いつも元気、いまも現役(栄養学者、日本栄養大学(旧女子栄養大学)副学長 香川靖雄さん)
公開月:2026年7月

週3回、電車を乗り継ぎ2時間かけて大学へ
日本栄養大学副学長の香川靖雄先生は、94歳の今も栃木県の自宅から埼玉県・坂戸キャンパスへ週3回、電車を乗り継ぎ2時間かけて通っている。副学長室のある建物は最も歴史が古く、エレベーターがないため、杖を使いながら、階段をゆっくりと上り下りしている。
「電車での移動や階段の上り下りも、健康を保つ理由のひとつです。授業は立って行いますから、立つ練習にもなります」
副学長室に着くと、まずパソコンでメールを確認し、手際よく返信する。大学院では総合講義と栄養教育学を担当し、同大学栄養科学研究所の所長も務める。さらに、自治医科大学の客員教授として同大学でも研究を続けている。

女子栄養大学は2026年度から共学化し、「」へと名称を変更した。入学者499名のうち男性は55名で、全体の1割強を占める。少子化の影響で定員割れの私立大学が増える中、同大学は定員を上回る人気を誇っている。

香川先生は70歳の頃、副学長を続けるか判断するため、テロメアの長さを測ったという。
「テロメアの長さから、おおよその寿命が推定できます。私の場合は6,500塩基対でした。一般に5,000塩基対を下回ると寿命が尽きるとされ、テロメアは年に約50塩基対ずつ短くなります。計算するとあと30年、つまり100歳まで生きられる可能性があるとわかり、副学長を続ける決断をしました。今は94歳ですから、テロメア仮説は8割ほど当たっていますね」
そう語り、香川先生はおおらかに笑う。
遺伝子に基づく栄養プロジェクト「さかど葉酸プロジェクト」
香川先生が長年の研究で重視しているのが「葉酸」だ。葉酸は、枝豆やほうれんそう、ブロッコリー、グリーンアスパラガスなどの緑の濃い野菜や、うなぎやレバーなどに多く含まれるビタミンB群の一種で、不足すると血中ホモシステイン濃度が上昇し、脳卒中や心筋梗塞、認知症、骨粗鬆症などのリスクが高まる。
このため日本栄養大学は2006年から埼玉県坂戸市と連携し、「」を進めている。遺伝子に基づく栄養指導を軸に、葉酸の摂取に加え、魚由来のDHA摂取と減塩を組み合わせ、認知症や脳卒中、心筋梗塞、糖尿病などの発症・重症化を長期的に抑える取り組みだ。具体的には、1日あたり葉酸400マイクログラム、魚介類100グラムの摂取、減塩を目標とし、講義や血液検査、遺伝子検査、食事調査を実施し、その結果に基づき栄養指導を行っている。
「日本人の約6割は、葉酸が不足しやすい・やや不足しやすい遺伝子を持っています。しかし、この事実は医師や栄養士には十分に知られていません。葉酸の1日当たりの推奨摂取量は、国際的には400マイクログラムとされていますが、日本では240マイクログラムにとどまっています。日本も世界基準の400マイクログラムに合わせるべきです。実際に84か国では穀類への葉酸添加が義務化されており、葉酸の摂取は今や世界の常識になっています。
DHAについても同様です。日本人には、体内でDHAを合成する力の弱い遺伝子を持つ人が多く、約6割にのぼります。健康維持には魚からDHAを摂取することが重要ですが、近年、魚の摂取量は1日50グラム程度まで減少し、健康への影響が顕在化しています。このため、魚100グラムの摂取を推奨しています。さらに、日本人の約7割は高血圧になりやすい遺伝子を持っているため、食塩は1日6グラム以下が望ましいと考えています」
葉酸を効率よく摂る手段として、ハウスウェルネスフーズ株式会社と共同で「」(葉酸米)を開発した。葉酸に加え、ビタミンB1、B6、B12も強化されている。妊婦では葉酸不足は無脳症など先天異常のリスクを高めるため、十分な摂取が推奨されている。坂戸市では、婚姻届提出時や母子健康手帳交付時に葉酸米を配布する取り組みも行っている。

20年にわたる本プロジェクトの成果として、坂戸市の医療費は全国および埼玉県内で低水準に抑えられ、認知症や循環器疾患の減少も確認されている。2024年には埼玉県健康長寿優秀市町村表彰で特別賞、2025年には日本ビタミン学会第77回大会で企画・技術・活動賞を受賞した。
葉酸とDHAがもたらす効果と実践的な栄養指導
20年に及ぶ「さかど葉酸プロジェクト」と、30年以上にわたる栄養科学研究所の追跡研究から、葉酸とDHAの有効性を示す長期的なエビデンスが蓄積されている。
「葉酸とDHAを併せて摂取することで、認知症の発症リスクは大きく低下します。さらに、この2つはテロメア長の維持にも関与します。DHAが不足すると、脳の発育が不十分なまま生まれてくるリスクが高まり、葉酸不足は発達障害や自閉症のリスクと関連します。近年の不登校やいじめの増加についても、栄養状態と関連があります。坂戸市では不登校・いじめの件数が全国平均の約10分の1に抑えられており、背景には、葉酸やDHAの摂取による脳の健全な発達があると考えられます」
また、同大学栄養クリニックでは、「遺伝子に基づく栄養指導」を実践しており、特に高齢者には無理のない対応を重視している。
「日本人の約7割は高血圧になりやすい遺伝子を持っていますが、高齢者に厳格な減塩(1日6グラム以下)を求めると、食欲低下を招くことがあります。そのため、無理のない範囲で減塩し、必要に応じて降圧薬の使用を勧めています。高齢者の体重管理については、一般に適正体重はBMI22とされますが、高齢者ではそれでは低栄養やフレイルのリスクがあるため、BMI23〜24程度を目安に指導しています」
何をどう食べるか─四群点数法と現代ツールの併用
では、健康長寿のために、何をどのようなバランスで食べればよいのか。香川先生は、母であり日本栄養大学の創設者・香川綾氏が考案した「」※1に触れつつ、現代的な実践法の必要性を指摘する。
※1 四群点数法:栄養素の特徴によって4群に分類し、バランスよく栄養が摂取できる仕組み。第1群:牛乳・乳製品・卵、第2群:魚介・肉・豆製品、第3群:野菜・芋・果物、第4群:穀類・油脂・砂糖。
「四群点数法は優れた方法ですが、食材を重量で管理するため、一般の人には実践が難しい面があります」。そのうえで、より取り入れやすい指標として、東京都健康長寿医療センター研究所が提案する「」※2を挙げる。これは高齢者の低栄養予防に有効とされる食品群で、日々の食事に組み込みやすいのが特徴だ。中でも、日本栄養大学特任教授の新開省二氏(元東京都健康長寿医療センター研究所所属)は、「牛乳・卵・野菜」を毎日摂ることがフレイル予防に有効であると示している。
※2 10の食品群:「さ:魚」「あ:油」「に:肉」「ぎ:牛乳・乳製品」「や:野菜」「か:海藻」「い:いも類」「た:卵」「だ:大豆製品」「く:果物」。頭文字をとって「さあ、にぎやか(に)いただく」。
食環境の変化を踏まえた工夫も必要だと強調する。「四群点数法は、自分で食材を選び調理する時代に適した方法です。現在は加工食品の利用も多く、同じやり方をそのまま続けるのは現実的ではありません。そこで、現代のツールを併用することを勧めています」。具体的には、栄養計算を自動で行うアプリ「」の活用や、必要な栄養素を効率よく補える「完全栄養食」を補助的に取り入れる方法を挙げる。
四群点数法の原点は、「魚1、豆1、野菜4」、つまり、魚100グラム、大豆製品100グラム、野菜400グラムを基本とする構成だ。これは戦前、白米の普及に伴い脚気が広がった時代に、香川綾氏が食事調査をもとに導き出した割合である。当時は「主食は胚芽米、魚1、豆1、野菜4」とされ、栄養バランスの要として位置づけられていた。
さらに近年、東北大学の研究グループが食事性炎症指数※3を用いて検証したところ、健康に最も望ましい食事バランスも「魚1、豆1、野菜4」に一致したという。
※3 食事性炎症指数:食生活が身体の炎症に与える影響を客観的に評価する指標。
「昔も今も、健康に良い食事の本質は変わりません。難しく考えず、『魚1、豆1、野菜4』を意識することが大切です」

コロナ死亡率が低い日本─栄養が決め手
「結局、コロナで生死を分けたのは、実は栄養です※4」
※4 Kagawa Y.: Influence of Nutritional Intakes in Japan and the United States on COVID-19 Infection. Nutrients 2022; 14(3): 633.
日本は高齢化率も人口密度も高く、新型コロナウイルスによる死亡率の上昇が懸念されていた。しかし結果として、先進国の中でも死亡率は低かった。
「日本のコロナによる死亡率はアメリカの17分の1です。その要因は栄養状態にあります。日本で亡くなった人の多くは高齢者や重い基礎疾患のある人でしたが、アメリカでは若年層を含め多くの人が亡くなりました。『日本人は遺伝的に強い』という見方もありますが、それは正しくありません。アメリカでは、外食産業が盛んで飽和脂肪酸や砂糖の摂取が多く、国民の70%が肥満となり、栄養状態の悪化が広がっています。肥満の有病率は日本の約10倍です」
ワクチンも、良好な栄養状態があってこそ十分な効果を発揮する。抗体の産生やT細胞の働きは、栄養状態に左右されるためだ。
「つまり栄養が決め手であり、肥満や低体重の人ほどリスクが高まります。今後も新たなウイルスの流行は起こり得ますが、体が栄養学的に整っていれば多くは防げるでしょう。今回の新型コロナは、その大きな教訓でした」

尾身茂氏との師弟対談を収録
医学教育に栄養学の導入を
肥満が深刻化するアメリカでは、その反省を踏まえ、医学教育に栄養学を組み込む動きが進んでいるという※5。
※5 香川靖雄: 医薬中心の医療から"食"を重視する医療へ 米国医学教育における栄養学導入が示す未来. 栄養と料理 2026; 92 (2): 92-95.
「アメリカ保健福祉省のケネディ長官は2025年、医師の教育課程に栄養学を導入する方針を発表しました。医薬中心の医療から、栄養を重視する医療への大きな転換です。一方、日本では、旧帝大などの医学部に以前あった栄養学教室は再編が進み、独立した教室を持つ国立大は徳島大学のみです。日本でも同様の転換が必要であり、そのためには医師が正しい栄養の知識を身につけること、そして医学部における栄養学教育の再構築が不可欠です。『さかど葉酸プロジェクト』が示すように、栄養学を生かし、医薬に過度に依存しない健康づくりが求められています」
香川先生は2024年、世界トップ0.5%の研究者に選出された。論文は369本、被引用数は1万8,006回にのぼり、その学術的影響力の高さが評価されている。
「ただ長生きするだけでは意味がなく、人のお役に立てるような仕事をすることが生きがい。だからこそ研究が楽しいです」
2024年に出版した『92歳、栄養学者。ただの長生きではありません!』(日本栄養大学出版部)では、「一人ひとりが望む人生を生きるための栄養」と語っている。香川先生の言葉からは、栄養は単に健康のためでなく、その人らしい人生を支える力であることが伝わってくる。
撮影:丹羽 諭
プロフィール

- 香川 靖雄(かがわ やすお)
- PROFILE
1932年東京生まれ。日本栄養大学の前身である「家庭食養研究会」の創設者の香川昇三・綾の長男。東京大学医学部医学科を卒業、聖路加国際病院(日野原重明氏に師事)、東京大学医学部助手、信州大学医学部教授、米国コーネル大学客員教授を経て、1972年自治医科大学設立と同時に生化学教授。1998年より女子栄養大学教授、1999年より女子栄養大学副学長・栄養科学研究所所長。2026年度共学化により日本栄養大学に名称変更。自治医科大学名誉教授・客員教授。2024年世界トップ0.5%の研究者に選出。主な著書に『あなたの健康寿命は「葉酸」で延ばせる』『92歳、栄養学者。ただの長生きではありません!』(以上、日本栄養大学出版部)など多数。
※役職・肩書きは取材当時(令和8年7月)のもの
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