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派遣報告書(ハズラ デバブラタ)

派遣者氏名

ハズラ デバブラタ

所属機関・職名

慶應義塾大学医学部解剖学教室・医学部学生

専門分野

神経科学

参加した国際学会等名称

Society for Neuroscience, 48th annual meeting (Neuroscience 2018)

学会主催団体名

Society for Neuroscience

開催地

アメリカ サンディエゴ

開催期間

2018年11月3日から2018年11月7日まで(5日間)

発表役割

ポスター発表

発表題目

Optogenetic induction of neural synchronization in the mouse medial prefrontal cortex

光遺伝学を用いたマウス前頭前皮質における神経活動同期の誘導

発表の概要

目的

 精神疾患や認知症をもつ患者では認知課題遂行時に必須となる作業記憶が著明に低下していることが報告されており、これは患者のQOLを低下させる大きな要因となっている。神経活動の同期は認知課題遂行時に重要な役割を果たすこともわかっており、精神疾患をもつ患者では前頭前皮質における神経活動の同期が低下していることが認められることも報告されている。そこで前頭前皮質における神経活動の同期を誘発し、作業記憶を向上させることで精神疾患や認知症をもつ患者のQOLを改善できる可能性がある。前頭前皮質における神経活動の同期としては、高周波数帯の脳波(ガンマ波)が認知プロセスと関連して現れ、神経発火の時間的調整を反映すると一般的に理解されている。しかしながら最近の研究では、前頭前皮質に低周波数帯の脳波(シータ波、デルタ波)が認知課題遂行とともに誘導されることが示されている。また当研究室における先行研究においても、異所性灰白質や胎児期の虚血ダメージで作業記憶の障害を有するマウスでは前頭前皮質における低周波帯の局所細胞外電位が減少していることがわかった。そこで本研究では正常マウスの前頭前皮質における興奮性神経細胞に低周波数帯の外部刺激を行うことで空間認知に関する作業記憶を向上させることが可能かどうかを調べた。

方法

 最近の研究によって、認識課題の一種である社会空間学習には特に前頭前皮質のⅡ/Ⅲ層の興奮性神経細胞から側坐核及び扁桃体への投射が関与していることが示されている。そこで本研究においても、当研究室で開発された子宮内電気穿孔法を用いて左前頭前皮質のⅡ/Ⅲ層の興奮性神経細胞特異的に光活性化タンパク質を発現した。今回使用した光活性化タンパク質はチャネルロドプシン2のC128S変異体で光感受性が高く、頭蓋骨上より前頭前皮質の深部を比較的低侵襲的に刺激することが可能となった。今回はこの光遺伝学を用いて、低周波数帯の外部刺激をマウスの左前頭前皮質のⅡ/Ⅲ層の興奮性神経細胞特異的に実現した。マウスの頭蓋骨上にプロープを取り付ける手術はマウスの成人時期にあたる生後9-10週間で行った。なお、光活性化タンパク質を発現していないマウスで頭蓋骨上よりこの光刺激を行うことで、光刺激によってマウスが興奮して作業記憶に影響がでないことを事前に確認した。作業記憶の評価にはY字迷路試験を用い、不安や運動量の評価にはオープンフィールドテストを用いた。また、今回の刺激がマウスの前頭前皮質における神経活動の同期をどのように変化させるかをみるために、電位計測ヘッドステージに合致した基板を独自に作成して光活性化タンパク質を発現している左前頭前皮質の投射先である右前頭前皮質にて局所細胞外電位の計測をおこなった。電極が右前頭前皮質の深層に刺さっていることを電位計測終了後の切片で確認している。

結果

 行動実験は全て4分ごとに3ブロック、計12分行った。最小と最後の2ブロックは介入を行わなかったが、真ん中のブロックでは光刺激群で光刺激を行ったが対照群では光刺激を行わなかった。光刺激を受けたマウスでは対照群に比べて光刺激時にY字迷路試験のスコアが有意に向上した。一方で、オープンフィールドテストでは有意な差が認められず、低周波数帯の外部刺激によって運動量や不安には影響を与えずに作業記憶が向上することが示された。行動実験終了の約2時間後に脳を固定し、神経活動によって転写が亢進するタンパク質であるc-Fosの発現を調べたところ、光活性化タンパク質発現細胞におけるc-Fosの発現が刺激群で亢進傾向であった。よって前頭前皮質という脳の深部に頭蓋骨上からの光刺激が達し、光活性化タンパク質発現細胞を刺激できたことが示唆された。さらに計測した局所細胞外電位では右前頭前皮質で低周波数帯を中心とした広範な周波数帯での振幅向上を認め、低周波数帯の外部刺激によって投射先では同期的な神経活動が誘引されていることがわかった。

考察

 過去の研究によれば、正常マウスの作業記憶を向上させることは前頭前皮質の神経細胞のドーパミンなどによる薬理学的刺激によっては不可能とされている。しかしこのような薬理学的刺激が活性化物質の作用期間全てにわたって神経細胞をランダムに活性化するのに対し、今回は光活性化タンパク質を用いた時間的制御の強い刺激をしており、神経細胞の活性化をより同期的に起こすことができたことが局所細胞外電位の結果からも示唆される。このような神経細胞の同期的な活性化によって今回は作業記憶の向上が起こったと考える。結論として、前頭前皮質のⅡ/Ⅲ層の興奮性神経細胞に低周波数帯の外部刺激を行うことで投射先の神経活動の同期的活動が誘発され、運動量や不安に影響を与えることなく作業記憶が向上することがわかった。現在は単一神経細胞の光刺激による発火の変化、投射先で活性化された神経細胞のサブタイプ染色、刺激を模倣した数理モデルの構築やなぜ低周波数帯の外部刺激が投射先における神経細胞の同期的な発火を誘発するのかを解析中である。また今回とは異なるプロトコールでの光刺激を行ってみることや他の行動実験を行ってみることも検討している。

派遣先学会等の開催状況、質疑応答内容等

質疑応答内容

  1. 前頭前皮質のⅡ/Ⅲ層の興奮性神経細胞を非同期的に刺激した場合や刺激する周波数帯を変化させた場合の局所細胞外電位の測定は行っておられますか?またその場合の行動実験はどうなりますか?
    • まだ行っていないです。今後行う予定です。
  2. 行動実験がY字迷路試験のみしか行っていないようですが、作業記憶をみる他の行動実験や作業記憶以外も学習能力や社会性をみる行動実験も行うべきではありませんか?
    • 確かに自分もそう思うのですが、まだ行えていないのが現状です。
  3. 今回の光刺激が単一神経細胞レベルでどのように効いているか教えてください。
    • 大変重要なところなのですが、まだ計測できていません。今、パッチクランプまたはCaイメージングなどによる計測を検討していますが、光遺伝学とこれらを組み合わせることが当研究室の現状の課題となっています。
  4. なぜ、低周波数帯の外部刺激が投射先における神経細胞の同期的な発火を誘発するのですか?
    • 現状は未解明です。単一神経細胞における発火の変化で数理モデルを作れば説明がつくかもしれないです。
  5. 作業記憶は刺激終了後も脳の可塑的な変化で上がり続けますか?
    • 脳の可塑的な変化的な変化は受容体の定量化を行っていないのでわかりませんが、光刺激後のブロックでは刺激群も対照群もY字迷路試験スコアの有意な差は認めないので刺激終了後には上がっていないと思われます。
  6. 作業記憶を向上させられたら凄いですね。みんな頭がよくなれます。
    • 光遺伝学をヒトに応用するのは至難の業ですが、できるといいですね。
  7. なぜc-Fosの写真で対照群のバックが暗いのでしょうか?
    • 大変恥ずかしながら焦点がややずれてしまいました。共焦点顕微鏡でブロックごとに撮影してマージしているのでどこかの領域にあわせても他のところがずれてしまうのが現状です。今後は前頭前皮質に焦点を合わせます。
  8. 刺激光の強さはどれぐらいですか?どこのメーカーのものを用いていますか?
    • 光の強度は5Vで、商品はバイオリサーチセンター株式会社から購入しているテレオプトシステムを用いています。
平成30年度第1期国際学会派遣事業 派遣者:ハズラ デバブラタ1
平成30年度第1期国際学会派遣事業 派遣者:ハズラ デバブラタ2
平成30年度第1期国際学会派遣事業 派遣者:ハズラ デバブラタ3

本発表が今後どのように長寿科学に貢献できるか

 倫理的にヒトへの遺伝子導入ができないため光遺伝学をヒトへ応用することは不可能である。そのため今回の実験結果をヒトに応用するにあたっては、まず今回の刺激系で神経活動の同期を誘発したメカニズムの解明が必須となる。次にそのメカニズムを参考に生体内で神経細胞の同期発火を可能にしている機構を解明し、それに関与するタンパク質や低分子代謝産物を同定できれば、そのタンパク質や低分子代謝産物を標的とした薬剤開発を行うことでヒトに対してもこの実験結果が応用可能となる。今回の実験結果を精神疾患や認知症をもつ患者に応用することで、患者のQOLが向上して生命予後が改善されることが予想される上、疾患の治癒にいたる可能性も存在する。また特に統合失調症患者の場合は、家族や介護・ケアにあたる人も患者の作業記憶低下やそれに伴った認知課題遂行障害によって精神的または身体的な障害を受けることが多々ある。よって患者の作業記憶を改善することでその家族や介護・ケアにあたる人にも恩恵が生まれ、健康長寿社会の発展に寄与することが期待される。