派遣報告書(板離子)
派遣者氏名
板 離子(いた れいこ)
所属機関・職名
新潟大学医歯学総合病院 口腔リハビリテーション科 歯科医師
専門分野
摂食嚥下障害学
参加した国際学会等名称
European Society for swallowing Disorders 2025 15th Annual Congress
学会主催団体名
European Society for swallowing Disorders
開催地
ギリシャ アテネ
開催期間
2025年10月7日から2025年10月11日まで(5日間)
発表役割
ポスター発表
発表題目
Effects of repetitive tongue movements on corticomotor excitability of intrinsic tongue and suprahyoid muscle areas evaluated by transcranial magnetic stimulation
経頭蓋磁気刺激を用いた内舌筋および舌骨上筋領域における大脳皮質運動野の興奮性変化に対する反復的舌運動の影響の評価
発表の概要
反復的な舌圧発揮が、舌運動を制御する大脳皮質下行路の興奮性変化に及ぼす影響を明らかにするため、経頭蓋磁気刺激(TMS)誘発性の運動誘発電位(MEPs)により評価を行った。
健常成人を対象とし、内舌筋および舌骨上筋の筋電図記録を行いながら、最大舌圧の10%,30%,60%強度での10秒間の舌圧発揮を10回繰り返し、これを1セットとして計3セット実施した。各セット終了後にMEPsを計測し、舌圧発揮タスク実施前後でのMEPs振幅の変化率を求めた。その結果、内舌筋および舌骨上筋のいずれにおいても、最大舌圧の60%強度では、後半のセットにかけてMEPsの有意な低下を認めた。一方、最大舌圧の10%強度では、内舌筋において、後半のセットにかけてMEPsの有意な増加を認めた。
弱い舌圧強度での反復的な舌圧発揮において、内舌筋領域における大脳皮質興奮性変化が認められた一方で、強い舌圧強度ではそれが認められなかったことから、舌圧発揮時の強度が、大脳皮質ネットワークの変化に影響を与えることが示唆された。
派遣先学会等の開催状況、質疑応答内容等
5日間の開催のうち、ポスターセッションは後半の3日間に組み込まれ、セッションの時間枠の中でフリーディスカッションを行った。ポスターは1フロアにまとめて掲示され、いつでも自由に閲覧が可能であった。
発表内容に関して、舌筋の筋電図記録のために用いた吸引電極について質問を頂くことが多かった。これまで舌筋の活動は、口腔内の湿潤環境から従来の表面電極での記録が難しかったが、同心円状の電極を用いて陰圧をかけることで、電極が口腔内環境でも安定し記録が可能となった。また、TMS誘発性のMEPの記録として、舌筋だけではなく、舌挙上運動に大きく関与する舌骨上筋のMEP記録を行っている点、舌運動タスクとして異なる舌圧強度による舌圧発揮を採用している点について評価いただいた。さらに、舌圧強度による大脳皮質ネットワーク変化の考察についての質問も多く、その変化に与える因子として、筋疲労やタスクに対する舌運動の巧緻性を考えているが、タスク実施中の筋活動変化との関連性について更なる分析を考えていることを示した。

本発表が今後どのように長寿科学に貢献できるか等
日本の高齢化に伴い、口腔機能低下、摂食嚥下障害を有する高齢者が増加している。安全に楽しく食事をするためには口腔および嚥下機能の維持が不可欠であり、その中でも重要な役割を果たすのが舌機能である。一方で、舌機能の改善を目的とした摂食嚥下リハビリテーションの効果に関する基礎生理学的な運動メカニズム、さらにその運動を制御する中枢神経領域との関連性についての根拠にはまだ乏しいのが現状である。本研究により、舌機能改善の機序解明、リハビリテーションによる摂食嚥下機能への効果、より効果的な摂食嚥下リハビリテーションの確立・推進に繋がることが期待でき、延いては高齢者の健康、長寿科学に貢献するものと考える。
参加学会から日本の研究者に伝えたい上位3課題
- 発表者氏名
- Joan Ma
- 所属機関、職名、国名
- Queen Margaret University, Senior Lecturer, United Kingdom
- 発表題目
- Quantification of tongue movement in discrete and continuous swallowing using Ultrasound Evaluation of Swallowing (USES)/超音波嚥下評価法を用いた分割嚥下および連続嚥下における舌運動の定量化
- 発表の概要
- 舌運動は、摂食嚥下機能を論じる上で最も重要な要素の一つであり、これまでに直接的な観察や、舌表面マーカーによる嚥下造影検査を用いた画像評価、電磁アーティキュログラフ(EMA)による舌運動様相の検討、およびワイヤー電極などを用いた筋電図(EMG)学的がなされているが、その位置関係や、筋構成の複雑さなどから、摂食嚥下過程における詳細な舌運動メカニズムの解明はまだ不十分である。本発表および本研究においては、超音波装置を用いた嚥下時の舌運動の分析を行っている。嚥下メカニズムの解明や、嚥下機能の評価ツールとして超音波装置を用いた研究報告が日本でも増加しているが、発表者のJoan Maが所属する研究室での、超音波に加えてEMGやEMAを用いた研究成果も踏まえ、より詳細な分析を行っていた点で、自分自身も舌運動に関する研究を行っているため、自身の研究と照らし合わせながら聴講することができ、大変有意義であった。舌を区域分けすることで、嚥下時の舌の蠕動様の運動や、連続嚥下では舌骨運動との関連性が見られることについて示されていた。舌運動メカニズムがさらに解明されることで、より安全な嚥下や、効果的なリハビリテーションの発展に寄与することが期待され、日本の研究者に紹介したいと考えた。
- 発表者氏名
- Ivy Cheng
- 所属機関、職名、国名
- University of Hong Kong, Assistant Professor, Hong Kong
- 発表題目
- Targeted Neuromodulation for Neurogenic Dysphagia: Recent Advances/神経原性嚥下障害に対するニューロモジュレーション:最近の進歩
- 発表の概要
- 脳梗塞などの神経原性嚥下障害に対する対応として、従来の舌運動訓練などの摂食嚥下リハビリテーションに加えて、咽頭電気刺激(PES)や反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)、経頭蓋直流電気刺激(tDCS)などのニューロモジュレーション技術を用いた中枢神経系へのアプローチが注目されている。日本の臨床場面では、まだ馴染みが少ないものであるが、本学会の発表でも、これらの電気刺激療法などに関する発表,講演が多い印象であった.発表者のIvy Chengは、これらのニューロモジュレーションに関する研究をこれまでに多く行ってきている。それぞれの技術の概要の説明に加えて、嚥下障害患者に対するPESの実施により、誤嚥が減少したことで早期のカニューレ抜去が可能であったことや、rTMSは周波数の違いにより神経可塑性変化に差があること、さらに刺激前のニューロンの状態が刺激に対するメタ可塑性に影響することなど、自身の研究内容を交えた講演で、興味深かった。日本でも、これらニューロモジュレーションに関する研究が増え、エビデンスの確立、適応が実現することを期待し、日本の研究者に紹介したいと考えた。
- 発表者氏名
- Paul Muhle
- 所属機関、職名、国名
- University Hospital Munster, Medical Doctor, Department of Neurology
- 発表題目
- Between Breath and Bite: The Dysphagia Dilemma in Critical Care/呼吸と一口との狭間:救急医療における嚥下障害のジレンマ
- 発表の概要
- 集中治療室(ICU)管理の患者では、嚥下障害を生じることも多い。その要因として、併存疾患や年齢、損傷部位、鎮静管理の有無などがあるが、特に気管切開患者では、咽喉頭感覚機能の低下により、感覚フィードバックによる大脳皮質への入力が阻害され、嚥下頻度の低下、および嚥下障害を引き起こす。気管切開は、呼吸管理により患者の生命を繋ぐbridge(橋渡し)であるとともに,嚥下障害などのbarrier(障壁)ともなり得ること、抜管に向けた管理やリハビリテーション、その判断については、医療者一人一人が個別で対応するのではなく、チーム医療としての介入が重要であることを、数多くの臨床研究を示しながら提示しており、私自身も日々摂食嚥下リハビリテーションの臨床に関わる医療者として、共感する要素、学びとなる要素が多くあり、大変興味深かった。早期の嚥下機能改善には、従来の嚥下訓練に加えて、tDCSやPESといった電気刺激療法などの併用が有効であること、さらに口腔衛生状態が関与することについても示しており、口腔を専門とする歯科医師としても、嚥下障害患者の口腔環境の重要性について日本でも認知がさらに拡大することを期待し、日本の研究者および臨床家にも紹介したいと考えた。
