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いつも元気、いまも現役(民族写真家 芳賀 日出男さん)

公開日:2020年12月25日 09時00分
更新日:2020年12月24日 09時37分

祭りの日の「訪れ神」が心を捉えて離れない

 「1000年前の源氏物語の世界がそのままそっくり今でもちゃんと残っているんです。源氏物語を読んだことがない人が、父や母からの口伝えで昔ながらの祭りや風習を継承しているんですから驚きますよ。民俗写真はそこが一番の魅力ですね」

 民俗写真は芳賀日出男さんが切り拓いた新しい写真のジャンルである。それまで民俗学を研究する人はいても、民俗行事をテーマにする写真家はいなかった。1985年、芳賀さんは東京・高田馬場に「芳賀ライブラリー」を設立。ライブラリーでは日本と世界の祭りと民俗行事の写真を提供している。"祭り"を専門に扱う会社は世界でもめずらしい。

 芳賀さんは1921年、満鉄社員の子として中国・大連に生まれた。慶應義塾大学で中国文学を学ぶため単身で東京に移り住んだ。小学生の頃から写真が好きで、大学では迷うことなくカメラクラブに所属。民俗写真へ導かれたきっかけは、大学で受けた折口信夫(おりくちのぶお)教授の国文学の講義だった。折口信夫といえば、わが国の民俗学の基礎を築いた人物で、柳田國男の高弟のひとり。

 「折口先生の講義は大変むずかしくて、はじめのうちはさっぱりわからなかったですね。ある日の授業で居眠り半分に聞いた『村の祭りの日に神の姿の者が訪れる』という先生の言葉にはっと目が覚めて、これが本当なら写真に撮れるかもしれないと思ったのを今でも覚えています」。それは折口学説の基礎となる「まれびと」「訪れ神」のことだった。

 在学中の1943年に学徒出陣し、海軍に入隊。北海道の海軍基地で終戦を迎えた。東京に戻った後は、深夜は日本通信社でニュース配信の仕事、昼間は写真撮影の毎日だったが、まもなく通信社は解散。芳賀さんは職を失ってしまう。気分を一新するために撮影に出かけた福島の農村の正月行事。農民たちが「稲の中に神様がいる」と信じていることを知り、折口先生の言葉を目の当たりにした。

 「農村の写真を大学の恩師、奥野信太郎先生に見せると、『民俗写真という分野は今までなかったかもしれない』と答えが返ってきました。写真のモチーフを何にするか迷っていた時期だったので、これは"天の啓示"と思ったんです」

 折口先生の講義から発想を得て日本古来の民俗風習を撮ることに興味を抱いていた芳賀さんは、奥野先生の言葉の後押しもあり、民俗写真を生涯のライフワークにすることを決めた。

写真1:70年間にわたり撮り続けた原風景をまとめた「折口信夫と古代を旅ゆく」を持つ芳賀さんの写真。
『折口信夫と古代を旅ゆく』(慶應義塾大学出会)。70年間にわたり撮り続けた折口信夫の見た原風景をまとめた

地道に撮り続けた民族写真に光が当たり始めた

 芳賀さんがフリーランスの写真家として活動を始めた1950年代は、土門拳らが提唱するリアリズム写真の時代。芳賀さんが撮る祭りや民俗行事の写真を掲載する出版物は少なかった。しかし、「いずれ民俗写真が世の中に認められる日が来る」と信じて、粘り強く撮影を続けていった。そして、平凡社の百科事典への写真掲載を皮切りに民俗写真の需要は次第に高まっていく。1958年には初の個展「田の神」を開催。翌年には写真集『田の神 日本の稲作儀礼』(平凡社)を刊行し、民俗写真家としてその名が知られるようになった。

 フリーランスの写真家となった数年後に結婚し、2人の子どもに恵まれた。「女房の杏子は軽井沢の老舗旅館の娘。夏の間、文士が執筆のために宿泊しているような旅館で、ぼくはそこに何度も写真を撮りに行っていたんです。そのうち間に立ってくれる人がいて、『旅館の娘を嫁にもらわんか』という話になって」

 杏子さんは芳賀さんが写真に没頭できるよう、営業や経営を一手に引き受けた。日本の民俗行事の撮影を続ける中、秋田県男鹿(おが)半島の「なまはげ」の撮影でウィーン大学の留学生ヨーゼフ・クライナーと知り合う。彼から「なまはげに似た仮面行事がアルプス山麓にある」という話を聞き、オーストリアへ取材撮影を敢行。これを機に撮影はヨーロッパの民俗行事にまで広がっていった。

 1970年、大阪万博での「お祭り広場」のプロデューサーの話が舞い込んできた。「日本の祭り・世界の祭り」の企画と制作である。「世界100か国の祭りを呼ぶので、それを担当してほしいと頼まれました。100か国の祭りが来るというのに、まだ20か国くらいしか見ていなかったので断ろうとしたら、『20か国も見ている人は他にいませんから』といわれて(笑)。それならばやるか、と引き受けることになりました」

 半年間、200以上の日本の祭りと100か国の外国の祭りのプロデュースに携わった。万博を通して日本各地や海外の人々との交流がさらに深まり、後の撮影につながっている。

写真2:芳賀さんと長男の芳賀日向さんのツーショット写真。
長男で写真家の芳賀日向(ひなた)さんと一緒に

民族写真は人々の人生の記録である

 「訪れ神」「まれびと」は、日本と海外の祭りに共通してみられる。「たとえば、石垣島の訪れ神の"まゆんがなし"や竹富島の"弥勒(みるく)の神"。神は祭りの晩に遠いところから訪れてきます。神が訪れてくるのと、こちらから行って神に会うのと両方がありますが、日本では神が訪れてくるほうが多いですね。ヨーロッパの祭りも日本と似たところがあります。オーストリアの"クランプス"は、秋田の"なまはげ"にそっくりです。『神が訪れて自分たちに幸を与えてくれる』『神を尊敬して迎える』というところは、日本も海外も同じですね」と言葉に力が入る。

 半世紀の間、撮影を続けてきた中で、消えていった祭りや民俗行事もある。「日常生活や生活習慣の中にあるものだから、時代に合わなくなったものがなくなっていくのは仕方ないですね。沖縄県久高(くだか)島の"イザイホー"なんかはそうです。30歳以上の既婚女性が神女になるための12年に一度の儀式ですが、1978年を最後に現在まで行われていません。でも人間の命と同じで、途絶えても完全になくなるわけではありません。村が町になって都会になっても、日本人の古い風習はどこかに伝えられていくものです」

 「民俗写真は人々の人生の記録である」と芳賀さん。祭りや風習は消えゆく可能性があるからこそ、民俗写真は記録として重要であると仕事に誇りを持って写真を撮り続けた。やがて国も無形文化財を保護するようになり、時代がようやく芳賀さんに追いついてきた。

 芳賀ライブラリーでは、40年以上にわたり撮りためた民俗写真のリバーサルフィルムをコード化して検索できるようにしている。問い合わせがあれば、フィルムが何段目の引き出しにあるか、30秒も待たずにわかるよう整理されている。

 「芳賀ライブラリーの写真は民俗学的な分野になるので分類がすごく大事。図書館と同じで、フィルムは戻るところに戻らないと二度と出てこない。この分類の仕方を女房が中心になってつくってくれました。作品に関してはぼくより詳しくて、『◯◯祭りはありますか?』と電話がかかってきても、ぼくは『はて?』と迷うのですが、女房はすぐに返事をしてくれましたね」。杏子さん亡き後もこの分類方法を事務所の人がしっかり受け継いでいる。

 杏子さんも写真を撮るのが好きだった。年齢を重ねてからは夫婦2人で写真撮影に出かけたが、若い頃はそれぞれ別に出かけていたという。それは一緒に撮影に行って飛行機事故などにあったらいけないという理由から。写真のことで何か疑問があると、食事中でも2人で辞書を片手に調べ始める。被写体に敬意を持って撮影に挑んでいるため、勉強は常に欠かさなかった。

 芳賀ライブラリーは現在、息子の日向(ひなた)さんが中心となり、日本と世界の祭りや文化を撮り続けている。現在、1,500の日本の祭りと300の世界の祭り、およそ30万点の写真を扱っている。その写真は学習図書や出版物を通して、誰もがどこかで目にしているはず。

写真3:芳賀ライブラリーの写真のリバーサルフィルムが収められた引き出しの様子を表す写真。
芳賀ライブラリーの写真のリバーサルフィルムが収められた引き出し。フィルムは元の場所に戻すことが鉄則

晩酌は白ワインの焼酎割り 酒の肴は刺し身

 お酒には目がない芳賀さん。祭りの撮影で宿泊する宿は地酒の種類で選んでいたほど。立ち飲み屋で知り合った気楽な仲間とワイワイ飲むのが好きだという。「晩酌では白ワインを焼酎で割って飲むことが多いですね。白ワイン半分、焼酎を半分。そうするとね、ちゃんとワインの味がして、焼酎と同じくらい酔うんです。白ワインだけだと弱いんだな(笑)。酒の肴は刺し身。刺し身には日本酒が合うけど、最近は少し甘口のお酒のほうがよくなったんですよ。それで白ワイン」

 お酒好きな芳賀さんを心配して、杏子さんは「飲み過ぎないようにセーブしてあげて」と一緒に出かける人にいつも頼んでいたそうだ。水割りを薄めにつくって芳賀さんに渡しても何杯も何杯も飲んでしまうため、結局アルコールの量は変わらなかったという。

 健康のために心がけていることは?「スポーツは特にしないね。でも写真を撮るのはスポーツと同じじゃないかな。祭りの撮影には体力を使いますから。もしかしたら緑茶を飲んでいることも健康によいかもしれないね。1日に6~7杯は飲むから多いほうでしょう」。中国語で「萬壽無疆(ばんじゅむきょう)」(健康でいつまでも長生きしますようにと願う言葉)と書かれたお気に入りのマグカップで飲んでいたのも緑茶だった。

写真3:芳賀さんが撮影した愛知県北設楽郡の「花祭」の様子を表す写真。
愛知県北設楽郡の「花祭」。うるう年に山頂にある氏神の槻(つき)神社から村里へ降りてくる山の神の榊鬼(さかきおに)(撮影:芳賀日出男)

 これから撮りたい写真について、「昔撮って、今は途絶えてしまった祭りかな。それをもう一度記録に残したいという気持ちはありますね。たとえば愛知県の北設楽(きたしたら)郡の『花祭』。今は踊りだけに簡略化されていますが、昔は山からちゃんと鬼が降りてきたんです。道も立派に舗装されて里山の風景じゃなくなりましたがね」と話す芳賀さんの目には、山の神である榊鬼(さかきおに)がはっきり見えているのだろう。

(2015年7月発行エイジングアンドヘルスNo.74より転載)

プロフィール

写真:インタビュアー芳賀日出男さん
芳賀 日出男(はが ひでお)(民族写真家)
 1921年(大正10年)9月10日、中国・大連生まれ。民俗写真家。(株)芳賀ライブラリー相談役。慶應義塾大学文学部卒業。1950年日本写真家協会に創立メンバーとして入会。写真家として日本国内、世界101か国を撮影。1970年大阪万博「お祭り広場」のプロデュースを務め、日本の祭り、世界の祭りを公演。1973年全日本郷土芸能協会を創立。1988年オーストリア・ウィーン市より栄誉功労銀勲章。1989年紫綬褒章、1995年勲四等旭日小綬章受章。1997年日本写真家協会名誉会員。2009年オーストリアより科学・芸術功労十字章。著書『田の神 日本の稲作儀礼』(平凡社)、『折口信夫と古代を旅ゆく』(慶應義塾大学出版会)ほか70余冊。2014年文庫版『日本の民俗 祭りと芸能』『日本の民俗 暮らしと生業』(KADOKAWA)を出版。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌Aging&Health No.74

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