健康長寿ネット

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「ドスコイ、ドスコイ」のかけ声で広がる高齢者の輪(奈良県葛城市)

公開日:2019年2月 8日 12時55分
更新日:2019年5月21日 09時31分

写真:蹶速塚と葛城市相撲館けはや座の写真。月に1度けはや相撲甚句会による公開練習が行われる。
蹶速塚(けはやづか)(手前)と葛城市相撲館けはや座(奥)

相撲発祥の地で相撲甚句会を結成

 「當麻(たいま)の名所を甚句にとけばヨー♪」「アー、ドスコイ、ドスコイ」

 奈良県葛城市、近畿日本鉄道南大阪線の当麻寺駅周辺の住宅地が並ぶ一角から、毎月第1日曜日になると、独特の節回しが特徴的な甚句とお囃子(はやし)が聞こえてくる。

 「葛城市相撲館けはや座」(以下、けはや座)では、月に1回「けはや相撲甚句会」による公開練習が行われている。

 葛城市は相撲の開祖といわれる「當麻(たいま)の蹶速(けはや)」の出身地であるといわれている。「日本書紀」によると、出雲の国の野見宿禰(のみすくね)と當麻蹶速の天覧相撲が相撲の起源とある。平成2年5月、同市はこの伝承にちなみ、全国でも珍しい相撲の資料館であるけはや座を開所。館内には本場所と同サイズの土俵があり、地元の小中学校の遠足や海外からの旅行者の観光として利用されている。ここで定期的に相撲甚句の練習を行っているのが、けはや相撲甚句会の皆さんである。

 相撲甚句とは、江戸時代から唄(うた)い継がれている相撲界独特の唄であり、伝統的な文化の1つ。地方巡業や福祉大相撲などで力士が披露する七五調の俗謡。力士が取組の間の余興として唄ったのが始まりとされる。

 会の設立は2005年2月。「きっかけは新聞の広告で相撲甚句会結成のお知らせを見たことです」と入会の経緯を話すのは会長を務める吉村元延さん(70歳)(写真1)。定年を迎え、セカンドライフを送るに当たって何か趣味を持とうと考えていた矢先のことだった。相撲開祖の出身地にもかかわらず、市・県内に相撲甚句会がなかったため、数名の相撲甚句愛好家たちが会の設立を呼びかけた。もともと相撲が好きだったという吉村さんだが、相撲甚句は未経験。相撲甚句はちゃんこ料理屋で流れているBGMで何回か聞いたことのある程度だったという。

写真1:けはや相撲甚句会のメンバーの写真。左から安川貞男さん、山田稔さん、幹事長の菅澤徹さん、池田一志さん、会長の吉村元延さん。
写真1:天覧相撲の図を背景に、左から安川貞男さん、山田稔さん、菅澤徹さん(幹事長)、池田一志さん、吉村元延さん(会長)

 新聞広告の呼びかけに集まった20数人のほとんどが未経験もしくは相撲甚句を知らない人たちだった。現在、幹事長を務めている菅澤徹さん(79歳)もその一人(写真1)。会社員の頃に同僚が相撲甚句を披露したことをきっかけに相撲甚句を知る。「朗々としていていいもんだな、いつの日かこういったものを唄えるようになりたいなと思っていたんです。その後、新聞広告で相撲甚句会の会員募集をしていたので、思い切って応募しました。ぼくは楽器もやってなければ音楽にも疎い、不安はあったものの、興味のあった相撲甚句を唄えるようになりたいという一心で応募したら、周りの人もぼくと同じように初心者ばかりで助かりました(笑)」

公開練習が会員のやる気・技術向上につながる

 来年で結成10年の節目を迎える同会のこれまでの道のりは決して平坦なものではなかった。結成当初は20数人いた会員がなかなか定着せず、人の出入りが多かったという。その理由について吉村さんは「相撲の甚句には型があります。われわれはほとんど素人でしたから、まずはその型を覚えなければならない。それには練習が必要です。しかし、練習ばかりやっていたせいか、面白味に欠けると感じた人も少なくありませんでした」と話す。

 独特の節回しが特徴の相撲甚句、そのメロディーは単純で、単純であるがゆえに音程の上げ下げがむずかしいという。月2回の練習は市内の文化会館で行っていた。当初は、他の相撲甚句会の指導者が応援に駆けつけ、指導をしてくれた。それでも形になるまでは時間がかかった。必然的に練習ばかりとなり、会員のモチベーション低下につながってしまった。その間、ユニフォームとなる着物やシャツを作成したものの、打開策とはならなかった。

 「何とかしないといけないと考えていました。その頃は会の存続すら心配したぐらいです。そんな折、市から相撲館で公開練習しないかと呼びかけがありました。それがきっかけとなって会を立て直すことができたと思います」と吉村さんは話す。2008年7月以降、月2回の練習のうち、1回は従来どおり文化会館で行い、もう1回はけはや座で公開練習を2時間行うこととなった(写真2)。

写真2:けはや相撲甚句会の皆さんが、けはや座での公開練習を行う様子を表す写真。公開練習が会員の皆さんのやる気・技術向上につながっている。
写真2:けはや座での公開練習の様子。唄い手が前で唄い、それ以外の人は土俵を囲み、「ドスコイ、ドスコイ」「ホイ」などの合の手を入れる

 公開練習を行ってから会員のモチベーションが高まった。「観客が一人でもいれば緊張しますし、うまく唄えると拍手をいただける。また、うまくいかなければ、次の公開練習へのモチベーションにもなります」と吉村さんは話す。また、公開練習をすることによって技術の向上にもつながったという声も聞かれた。家の壁に向かって10回唄うよりも、誰かがいる前で1回唄うほうが練習になるという。

 「公開練習によって会員もやる気や技術向上につながったのはありがたかったです。ですが、これも練習を積み重ねてきたからだと思っています。石の上にも三年。この数年間の練習を続けてきたからこそ、人様に披露できるようになりました」(吉村さん)

相撲甚句で地域活性化行政とは「持ちつ持たれつ」

 こうしたけはや相撲甚句会の活動について、葛城市商工観光課主査・西川好彦さんは「皆さんの活動は相撲発祥地としてのPRにもつながっているので大変助かっています」と話す。

 毎月1回の公開練習では、同会の会員らが練習を行うだけではなく、相撲甚句についての軽妙な解説も行われ、飛び込み参加も歓迎するなど、初めての人にも親しみやすいものとなっている。そうした活動が功を奏して、公開練習以後、けはや座の入館者は年々増加し、同会の活動が多くのメディアに取り上げられるようになった。

 「おかげさまで公開練習をしてから、市内外からたくさん『うちでやってくれないか』と声をかけていただくようになりました」と吉村さんが話すように、公開練習実施以降、市内外からオファーが殺到した。それ以前からも施設慰問や全国の甚句会への参加など活動を行っていたが、件数は倍以上になった。市内の行事はもちろんのこと、大阪府や兵庫県からも出演依頼があり、出演数は全国の相撲甚句会の中でもトップクラスとなった。

 「不思議なもので、さまざまな舞台に立つようになると『次はもっと大きい舞台で!』という欲が出てくるんですよ(笑)。でも、そういった目標があると、練習にも熱が入りますから、よい結果につながっていると思います」(吉村さん)。2010年の「平城遷都1300年祭」では葛城市を代表し、「まほろばステージ」に立った。2012年4月に大相撲葛城場所が市民体育館で行われた際は、同じ会場で相撲甚句を披露した。

 また、同会の取り組みを通じた地域間の交流も盛んに行われている。當麻蹶速ともに天覧相撲を行ったのは出雲の国の野見宿禰。その出身地である島根県飯南町にある甚句会「野見宿禰赤名相撲甚句会」とは2010年頃から盛んに交流を行っている(写真3)。会員の一人である山田稔さん(70歳)(写真1)は、「伝統文化の継承だけではなく、相撲甚句会を通じて自治体間の交流の活性化につながればいいなと考えています」と話す。

写真3:島根県飯南町の「野見宿禰赤名相撲甚句会」の人達と交流を行う様子を表す写真。伝統文化の継承だけではなく、相撲甚句会を通じ自治体間の交流の活性化につながる。
写真3:他の相撲甚句会と積極的に交流を行う。写真は島根県飯南町の「野見宿禰赤名相撲甚句会」の人達と(2010年10月)

 「相撲甚句といえば葛城といわれるように、これからも皆さんには頑張っていただき、地域を盛り上げていただきたいです」(西川さん)

 市との関係について吉村さんは、「市内で多く活動ができているのは市の協力のおかげです。市の代表として当相撲甚句会を何度も取り上げ、われわれのことを推薦していただいている。われわれとしても積極的にさまざまな行事へ参加するために動いていますが、やはり市の協力があることは大きいですね。ですが、だからといって声をかけてもらうまでじっとしていたわけではありません。やはりこちらからの働きかけがあったからこそ、行政の人たちの目に留まったのだと思います。何でも同じことですが、そういった持ちつ持たれつの関係をつくることが重要だと思います」と話す。

「多く人に喜んでほしい」との思いで趣味から生きがいに変わる

 けはや相撲甚句会の結成から9年。現在会員は18人。そのうち市内の在住の方は6人、遠くは大阪府から参加している。会員の多くは70歳代で、最高齢は89歳。会員の多くは、当初、趣味の1つとして考えていたようだが、今では多くの人にとっての生きがいの場となっている。

 「月の2回でもみんなで集まって切磋琢磨(せっさたくま)するという環境がいいですね。仕事とはまた違った情熱で取り組めますし、みんな私よりも年下ですから、気分が若返ったように感じますよ(笑)」と会員の池田一志さん(84歳)は話す(写真1)。

 数々のステージに立ってきた同会であるが、特にやりがいを感じるのは施設慰問だという。同会では毎年8~10回、各地で施設慰問を行っている。「好きな唄を唄い、喜んでもらえる。プロの歌手でもないのにこんなことができるなんて本当に幸せですよ。だから少しでもうまくなって、もっと喜んでもらえるようにと練習に励むようにしています」と会員の安川貞男さん(77歳)は話す(写真1)。

 「甚句は詩吟(しぎん)などと異なり、聞いている皆さんたちとの一体感を感じやすいので、知らない人にでも喜ばれると思います」(池田さん)。池田さんの言葉通り、甚句では一人の唄い手が唄っている途中、周りの人たちが合の手を入れる。それが相撲甚句の場合になると、「ドスコイ、ドスコイ」「ホイ」などの相撲特有の合の手に変わる。「知らない人でも、周りの合の手を聞いているうちに引き込まれますし、合の手をかけられると唄っているほうも気分が上がってきます。そうやって会場が一体となるのです」(吉村さん)

 相撲甚句のむずかしさの1つである声の出し方。腹の底から声を出し、それでいて高くなり過ぎないように声を抑える。そうした唄い方は朗々とした声を生み出すだけではなく、健康増進にもつながっている。「腹から大きな声を出すことは健康にもよいと思います。歩くことも大事ですが、声を出すことも効果的だと実感しています」と池田さんは話す。

進む会員の高齢化現役世代の加入が課題

 現在抱える課題について、吉村さんは「会員の確保が課題。特に現役世代にどのように加入してもらうかが目下の課題です」と話す。結成時から人の出入りがあったものの、会員は65歳以上がほとんど。若い会員を確保するために苦労しているのは他の甚句会でも同様で、甚句だけではなく、民謡なども行う会もあり、間口を広げることで新規会員の確保に励んでいる会もあるという。

 また、吉村さんは「現在の会員のほとんどが初期からいる人たちです。そのため、初めてやる人が新規で入りにくいのかもしれない。気軽に入ってもらえるような環境づくりに励みたいですね」と話す。

 会員の安川さんは、途中から入会。今年で入会4年目となる。安川さんはあるとき、甚句会の唄を聞いて「いいな」と思い相撲甚句に興味を持ったという。「私もそれまで相撲甚句をやったこともなければ聞いたこともありませんでした。『この年になって新しく何かやる』ということに抵抗はありましたし、周りの人たちは上手(うま)く、私だけが初心者でした。ですが、皆さんが親切かつ熱心に指導してくれたので、今日まで続けることができました。何かを始めるのに遅過ぎることなんてありません。興味がある人は相撲甚句に限らず、まずは思い切ってやってみてほしいですね」(安川さん)

 「『聞くのは好きだけど、やるのはちょっと』と尻込みしてしまう人を多くみます。われわれの多くは、聞くのが好きだからやってみたのですが、最近の方はどうも違うみたいです。そういった人たちにどのように働きかけるのかも課題ですね」と吉村さんは話し、課題解決に時間をかけて取り組みたいとした。

 各地で受け継がれてきた伝統文化・芸能は、経済成長に伴う都市化や生活様式の変化などにより、後世に継承する機会が次第に少なくなってきている。そのため、地域に固有の伝統文化・芸能を受け継ぎ、発展させていくためには、これまで以上に伝える側の工夫が必要となってきている。けはや相撲甚句会の活動は、相撲の文化の振興、高齢者の生きがい創出や健康増進、地域活性化などに寄与する呼び水のような取り組みとなっている。今後、さらに人口の高齢化が進む各自治体では、このような地域の特色を生かし、高齢者を中心とした取り組みが求められる。

(2014年10月発行エイジングアンドヘルスNo.71より転載)

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.71

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