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いつも元気、いまも現役(世界最高齢スイマー 長岡 三重子さん)

公開日:2020年11月27日 09時00分
更新日:2021年2月18日 11時35分

自分で樹立した世界記録を次々と更新し続ける

 「100歳の長岡三重子さん 世界初1500m完泳」

 2015年4月、愛媛県松山市で開かれた日本マスターズ水泳大会でのニュース。世界最高齢スイマー、長岡三重子さんの快挙が伝えられた。この日、三重子さんは短水路(25mコース)1500m自由形を得意の背泳ぎで泳ぎ切った。

 長水路(50mコース)の1500mは、2014年にすでに完泳している。短水路はターンの回数が増えるため、長水路よりも負担が大きい。三重子さんは昨年2度、短水路の1500mに挑戦したが、いずれも途中棄権していた。「この種目をずっと目標にしてきたので、3度目でゴールできて、やれやれとほっとしています」

 三重子さんが出場するのは、100歳区分(100~104歳)の自由形50m・100m・200m・400m・800m・1500mの6種目と、背泳ぎ50m・100m・200mの3種目の合計9種目。短水路と長水路があるため、全部で18種目である。驚くのは、このうち16種目を世界で初めて泳いだということ。100歳区分で過去に記録があったのは、50mの自由形と背泳ぎの2種目のみ。

 長男の宏行さん(74歳)は、「誰も泳いだことがないものを泳いだというのは、やっぱりすごいですよ。しかも、ただ泳いだだけじゃない。記録も立派なものです。100歳区分の50m自由形の世界記録は、1994年のオーストラリアの選手の5分10秒。20年以上も記録が破られていませんでした。それをおふくろは3分半も記録を縮めて、1分41秒で破ったんです」と母の偉業を称える。

 現在、持っている世界記録は100歳区分で18本、95歳区分(95~99歳)で7本である。2014年1月からは100歳区分に参加し、この1年半の短い間に自分が出した世界記録を更新すること5回。95歳区分では19回も更新したという。世界記録を樹立するだけでなく、自身の世界記録を次々と打ち破る強さはどこにあるのだろう。

写真1:長岡さんが背泳ぎをしている様子を表す写真。
背泳で1500m。泳ぐときは何も考えない。ターンの数だけ考える

商売は素人 一所懸命やるしかなかった

 三重子さんは1914年(大正3年)、山口県徳山市(現・周南市)生まれ。女学校を卒業後、昭和13年に23歳で田布施町の藁工品の卸問屋に嫁いだ。2人の息子を育てながら専業主婦として一家を支えてきたが、53歳のとき、夫の守治さんが他界し家業を継ぐことに。「商売は素人ですから、一所懸命やるしかなかったです。そりゃあ苦労はしましたよ。1人で考えて1人で商売をやりました」。長男の宏行さんは就職をして独立したばかり、次男の憲二さんはまだ大学生だった。

 家業を継いだ昭和43年ごろは藁工品から化学製品への移行期で、商売は減っていく一方だった。そこで三重子さんが目を付けたのが"籾殻(もみがら)"。当時の状況を宏行さんが語る。「鉄鋼業がすごい勢いで伸びていて、鉄鋼の高炉の保温材として相当量の籾殻が必要でした。おふくろは各地に仲買人を付けてシステムを組んで、全国から籾殻をかき集めました。すべておふくろ1人で。商売は53歳から94歳まで40年間も続けたんですから、たいしたもんです」

 籾殻の卸売りで成功し経済的にも余裕が出てきたころ、三重子さんは能楽に出会う。55歳のときである。「月1回、観世(かんぜ)流の先生に稽古を付けてもらいました。はじめの16年は下川宣長(よしなが)先生、あとの16年は大江将董(まさのぶ)先生。どちらも観世流の無形文化財保持者です。商売が忙しいのにようやったと思います」

 はじめは仕舞(しまい)、舞囃子(まいばやし)を習熟し、67歳のとき初めて能を舞う機会がめぐってくる。「羽衣」という演目だ。「私以外はみんな玄人(くろうと)ばかり。誰でも立てる舞台じゃありません。本番で立ち往生したら先生の面子(めんつ)がつぶれるわけですから、私も必死。教える先生のほうも必死です」

 その後も年1回、能の舞台に立ち続けた。東京の国立能楽堂や京都の大江能楽堂などの大きな舞台である。毎年演目が変わるため、毎回違う台本を暗記しなくてはならない。謡と舞、さらには地謡(じうたい)と囃子(はやし)のタイミングを覚えて、五感を全部使って1時間舞い続ける。「うまくできずに悔し涙を流したこともあります。稽古はしんどかったけど、きちんと舞うことができたときは、それにまさる達成感がありました。草取りしながらでも掃除をしながらでも謡を覚えて、毎日頭をフル回転でした」

写真2:長岡さんが能楽作品「羽衣」を舞う様子を表す写真。
「羽衣」を見事に舞い切った三重子さん

能と商売で付けた精神力と体力 水泳でも花開く

 三重子さんが80歳のとき、膝に水が溜まり思うように能の稽古ができなくなってしまう。マスターズ水泳競技者の宏行さんの勧めもあり、膝のリハビリのためにプールに入り始めた。「はじめから泳げたわけではありません。25m泳げるようになるには1年かかりました。息継ぎが苦手なので、我流の背泳ぎで泳いどりました」

 水泳をはじめて2年ほどすると、能の稽古に支障がないくらいに膝は回復。この時点で水泳はやめようと考えていた三重子さんだが、「健康にいいから続けたほうがいい」と宏行さんのアドバイスもあり、水泳を続けることにした。

 転機は87歳のとき。耳が聞こえづらくなり32年間続けた能をやめざるを得なくなった。「耳が悪くなったら能はできません。最後に『鷺みだれ』の奥伝を演じさせてもらって、能をやめることにしました」。奥伝を舞うというのは、もはやアマチュアの域ではない。三重子さんはこの大役を87歳で立派に演じ切った。

 能を断念したことで心にぽっかりと穴が開いた三重子さんだが、このままぼんやりしている性分ではない。気持ちを切り替え、水泳を懸命に取り組んだ。88歳で初の海外遠征、ニュージーランドでの世界マスターズ水泳大会で銅メダルに輝いた。

 90歳で迎えたイタリア大会。3つの銀メダルを獲得した。「エベレストや富士山、北島康介といったら、誰でも知っとる。でもエベレストの次、富士山の次は誰も知らん。銀じゃダメ、金じゃなきゃ」。三重子さんの心に火が付いた。

写真3:長岡さんの自宅の中庭の様子を表す写真。
手入れの行き届いた中庭。ここからリビングへ迎えてくれた

金メダルは世界記録じゃない だから世界記録に挑戦する

 91歳からは柳井スイミングスクールの澤田コーチに付き、本格的な泳法を学んだ。能で鍛えた身体は腹筋と背筋のバランスが取れ、水泳にも生かされていた。そこにプロの指導が加わったことで、めきめきと記録を伸ばしていった。

 そして92歳、サンフランシスコ大会で念願の金メダルに輝く。しかし、三重子さんの情熱はここで終わらなかった。「"金メダル"は、その大会に出た人の中で一番ということ。"世界記録"じゃない」。そこから三重子さんの世界記録への挑戦が始まった。

 三重子さんの努力が花咲いたのは95歳のとき。三重子さんはこの年から95歳区分に参加し、12本の世界記録を樹立した。マスターズ協会から「長岡さんの背泳ぎは早いですよ。背泳ぎで自由形に出場してみては?」と勧められ、背泳ぎの種目のほかに自由形にも出場するように。出場種目が増え、この年に泳いだ数は55本。1年間にすると毎週、大会で泳いだことになる。

 さらに世界記録数を増やしたいと平泳ぎにも挑戦。息継ぎが苦手な三重子さんにとっては平泳ぎの習得は容易ではなかった。しかし、"やりだしたらとことんやる"の気構えで平泳ぎを習得。平泳ぎで世界記録を出すまでになった。「平泳ぎはしんどいから嫌いでした。でも世界記録を増やすためです。やっぱりしんどい目を見なくちゃ。楽ばかりじゃダメ。苦は楽の種。楽は苦の種。苦しい思いをして初めて結果がついてくるんです」

 2014年からは100歳区分に参加。世界記録を次々と打ち立て、自分で出した世界記録の更新をめざす毎日である。

写真5:長岡さんと長男の宏行さんのツーショット写真。背後には、獲得したメダルと能の舞台写真が飾られている様子を表す。
長男の宏行さんと。うしろには獲得したメダル367個と能の舞台の写真が多数

バリアフリーに頼らず家の中でも鍛錬

 三重子さんの自宅は明治時代に建てられた日本家屋。手入れが行き届いた中庭には、夫・守治さん自慢の庭石が存在感を出している。中庭を通して風と光がリビングに入る。三重子さんお気に入りの空間だ。

 三重子さんは今年に入ってからは宏行さんと一緒に暮らしているが、100歳になるまで、ここで1人暮らしをしてきた。買い物も料理も掃除も自分でこなし、背筋もしゃんとしている。三重子さんの若さと元気の秘訣はどこにあるのだろう。

 「うちには土間があり、敷居も急な階段もあります。ここは朝起きたら障害物競争(笑)。自然と足腰の筋肉が鍛えられたんでしょうね。水泳のときのいい緊張感はあっても、ストレスはまったくありませんね。起きたいときに起きて、寝たいときに寝る。体調に合わせて行動しています。水泳教室の時間を中心にして、あとは自由気ままです。食べ物もそう。食べたいものを食べたい分だけ」

 タンパク源は豆や魚が中心だった三重子さんだが、ある時期から好みが変わったという。「95 歳で世界記録を出したころから、肉を食べるようになったんです。『今日はすき焼き、明日は焼き肉』って(笑)。砂糖もたくさん摂りますよ。コーヒーにスティックシュガー4、5本。肉も砂糖も体が求めるんでしょうね」

写真4:長岡さんが100歳の誕生日に書いた直筆の俳句を表す写真。
三重子さん100歳の誕生日に書いた直筆の俳句。力強い筆使い

 「百すぎて 熱と力で希望の丘へ」

 2014年7月31日、三重子さん100歳の誕生日に書いた俳句である。「"熱と力"は"情熱と努力"のこと。100歳まで生きて思うのは、情熱を持って努力すれば、自分が望むところへ辿りつけるということです。一所懸命やること。何事も。自分にきびしく」と笑顔できっぱり。

 高い目標を持ち突き進む。達成感が喜びとなり元気の源になる。三重子さんから教えられることはたくさんある。

撮影:丹羽 諭

(2015年10月発行エイジングアンドヘルスNo.75より転載)

プロフィール

写真:インタビュアー長岡三重子さん
長岡 三重子(ながおか みえこ)(世界最高齢スイマー)
 1914年(大正3年)7月31日、山口県徳山市(現・周南市)生まれ。23歳で山口県田布施町の長岡家に嫁ぐ。夫が亡くなった後、53歳で藁工品の卸問屋を継ぎ、94歳まで暖簾を守り続ける。55歳のときに能楽(観世流)を習い始め、87歳まで32年間続ける。80歳のとき、膝を痛め、能を続けたい一心でリハビリのためにプールで泳ぎ始める。84歳でマスターズ水泳に初出場。90歳、世界大会で3つの銀メダルを獲得。95歳で世界新記録を29個達成。現在持っている世界記録は、95歳区分で7本、100歳区分で18本。現在も自分で樹立した世界記録を更新し続ける。座右の銘は「為せば成る」
 著書に『私は、100歳世界最高の現役スイマー』(光文社)がある。

編集部:長岡三重子さんは2021年1月19日に急性呼吸不全のため、山口県田布施町の病院でご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌Aging&Health No.75

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