い。そういったものが期待されます。

祖父江:日本の場合ですと、町内会などの仕組みがありますから、そういった機能は期待できそうですが、すべてを賄うには財源的に制限があります。

柴田:それならば、ゴミ出しや買い物などを有償ボランティアで行ってもよいと思います。高齢者の中にも支払い能力がある人も多いですから、そういった人にはある程度金銭的に負担していただくというのも1つの方法です。支払い能力がない人たちには次の段階である公助を適用すればよいのではないでしょうか。

 高齢者はある種のサービスをただ受け取るのではなく、サービスに対してある程度の対価を払うといった意識を持つことも重要だと思います。

祖父江:人は年を取るにつれ、日常生活を送る上で、さまざまな不安を抱えるようになります。この生活不安をどうにかしない限り、引き込もる高齢者は減りません。一つひとつの課題を解決していくことが、高齢者の生活不安を取り除く術だと思います。

 今後とも柴田先生にはご協力をお願いしたいと思います。本日はお忙しいところどうもありがとうございました。

対談者

対談者_柴田博先生の写真
柴田 博(しばた ひろし)
1937年、北海道生まれ。北海道大学医学部卒業。東京都老人総合研究所副所長、桜美林大学大学院教授を経て、人間総合科学大学保健医療学部長。

※対談者の所属・役職は発行当時のもの

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.67

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