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いつも元気、いまも現役(シニアチアダンスチーム「ジャパンポンポン」代表 滝野文恵さん)

 

公開月:2023年4月

たきのふみえ氏の写真。

平均年齢70歳のチアダンスチーム

 アップテンポのアメリカンポップスが流れると、20人ほどのチアリーダーたちがいっせいに動き出す。スパンコールがキラキラ光るTシャツ、手にはキンキラのピンクのポンポン。都内のホールの大きな鏡の前で、キレのあるチアダンスの動きに迫力と熱量が押し寄せてくる。練習にはげむシニアチアダンスチーム「ジャパンポンポン」の皆さんだ。

週1回、公共施設のホールを借りて練習するジャパンポンポンの写真。
週1回、公共施設のホールを借りての練習。曲をかけての通し練習は本番さながらの迫力

 全員女性で現在平均年齢70歳。28年前の結成以来その代表を務めてきたのが最年長の滝野文恵さん91歳だ。チームのセンターできびきびと弾けるように踊っている。今年80歳を迎えるメンバーが3人、最年少者が57歳というシニアチアダンスチームだ。

 毎週月曜日午後1時過ぎから約2時間半、入念なストレッチ体操後、アメリカに本部があるUSA(United Spirit Association)の日本支部から派遣されたインストラクターの掛け声に合わせて、新しい演目の振り付けを練習している。

新曲の練習で入念にポジション確認する、たきのさんの写真。
新曲の練習ではポジションの確認を入念に

入会資格は55歳以上、自称・容姿端麗!

 1996年、滝野さんが63歳のとき、前年にアメリカのアリゾナ州サンシティという高齢者コミュニティに平均年齢74歳のシニアチアリーディングチーム「サンシティポンズ」があることを知り、連絡をとって、どんな曲でどんなことをしているかを教えてもらった。

 そして仲間5人で始めたのが「ジャパンポンポン」だ。1999年に週刊新潮で紹介されてから大ブレーク。毎週のようにマスコミ取材が殺到し、最近は海外メディアからも多くの取材がきている。

 それをきっかけに入会希望者がどっと増えた。入会資格は「55歳以上、自称・容姿端麗」で、オーディションで選考される。会則もあって、第10条の「冠婚葬祭など」では、①グループ内での冠婚葬祭は一切しない、②旅行のお土産なども一切なし、③舞台出演の楽屋見舞いをする場合も差し入れはなし、④季節の挨拶、年賀状なども必要ない、⑤会に無関係な個人的付き合いについては、自由―とある。

チアダンスは自分たちが楽しむため

 「この会則を徹底するには数年かかりました。時にはどなったり、泣かせたりがあって......」と滝野さん。ありがちなおしゃべりの場にしなかったことが長続きした理由という。「でもやっていて楽しいからが一番の理由でしょう」

 しかし好意的な反応ばかりではない。「超ミニスカートで足を出して、はしたない」とばかりに眉をひそめる高齢女性に怖い顔をして睨みつけられたこともあったという。

 「ジャパンポンポンは自分たちが楽しむためにやっています。何でもありありでハードルが低いつもりです」

2017年10月の台湾公演で踊るジャパンポンポンの写真(本人提供)。
2017年10月の台湾公演。主催は台湾の高齢者デイケアサービス普及推進団体。「従来の高齢者のイメージを変えること」が目的(本人提供)
2022年3月に3年ぶりのUSAナショナルズでゲスト出演したジャパンポンポンの写真(本人提供)。
2022年3月、3年ぶりのUSAナショナルズにゲスト出演(本人提供)

コロナ禍でもショーを開催

 3年前の新型コロナ感染拡大から毎週18時から20時までの練習は昼間に変更した。今まで使っていた都内の廃校になった小学校はワクチン会場になったため、毎週、練習会場を探さなければならなくなった。

 2022年11月のジャパンポンポン結成27周年記念のチャリティショーでは、750席が満席となる盛況ぶり。5年ごとに開催しているチャリティショーだが、25周年記念がコロナで延期となり、27周年でようやく開催に漕ぎ着けた。おそろいのボブのウィッグにスパンコールがキラキラ光る超ミニスカート、手にはキンキラのポンポン。アメリカンポップスのテンポの速いリズムに合わせてステップを踏むと、ホール全体からどよめきが起こる。平均年齢70歳のチアダンスに圧倒されるのだ。

 このチケット代と寄付金を合わせた約70万円は、江戸川区の子ども食堂に寄付された。

 2023年3月に開催されたばかりのUSAナショナルズではゲスト出演を果たし、新曲を披露。会場を大きく盛り上げた。

思いっきりのいい行動力が持ち味

 滝野さんは1932(昭和7)年1月15日、広島県福山市で生まれ、大阪で育った。姉兄弟の4人きょうだい。戦時中家族で長野市に疎開、木曽で終戦を迎えた。関西学院大学卒業後、アメリカ・ミシガン大学へ1年間、私費留学。「事業家の父親がドルを持っていたから」というが、この世代ではめずらしい。

 帰国後、住友金属に就職。25歳で結婚して1男1女をもうけた。50歳のとき溺愛された父を亡くし、これが大きな転機となって52歳のときに「"家出"をしてひとり生活を始めた」と滝野さん。翌53歳でアメリカ・ノーステキサス大学の老年学修士課程に留学。57歳で帰国後、『女53歳からのアメリカ留学』(ミネルヴァ書房)を出版した。

 「興味が湧いたことは、一度行動に移す。行動に移すときは一生懸命。だけどダメだったらそこまで。決して無理をしない。思いっきりのいい行動力が持ち味」という滝野さんは、80歳でウクレレ、83歳でエレキギターを始めた。今は大人の塗り絵と活字中毒というくらい読書にはまっている。

ノーステキサス大学の卒業式で、公私ともにお世話になったマーチン教授とたきのさんの写真(本人提供)。
ノーステキサス大学の卒業式で、公私ともにお世話になったマーチン教授と(本人提供)

自分で幸せをつくらないといけません

 「チアは若い人がやるものというのは思い込み。昔は日本人は年をとるとあっさりしたものを食べ、縁側で猫をだっこするイメージがありましたが、あまり年齢で制限しないほうがいいのでは。自分の人生だから自分で幸せをつくらないといけません。

 私から見たら、まだまだ子どもとも思える40代くらいから、『もう年だから』を口にし始めるようです。でも、『もう年だから』はただの言い訳。『やりたくない』の口実だと思うのです。もちろん、健康であることが前提になりますが、やる気さえあれば年なんて関係ありません」ときっぱり。

 「よくチアダンスが生きがいですか?と聞かれるけれど、生きがいはあればあったでいいけれど、なければダメというものでもないと思います。

 例えば、農業をやっている人が健康で畑仕事をして晩酌の一杯がおいしくて満足しているということはとても幸せなことです。だから、生きがいのあるなしにかかわらず、毎日を満足して生きることが大事だと思うのです」

米国式おせっかいをしない割り切りのよさ

 子どもの頃は不愛想で偏食家だったというが、今は何でも食べるようになり、笑顔が弾けるチャーミングな女性となった。その契機のひとつとなったのがアメリカ留学。

 そして何よりもアメリカ人のおせっかいをしない割り切りのよさに影響を受けたこと。留学中、経済的にゆとりのないクラスメイトが大学のカフェテリアで何も頼まずにいたところ、「ひとついかが?」とケーキをすすめたら、「どうして?」と言われた。施しは受けないということだ。ところが、滝野さんが「1人で食べきれないから」と言うと、「じゃあ、いただくわ」と彼女は笑顔に。「私は私、あなたはあなた」の考え方が心地いいと滝野さんはニッコリ。

 「まわりの目を気にせず、自分の人生を楽しむことよ!」

撮影:丹羽 諭

プロフィール

たきのふみえ氏の写真。
滝野 文恵(たきの ふみえ)
PROFILE
1932(昭和7)年1月15日、広島県福山市生まれ。大阪で育ち、関西学院大学卒業後、アメリカ・ミシガン大学へ1年間留学。25歳で結婚、1男1女を授かる。別居後、53歳でアメリカ・ノーステキサス大学の老年学修士課程に再留学し、修士号を取得。帰国後、アメリカにシニアチアリーダーチームがあると知り、63歳で日本初のシニアチアダンスチーム「ジャパンポンポン(新しいウインドウが開きます)」を5人で結成。現在平均年齢70歳、23人のグループで今もステージに立つ。著書に『女53歳からのアメリカ留学』(ミネルヴァ書房)、『85歳のチアリーダー』(扶桑社)がある。

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health 2023年 第32巻第1号(PDF:7.3MB)(新しいウィンドウが開きます)

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