健康長寿ネット

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いつも元気、いまも現役(紫竹ガーデン社長 紫竹昭葉さん)

公開日:2020年10月30日 09時00分
更新日:2022年12月 2日 10時31分

花の力を信じて自然のまま育てる

 北海道帯広市郊外、十勝平野の田園地帯に広がる麦やジャガイモ畑を車で進むと、路肩に現れるダイヤーズカモミールの黄色の花々。それが夏の季節、紫竹ガーデンの道しるべとなる。

 「帯広に野の花が自由に咲くお庭を」をコンセプトに、1万8000坪の土地に2500種もの花々が咲きほこる紫竹ガーデン。年間10万人ほどが訪れる人気の観光ガーデンだ。季節ごとに違った表情を見せる紫竹ガーデンは、夏から秋にかけて特に見どころがいっぱいだ。夏にはデルフィニウム、ルドベキア、クレマチスなど、秋にはコスモス、ダリア、トキワギクや柳葉ひまわりなどが訪れる人の目を楽しませる。

写真:紫竹ガーデン入口の様子を表す写真。大きな白樺の看板がある。
紫竹ガーデン入口では大きな白樺の看板がお客さまを迎える

 庭の管理方法がユニークである。無農薬、無肥料栽培にとどまらず無散水栽培。水やりはこの14年間、1度もしていないというから驚きだ。

 「どんなに暑い日が続こうとも、『お水がほしければ根っこをのばしてお取りなさい!』と草花に向かって声をかけるだけ。水やりをしない理由は、植物の能力を信じているから。93歳の花遊びに大切な地下水をどんどん汲み上げることもよいことではないから」と話すのは、"紫竹おばあちゃん"こと、紫竹昭葉(しちくあきよ)さん。紫竹ガーデンのオーナー社長だ。

 雑草を見つけても、花に雑草が覆いかぶさらない限り、むやみに除草はしない。花たちと雑草たちが織りなす景色が美しいと考えるからである。紫竹ガーデンの雑草は庭の重要なスタッフの一員である。

 紫竹さんは60歳で庭づくりを始めてから33年もの間、1日も休むことなく花々のお世話とガーデンのお客さまの案内を続けてきた。

写真2:デルフィニウム、ルドベキアなどの夏の花々が咲く7月中旬の紫竹ガーデンの様子を表す写真。
7月中旬の紫竹ガーデン。デルフィニウム、ルドベキアなどの夏の花々がいっせいに咲く

帯広に野原を蘇らせて花咲きほこるお庭をつくろう

 紫竹さんは56歳のときに最愛のご主人を亡くされた。「あんなに素敵な人はいない」と言うほど仲睦まじい夫婦だった。ご主人を亡くしてからの紫竹さんは泣いてばかりで抜け殻のようだったという。

 それを見かねた長女・隈本(くまもと)かずよさんの母への一言。「お父さんはお母さんのことを太陽のように明るい人だって言っていたわよ」

 かずよさんの言葉にはっと目が覚めた紫竹さんは、「もう一度自分らしい生き方を探そう」と決意。辿りついた答えは、「幼いころに遊んだ帯広の野原を蘇らせよう。花咲きほこるお庭をつくろう」だった。最初は紫竹さんの夢に反対だった家族だが、かずよさんの夫の「夢を見るのも才能かもしれない」という言葉に家族は一変し、協力することになった。

 その後、紫竹さん60歳のとき、帯広市郊外に1万8000坪の土地を購入した。そこは耕作放棄地でわずかな防風林があるだけ。東京ドームより少し広いくらいの土地を一から整地する必要があった。

 「野原をつくりたい一心で土地を購入して、あとになって『大変なことになった』と気がつきました。でも神様っていらっしゃるのね。協力者が現れました」

 紫竹さんの実家の建設会社の関係者が重機や資材を持ち込んで駆けつけてくれた。「紫竹さんのお父さんとご主人にはお世話になったので恩返しがしたい」と無償で手伝いを買って出てくれたのだ。そして何日かのうちに庭の原型ができあがった。

 紫竹ガーデンの基本設計は奥峰子(おくみねこ)さんが担当した。奥さんは新宿御苑の移植計画やグラバー園の改装計画に携わったガーデンデザイナー。イギリスやベルギーで勉強し、ナチュラルガーデン設計を得意とする。

 「お庭の設計をする人はいるけれど、野原の設計となるとそうはいません。知り合いから奥さんの話を聞いて、東京の個展を訪れました。そこで見た"草花庭園"に目を奪われて設計をお願いしたのです」

 奥さんは何度も帯広を訪れ、3年かけて庭の基本設計を行った。かずよさん(紫竹ガーデン専務)も庭の設計段階から庭づくりに関わるようになっていた。

写真3:インタビュアー紫竹さんと長女で専務の隈本かずよさんとのツーショット写真。
長女で紫竹ガーデン専務の隈本かずよさん(右)と

 庭の基本設計を終えた後、奥さんからこんな言葉をいただいた。「私が基本設計したお庭ですが、明日からは紫竹さんのお気持ちがこのお庭をつくっていくんです。紫竹さんのお気持ちで花を咲かせてくださいね」

 この「花に気持ちが伝わる」という言葉を今でも心に留め置いているという。

 そして1992年、紫竹ガーデンはオープンした。しかし、観光ガーデンが一般的でなかった当時、入場料だけで経営を維持するのはむずかしかった。そこで庭や花壇づくりの営業や講演会など、紫竹ガーデンを維持するために北海道中を走り回った。

 次第に多くのメディアに取り上げられるようになり、初年度の入場者2000人ほどから、毎年倍々に増えていき、十勝を代表する観光スポットにまでなった。

写真4:紫竹ガーデンを凝縮して小さくしたお庭のテーブルガーデンの様子を表す写真。
テーブルガーデンでの1枚。紫竹ガーデンをぎゅっと凝縮して小さくしたお庭。高齢の方や車いすの方がお茶を飲みながらお庭を楽しめる

お客様1人ひとりにお声がけ紫竹おばあちゃんのおもてなし

 紫竹さんにガーデンを案内していただく。途中すれ違うお客さまに、「野の花、楽しんでくださいね」と気さくに声をかける紫竹さん。声をかけられたお客さまから自然と笑顔がこぼれる。ある方はガーデンの奥のほうにいるお連れの方に携帯電話をかけ、「おばあちゃん、入口近くにいるよ」と呼んでいた。来訪者は花を見るのと同じくらい"紫竹おばあちゃん"に会うことが目的になっているようだ。

 「みなさんにお声がけするのですね」と聞いてみると、「遠慮してお客さまのほうから声をかけづらいかもしれないでしょ?だから私のほうからお声がけするの。1人でも多くの方にお会いしたいから、できるだけここを留守にしないようにしています」

写真5:紫竹さんがガーデンの来訪者ひとりひとりに声をかける様子を表す写真。
「いらっしゃいませー」とお客さま1人ひとりに気さくにお声がけ

 花をモチーフにした華やかなファッションでお客さまを迎えるのも紫竹さんのおもてなしのひとつだ。「一緒に写真を撮りたい」というリクエストにも1人ひとりに笑顔で寄り添って応える。

 7月中旬の夏真っ盛りのガーデンでは、デルフィニウムの紫の花が風にそよいでいた。「デルフィニウムは放っておいても毎年咲いちゃうの。毒があるけれどきれいで人気があるのよ」。ガーデンのおよそ90%には宿根草(しゅっこんそう)が植えられている。宿根草とは、植えっぱなしでも毎年開花する草花や球根植物のことだ。

 「毎年出てくる花はそのままにします。去年ここでいい気分で育った花が今年のお庭の景色をつくります。冬の間は雪吊りも囲いもしないで春が来るのを待ちます。根がダメな植物は枯れてしまうけど、上部が枯れるのは自分が咲くときが過ぎたからで、休眠中であれば来年も花を咲かせてくれます」

 時々出会うのは、「園芸さん」と呼ばれる花のお世話をするスタッフの方々。ガーデンオープン当初から30年近く働いている高齢の園芸さんも多く、庭の仕事が生きがいになっているという。

 「これどうぞ食べてみて」と紫竹さんがお庭からとってくれたのは、すぐりの実とウドの茎。無農薬だから洗わずそのまま口にできる。贅沢なつまみ食いだ。「紫竹ガーデンものは誰でも勝手にとって食べていいのよ」とおおらかに笑った。

世の中うれしいことばかり忘れることも幸せの秘訣

 紫竹ガーデンに併設されているレストランでは朝食ビュッフェをいただくことができる。「そろそろご飯にいたしましょう」と紫竹さんが誘ってくださった。

 無農薬野菜のサラダ、肉料理、デザートと、紫竹さんのお皿は誰よりも盛りがいい。「食べることは生きる力」と紫竹さん。若いころからお肉が好物だそう。

 かずよさんに紫竹さんのことを伺うと、「母はものすごく特異な人。何にでも興味津々で、お花も好きだし、人も好き。1人ではできないことでも周りの人が自然に助けてサポートしてくれるような不思議な人です。本人が思っている以上に皆さんから可愛がっていただいています。お花を見に来てくださるというよりも、お花畑で遊んでいる紫竹おばあちゃんを見に来てくださる方が多いように思います」

 「東日本大震災直後の2011年4月、名古屋の百貨店で『紫竹おばあちゃんの幸福の庭』というイベントを行いました。初日、オープンと同時に、お客さまが母のところにいらして感激して泣かれたんです。その方は福島から一時的に避難されていた方で、『自宅の台所から見えたお庭はこんなふうだった。津波で流されてしまったけれど、こんなお庭をいつかまたつくりたい』とおっしゃいました。『今度は紫竹ガーデンにお越しくださいね』と言って別れたのですが、その2週間後にその方が紫竹ガーデンにいらしてくれたので驚きました。お花の力のすごさを改めて感じました」

 かずよさんが話す姿をニコニコと見守る紫竹さん。「かずよはしっかり者で働き者。かずよがいなければガーデンはつくれなかった。いつも家族やスタッフ、周りの皆さんの顔を思い浮かべて感謝しています」

 紫竹さんに幸せの秘訣を伺うと、「世の中うれしいことばかりです。私もその他の人々もみなバラ色の人生なのね。それでも時として問題が起きたときは、『これはきっと何かの間違いよ!』と思う癖がついています。そして少しの間マチガイ探しをしているうちに時が過ぎ、『問題って何だったかしら......?』と問題自体を忘れてしまうか、想像もしていなかったようなよい方向に物事が進んでいることがよくあります。"93歳のお年頃"は『もの忘れ』が幸せになれる源のようですよ。きっとね」

 人を包み込む穏やかな笑顔にみなが惹きつけられる。

撮影:丹羽 諭

(2020年10月発行エイジングアンドヘルスNo.95より転載)

プロフィール

写真:インタビュイーの紫竹昭葉さんの写真。
紫竹昭葉(しちくあきよ)
 1927年北海道帯広市生まれ。60歳のときに野の花が自由に咲くお花畑のようなお庭をつくることを決意。1992年帯広市郊外に紫竹ガーデンをオープンする。紫竹ガーデンを運営する会社社長として、長女夫妻とともに園内の花々の世話、訪問客の案内のほか、帯広や北海道観光に貢献する事業に積極的に関わる。「紫竹おばあちゃん」の愛称で親しまれ、全国に多くのファンがいる。2005年「花の観光地づくり大賞」、2015年「園芸文化賞」、2018年「北海道150年特別功労賞」受賞。著書に『紫竹おばあちゃんのときめきの花暮らし』『咲きたい花はかならず開く』など。

編集部:紫竹昭葉さんは2021年5月4日にご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.95(PDF:9.2MB)(新しいウィンドウが開きます)

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