健康長寿ネット

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日本文化に根ざした循環の思想からこころを考える(梅原 猛)

公開日:2016年8月 3日 17時40分
更新日:2021年6月30日 11時22分

写真1_対談シリーズ第15回

対談シリーズ第15回 生き生きとした心豊かな長寿社会の構築を目指して

 わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎・公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第15回は、梅原猛・哲学者、国際日本文化研究センター顧問をお招きしました。

95歳の先輩と91歳の後輩が90代になって思うこと

梅原

 祖父江先生には昨年6月に名古屋で開かれた八高会(旧制第八高等学校同窓会)でお会いしました。八高はいつ卒業しましたか。

祖父江

 愛知一中は61期で昭和12年卒業、八高は30期で昭和15年卒業です。

梅原

 私の実父の半二(トヨタ自動車常務や豊田中央研究所長を務めた)は秀才で、一中から八高に入りました。私は一中を落ちて東海中に入って、浪人して八高に入りました。私は幼いころから空想に耽る、夢の中の世界にいるような人間で、勉強をしなかった。それで一中落ちて、八高も一年浪人です。だから、私は祖父江先生より4歳年下ですが、八高の卒業は先生と6年違います(笑)。

 同級生で生きているのは、私の外に1人か2人になりました。祖父江先生の同級生もほとんどいないでしょう。

祖父江

 ほとんどいないです。こんなに元気なのは私1人ですよ。

梅原

 どこか悪いところはないですか?

祖父江

 どこもないですよ(笑)。でもね、全体的に落ちてきてますね。

梅原

 私も80歳代は元気でしたよ。ですが、90歳を超えたら全体的に落ちてきました。

祖父江

 80歳過ぎると身体のいろいろなところが調子悪くなるものですし、特に90歳を過ぎると全体的に機能が落ちますから、注意しなくてはいけません。それを今の医学は全然気が付いていない。臨床では「病気」という古い概念ではなく、「機能障害」という概念に変えて対応する必要があります。機能をどのように維持していくか考えなければなりません。

 1番注意しなくてはいけないのは、心臓の機能が落ちるということです。心臓の機能というのはあまり自覚しないものですが、日常生活の中で心臓の機能の低下を自覚するようになるのが90歳代です。

梅原

 私は子どものときから身体が弱くて、中学3年生のときに熱が出て結核だといわれました。医師に診てもらったら、結核ではなく十二指腸虫症とわかり、駆虫薬を飲んだらすぐに元気になって、それから健康になりました。

 私は若いとき、実存主義にかぶれ、いわゆるニヒリズムに陥り、その影響で行った暴飲暴食や不摂生がたたり、これまでに3度がんになりました。大腸がんと胃がんは手術で、前立腺がんは放射線で治しました。しかし80歳を過ぎてから病気を忘れてしまって、風邪も引きません。

 長寿の秘訣は、やはり「楽観主義」だと思います。主治医はがんの転移を心配していましたが、私は絶対死なないと信じていました。そういう楽天的なところがよかったのだと思います。

欲がなくなり透明感が増し乳幼児に近づく

梅原

 私は90歳を超えて、だんだんむずかしい仕事に取り組んでいます。本格的な哲学を書こうと思い、それで脳を刺激しているのです。好きなことをやっているから、元気なのですね。90歳を超えると人生が透き通って見えますね。一世紀近く生きると、自分の人生が"夢うつつ"のように思えます。

 老人になると、欲望が衰える。物欲も性欲も名誉欲も衰える。人生が透明に見えてくる。西郷隆盛は「名誉欲も物欲もないような人間こそ、大事を成し遂げられる」と言いましたが、老人になると自然に一切の欲望がなくなりますね。そうなると結構人生が愉しくなりますね。

祖父江

 先生がおっしゃる通りです。90歳を過ぎると、あらゆる欲がなくなる。ひとつ高いレベルから物事を見ることができるようになる。そして人間が非常にピュアになる。

梅原

 私は軍隊に行き、空襲にもあいました。私の八高の卒業式のときに校舎が空襲で焼けて、卒業式ができなくなった。焼夷弾が落ちて、ゴロゴロと死体が道路に転がっていた。そういう時代を経験した人間にとっては、過去のことは夢うつつに思えます。自分の人生は、非常に哀れで悲惨なこともあったけれど、結構愉しいものだと感じます。

 一昨年、ひ孫が生まれました。夫婦ともにひ孫の顔を見ることができるというのは滅多にないことです。実父の半二は分家ですから、父が一代目で私が二代目。三代、四代、そして五代目がこのひ孫です。毎日、ひ孫の写真を見るのが楽しみです。それがまた生きがいです。ひ孫が小学校に入るまでは死ねないと思っています。

祖父江

 それはある年齢にならないとわからないことですね。シニアとキッズ、高齢者と乳幼児は1番の仲良しです。それは、欲がない、我がないところが共通している。こういう状態になれることが年を取ることのいいところでしょう。

敬老の思想は日本文化の根底にあるもの

祖父江

 日本の文化は独特なものだと思いますが、この日本の文化の長い歴史の中で、「高齢者」すなわち「老い」というものをどのように捉えてきたのでしょうか。梅原先生の研究の日本文化・哲学の観点からお話をうかがえますか。

梅原

 日本の文化は古い昔から高齢者を大事にしてきた文化です。その証拠は、日本で尊敬されている親鸞聖人は90歳まで生きました。当時、90歳まで生きるというのは、今でいえば115歳くらいになるのではないでしょうか。法然上人も80歳くらいまで生きました。

 長生きする人は偉いという考え方があったと思います。老人を大切にするという文化が日本の根底にあると思います。何かむずかしいことが生じると、隠居している老人に相談して"事"を丸く収めてもらう。いざ何か事が起こった場合は老人が仲裁役をする。それが日本の文化のよいところではないかと思います。

 小野小町(おののこまち 平安期の歌人)は美人でしたが、晩年その美貌が衰えて籠居(ろうきょ)しました。しかし、いざ"事"があると、80歳を過ぎてよぼよぼになった小町が現れて解決する。これは、日本の「老人を大切にする文化」を表しているのではないかと思います。

 高齢者は翁と呼ばれますが、その翁が日本の国を治めているというのが理想の社会と考えたのだと思います。能の「翁」は能の中で特別神聖な曲です。高齢者こそが、本当は日本の国を精神的に支えている。そういうことなんですね。

 私は三代目市川猿之助のためにスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を書きました。また茂山千之丞の勧めで新作狂言を三作書きました。そこで翁の精神を高らかに語りました。

祖父江

 それは大事なことだと思います。しかし、現代の生活の中では高齢者の役割というのが少し変わってきてしまったのではないかと思います。

梅原

 そうですね。しかし、日野原重明聖路加国際病院名誉院長(104歳)や俳人の金子兜太さん(97歳)などもおられ、今は高齢者も活躍する時代です。

 政治の世界でも、かつては「元老」がいましたね。元老の代表と言えば西園寺公望(さいおんじきんもち 最後の元老)でした。日本の政治では、隠居した西園寺のような高齢者が、最後まで日本の政治を左右してきました。そういう高齢者がいなくなってから、日本は軍国主義に走ってしまった。やはり高齢者、翁というのは、世界や日本の将来を見つめられる、そして、いざとなったら意見を言える人間だと考えられるのではないでしょうか。

写真2_対談シリーズ第15回

乳幼児の「無意識の記憶」が人生に大きく関わる

祖父江

 今、「赤ちゃん学」が盛んになってきました。赤ちゃんを研究する学問です。これは非常にいいことだと思います。赤ちゃんほど、いいものはないですから。

梅原

 赤ん坊は1〜3歳で人格の土台が形成されます。私の場合、赤ん坊の頃、父も母も結核で、伯父夫婦に預けられましたから、その時期、孤独に過ごしています。ですから、どこか人生観の根底に「孤独に生きる」というものがある。苦境の中でもなんとか生きなければならない、そういう生きるエネルギーは、1〜3歳のときに養われたのではないかという気がします。

 ユングは「無意識の精神」「無意識の記憶」といいますが、1〜3歳の体験・記憶の中に、根本的な人生観が存在しているのではないかと思います。乳幼児の頃の「無意識の記憶」が人生に大きく影響するのは確かですから、「赤ちゃん学」の研究はとてもいいですね。

祖父江

 私もそう思います。さきほども話しましたが、赤ちゃんのこころの動きは高齢者に相通ずるものがある。赤ちゃん学の研究は高齢者を知るのにも役立つのではないでしょうか。

梅原

 エジプトのスフィンクスが通りかかる人間に問いかけました。「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足で歩く生き物は何か?」。答えられない者はスフィンクスに食い殺された。ある旅人(オイディプス)が「それは人間だ」と答えたら、スフィンクスは崖から身を投げたという有名な神話がありますね。赤ん坊は四つん這い、やがて二本足で立つようになるが、老人になると杖をつくので三本足になるというのです。

 4本足か3本足で歩くかの違いはあるけれど、老人は赤ん坊に近づいていくのでしょう。これから成長していく者と衰えていく者と、どこか似ているのでしょう。

祖父江

 そのようですね。私はある年齢になってから、非常に赤ちゃんに親しみを感じるようになりました。

ロボットにはない日本独特のこころ

祖父江

 これからの社会は少子高齢化で、高齢者が増える一方で、子どもの数が非常に減っていき、人口構造が変わってしまう。働き手といわれる生産年齢人口が減り続けています。

 人手不足を補うために、ロボットを導入する施設も増えているようです。レクリエーションなどのために、ヒューマノイド(人型ロボット)を取り入れている老人施設もあるようです。しかし、実際に見ていると、やはり異様な感じがします。ロボットにはこころがない、表情がない。

梅原

 やはり看護・介護を担うのは人間がいちばんでしょうね。

祖父江

 今、ロボットと盛んにいいますが、私は、ある程度の手助けにはなるけれど、究極的なものには役立たないと思います。やはりロボットにはこころがない。その「こころ」というのをどうやってつくるのか。人工知能は植え付けられても、こころをロボットに植えこむことはむずかしいのではないでしょうか。

梅原

 「こころ」というとむずかしいですね。英語のスピリットともソウルとも違う。日本人独特のこころというものがあり、この世のものであると同時にあの世のものでもある。人が生き続けて、こころが移りいく中で、喜びも悲しみもある。そういうものですね。

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな  三条院

(心ならずも、このはかない現世で生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出されるに違いない、この夜更けの月が)

という歌のようなものですね。

写真3_対談シリーズ第15回

あの世に行って帰ってくる循環の思想

梅原

 こころや精神を考えるには、フロイト理論などで考えるのではなく、日本的な考え方をもとに深層心理学を研究する必要があると思います。私は40歳くらいまでデカルト、カント、ニーチェ、ハイデッガーなどの西洋哲学を研究してきました。しかし、西洋哲学が今後の人類の思想になり得るか疑問に思い、日本文化の研究をして、『地獄の思想』『隠された十字架』『水底の歌』などを著しました。

 私の肩書は日本文化研究者で、私の研究は「梅原日本学」「梅原古代学」などといわれています。私が西洋哲学から日本研究に転じたのは、西洋哲学はどこか行き詰っていると感じ、日本文化の原理の中にそれを克服する思想があるのではないかと考えたからです。

 しかし、日本文化の原理はなかなか見出すことができず、50年近く研究を続けた結果、ようやく天台本覚思想にその本質を解く鍵が隠されているのではないかと思いました。

 天台本覚思想というのは平安末期に比叡山中興の祖である良源が完成させた天台密教の思想です。その思想は「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という言葉で表現されます。「草も木も、国土もすべて仏になれる」、つまりすべてのものには仏性(ぶっしょう)があるという意味です。仏性とは仏になれる性質のことです。誰もが仏性を持っているため、誰もが救われ、誰もが仏になれるという考えです。これが後の鎌倉仏教(浄土宗と浄土真宗などの浄土教、臨済宗や曹洞宗などの禅宗、日蓮宗の法華宗)の思想的基礎となっているのです。

 例えば死刑囚に対して、親鸞聖人のように「あなたにはいろいろ悪業があってこのように罰を受けるけれど、結局は浄土に行くのです」というべきだと思います。日本人は昔からあの世を信じているのです。

 人間は死んで浄土に行くと、またこの世に帰ってくる。そういう循環の思想です。行っても帰ってこられるということです。遺伝子が子孫に受け継がれ、その遺伝子がどういう変化を遂げるのかわかりませんが、永劫の循環の中で人間は生きているという、そういう考え方が日本人に合うと思います。

祖父江

 やはりこころ、内面はなかなかわかりにくい。これからの高齢社会に向かって、こころの問題は非常に大きなポイントになると思います。「あの世はどうなっているのか」ということが高齢者の大きな不安のひとつです。あの世に行って帰ってきた人は1人もいないから、あの世の実状がわからないから不安なのです。

梅原

 昔はみんな「あの世に行けるのはいいことではないか」と考えていました。それが近代化して変わりました。親鸞聖人は、二種回向(にしゅえこう)の説を説きました。回向というのは、自分の善を他人の救済にまわすということですが、ここでいう回向は人間の回向ではなく、阿弥陀仏の回向です。阿弥陀仏の行った善を人間の救済にまわすのです。

 この世で念仏を唱えれば、どんな人でも極楽の世界に行ける。それは往相回向(おうそうえこう)で、つまり"行き"です。もうひとつは還相回向(げんそうえこう)といって、"帰ってこられる"という考え方。「あの世にいけば、必ず出口がある」。死ぬと極楽世界に行くけれど、またいつかこの世へ帰ってこられるという考え方です。

祖父江

 確かに自分の子どもから孫からひ孫と循環しているから、何%かは帰ってきていますね。

梅原

 死んでも自分の遺伝子は残ると考えると、愉しくなりますね。日本の高齢社会、そして赤ちゃん学、生命観について、われわれはやはり日本の文化の根底にある思想を通じて考えていくことが重要です。

祖父江

 これからの高齢社会にとって、有益なお話をたくさんいただきました。本日はありがとうございました。

対談者

写真:梅原 猛(うめはらたけし)

梅原 猛(うめはらたけし)
1925年、仙台生まれ。哲学者。京都大学哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学教授・学長、国際日本文化研究センター所長(初代)、日本ペンクラブ会長を歴任。主な著書に『地獄の思想』(中公文庫)、『隠された十字架法隆寺論』(新潮社、第26回毎日出版文化賞)、『水底の歌柿本人麿論』(新潮社、第1回大佛次郎賞)、『人類哲学序説』(岩波新書)、『親鸞「四つの謎」を解く』(新潮社)など多数。文化勲章受章。

編集部:梅原 猛さんは2019年1月12日にご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.78

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