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いつも元気、いまも現役(相撲ジャーナリスト 杉山 邦博さん)

公開日:2020年5月29日 09時00分
更新日:2021年2月18日 11時42分

大相撲を見つめ続けて63年 相撲はライフワーク

 大相撲の本場所の花道脇の記者席でまっすぐ土俵を見つめる杉山邦博さん。NHKにアナウンサーとして入局した昭和28年から63年間、ほぼすべての場所を現場で過ごしてきた。「幕内力士になって、相撲の実況を杉山さんにしてもらう」と目標にする力士がいたほどの相撲実況名アナウンサーだ。86歳になる現在も東京相撲記者クラブ会友として取材を続けている。

 「年6場所(東京・両国3場所、大阪、名古屋、福岡)、90日のうち80日以上は現場で取材をしています。おかげさまでNHK新人時代から相撲報道に関わって丸63年、相撲は私のライフワークです」

 杉山さんは福岡県小倉生まれ。スポーツ実況アナウンサーを志したのは昭和12年、小学1年生のこと。

 「ラジオから聴こえてきたのは、双葉山-玉錦戦。東京の国技館から放送するアナウンサーの実況に魅せられ心ときめかせました。これが私の原点です」

 昭和24年、杉山さんはジャーナリストを多く輩出する早稲田大学第一文学部へ進学を決めた。入学後、放送研究会の門を叩くも、結果は不合格。理由は「声がアナウンサーに向かない」と「訛りがある」だった。杉山さんは大きな挫折感を味わった。

 その後、ラジオドラマ研究会に入り、セリフを覚えることで標準語を身に付けようと励んだ。アクセント辞典がボロボロになるまで勉強を欠かさなかった。

 そして大学3年のとき、アナウンス研究会を立ち上げた。この「早稲田大学アナウンス研究会」は現在もメディアの世界に人材を多く輩出する名門サークル。「放送研究会に入れなかった悔しさをバネにして過ごしてきたからできたことでしょう」

相撲実況の猛特訓 スタジオが稽古場

 大学卒業後、昭和28年NHKにアナウンサーとして入局。「新人アナウンサー研修で、同期の東京生まれの男が、あるアクセントのことで『自分が正しい』と譲らず、言い合いになりました。そのときアナウンス学校の校長が『アクセントのことは杉山君に聞きたまえ』と言ったのです。この一言だけはいまだに忘れられません。私の誇りです。どれだけ苦労したかという証が先生のひと言に象徴的に表れたのだと思っています」

 最初の赴任地の名古屋では、杉山さんの相撲実況アナウンサーの道を決定付ける出会いがあった。それは直属の上司で放送部長の山本照さんとの出会いだ。山本さんは昭和8年に横綱・玉錦が誕生したときの第一声を放送したアナウンサー。

 「"相撲の杉山"とみなさんが言ってくださいますが、それは山本さんとの出会いが新人時代にあったからこそ」

 杉山さんは山本さんから相撲実況の猛特訓を受けた。「スタジオで私と4歳上の先輩が相撲を取らされて、山本さんが横にいて、『すくい投げ』『上手投げ』と決まり手を教えてくれるのです。先輩と相撲を取りながら解説を入れる。『うー』、『えー』はだめ。即座に『右四つ左上手』『左四つ右上手』と言えるようにしなければいけない。決まり手は48手(現在82手)あるので、それを全部やる。しゃべりながら転がされ、転がされながらしゃべる。スタジオが私の稽古場でした」

 杉山さんの相撲実況デビューは、昭和29年2月の名古屋準本場所のラジオ放送。名古屋はテレビ本放送がまもなく始まるという頃で、まさにラジオ全盛時代。

 「私はラジオで育てられたアナウンサーです。そのおかげで細かいところまで目が行き届いて、その後の実況に役立ちました。例えば、テレビカメラが東の力士をアップで映したとき、西の力士がどのような表情をしているかわからない。次に西の力士にカメラが切り替わったときには、その直前の立振る舞いはもはや過去のものになってしまう。それをラジオ時代のアナウンサーは広角レンズでものを見て、ズームイン、ズームアウトしながら、瞬きもしないで見ることを訓練されています。だからカメラに映っていない西の力士の姿を捉えて言葉で伝えることができるのです」

 相撲実況のイメージが強い杉山さんだが、野球など、他のスポーツ実況も多く担当している。昭和43年にはメキシコ五輪では10種目を実況した。

 「レスリングでは横綱・白鵬のお父さんの実況もしました。ジグジドゥ・ムンフバトさんはモンゴルで初めてメダルを取った英雄です。白鵬にそれを伝えたらとても喜んでくれて、白鵬のお父さんにもお会いしました。"奇(く)しくも"という言葉がありますが、白鵬のお父さんの実況をメキシコでして、その息子は今や大横綱。不思議なご縁だとつくづく感じます」

写真1:初代横綱若乃花と伊勢ノ海親方と杉山氏が、昭和39年東京蔵前国技館の実況を行うNHK実況席の様子を表す写真。
昭和39年、東京蔵前国技館。初代横綱若乃花(二子山親方)とともにNHK実況席で。後方は伊勢ノ海親方

1400年の歴史を持つ大相撲 単なるスポーツにあらず

 「相撲は日本の大事な伝承文化。スポーツという括(くく)りで語られるけれど、相撲は単なるスポーツにあらず。興行ではあるけれど、単なる興行にあらず」と語る杉山さん。伝承文化としての相撲について話を伺う。

 「642年に皇極天皇が賓客の前で相撲を取らせた記述が『日本書紀』に出ていて、1400年前まで歴史をさかのぼることができます。もうひとつ重要なのは、相撲は『神の祀(まつ)りごと』と深い関わりが深いということ。726年、聖武天皇が大豊作に感謝して、伊勢神宮をはじめとする21のお社(やしろ)に力人(ちからびと)、今でいう力士を集めて、感謝の祈りを捧げて相撲を取らせました。だから大相撲と神事は切り離せません。

 本場所初日の前日に行われる『土俵祭り』で最初に行われるのは、神様を土俵にお迎えする儀式です。『勝負の三神』である高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をお迎えする。土俵の四隅には力を司る神々が宿る。いわゆる多聞天、広目天、増長天、持国天。そのような思想がずっと受け継がれています。

 力士は土俵に入ると、柏手を打って手を左右に広げます。神様の前で『相撲を取らせていただきます』という柏手を打つと同時に、『まわし以外、何も付けていません。正々堂々と戦います』という証でもある。これは『相撲は礼に始まって礼に終わる』といわれるひとつの原点です。取組を終えたら、おじぎをして引き上げていく。決してガッツポーズなど派手なパフォーマンスはしない。それは私がいつも強調する『抑制の美』です。これが相撲の伝承文化のもっとも柱となる部分です。

写真2:土俵にいる神様に対し胸の前で柏手を打つ様子を表す写真。
「土俵には神様がいるのだから、柏手はきちんと胸の前で打つ」

 白鵬は37回優勝しても(2016年11月場所現在)決してガッツポーズなどしませんね。今モンゴル人横綱は3人いますが、彼らは相撲という日本の伝承文化を懸命に学習しています。むしろ日本人力士の学習意欲が薄れていることが気になります。

 いまこそ伝統をつないでいく努力が要ります。『大相撲は日本の伝統ある文化』ということを心に留めて、力士全員が土俵祭りに参加すれば、自ずと心構えも変わってくると思います」

 NHK時代から今日まで63年間、これほど長く本場所を取材している人は杉山さんの他にはいないだろう。昭和から平成の相撲を見続けて感じることは?

 「今の相撲は昭和の時代に比べると淡泊になっていますね。土俵は直径4メートル55センチ。直線で使えば、あっという間に勝負がつく。『円は無限』という言葉があります。その気持ちで土俵を務めたのは、昭和20年代後半から30年代半ばまでのひとつの時代を築いた栃錦と若乃花の両横綱。あらゆる技を駆使しながら土俵狭しと動き回って、攻防の秘術を尽くした。

 次の時代の昭和30年半ばから40年半ばの大鵬、柏戸の両横綱の時代。柏戸は直線の力士。まさに2秒、3秒の勝負。大鵬は残して踏みとどめてから勝ちにいく曲線の力士。柏戸は直線、大鵬は曲線の美しさ。それぞれの美しさを私たちに植え付けてくれました。

 次の昭和40年後半から50年半ばの時代。その時代を支えたのは輪島、北の湖の両横綱。輪島は"黄金の左"といわれ、投げ技で何度も北の湖を負かした。北の湖は恵まれた体を活かして、正攻法の相撲で大横綱と呼ばれた。大関・貴ノ花は小さい体を駆使して存分に技を発揮したので、判官贔屓(ほうがんびいき)といわれるほど貴ノ花ファンが大勢いました。

 その時代までの相撲は中身が濃かったですね。しかし最近の相撲は淡泊になって、目先の白星にこだわることが気になります。立ち合いで変化して、はたいたり、勝利を求める相撲が目立ちます。やはり大相撲は攻防の秘術を尽くすところに値打ちがあると思うのです。

 最近は"スー女(じょ)"と呼ばれる相撲好きの女性も増えてファン層が広がりましたが、『マスクがいい』などで惹かれてファンになるところから一歩踏み込んで、奥深いところまで見極めて真の相撲ファンになってくださることを願っています。

 結局は『勝ち負けの奥に人間を見る』ということです。勝負がついて一礼して引き上げたあとのちょっとしたしぐさ、表情の微妙な変化。さがりを叩いて悔しがる人もいれば、ガッツポーズをぐっと抑えている人もいる。花道を引き上げていく姿を見ていると、肩をゆすってゆっくり帰る人もいれば、うつむいて引き上げていく人もいる。勝ち負けの奥の人間像を大相撲のファンの方に楽しんでいただきたい。私自身も勝負を通じて『人間』を見つめ続けたいと思います」

写真3:昭和61年7月名古屋場所で杉山氏が小錦へインタビューしている様子を表す写真。
昭和61年7月、名古屋場所で小錦へインタビュー。小錦のボランティア活動はすばらしい。杉山さんが教鞭を取る日本福祉大学で「ボランティア論」の講義をお願いしたほど

謙虚になるということは自分と向き合うこと

 年齢よりも若くみられるという杉山さん。背筋もしゃんとし、声の張りもある。その若さの秘訣は?

 「まず真っ先に両親のDNAのおかげで長生きさせてもらっていることに感謝です。唯一スポーツといえば、小倉の川で覚えた平泳ぎ。ここ10数年は週3回ほどプールに通っています。食事は3度3度必ず。毎晩、晩酌もします。日本酒は1合半、ワインなら2杯弱、ビールなら缶1本。ただし昼間はどんなパーティーにお招きを受けても、一切アルコールは口にしません。昼にお酒を飲みますと境目がなくなりますから、昼間は飲まないと自分に言い聞かせています」

 インタビューの間、杉山さんは「感謝」や「ご縁」という言葉を何度も口にした。

 「私が今も相撲の現場で過ごさせていただけるのは、まさに出会いのおかげです。いつも挨拶するときに『おかげさまでありがとうございます』と必ず言います。『おかげさまで』という気持ちを常に持っていると、人は謙虚になりますから。謙虚になるということは、自分と向き合うということです。

 迂遠のように思えますが、スポーツの世界にも通じることだと思います。大横綱・大鵬さんは優勝インタビュー32回の中で、いつも『おかげさんで』と真っ先におっしゃいました。その言葉が今でも耳に残っています。野球の世界でもホームランの世界記録の場面での王さんもとても謙虚でした。これはやはりスポーツの世界に通じること。それは『おかげさま』の気持ちだと思います」

撮影:丹羽 諭

(2017年1月発行エイジングアンドヘルスNo.80より転載)

プロフィール

写真:インタビュアー杉山邦博氏
杉山 邦博(すぎやま くにひろ)(神奈川県横浜市 相撲ジャーナリスト)
 1930年(昭和5年)、福岡県小倉市(現:北九州市)生まれ。1953年(昭和28年)早稲田大学第一文学部を卒業し、NHKに入局。大学在学中に「早稲田大学アナウンス研究会」を創設。名古屋、福岡、大阪、東京の各放送局に勤務。1987年(昭和62年)10月18日定年。チーフアナウンサー局長級。同年10月19日、NHK専門員。入局以来、大相撲、野球、オリンピックなど各スポーツ放送の実況を担当。中でも相撲報道は60年以上にわたり、現在も第一人者として活躍中。東京相撲記者クラブ会友、日本福祉大学生涯学習センター名誉センター長、客員教授。
 著書に『土俵の鬼 三代』『兄弟横綱―若貴の心・技・体』(ともに講談社)、『名調子・杉山邦博の大相撲この名勝負―道を極めた力士との出会い』(エイデル研究所)、『土俵一途に 心に残る名力士たち』(中日新聞社)などがある。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌Aging&Health No.80

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