健康長寿ネット

健康長寿ネットは高齢期を前向きに生活するための情報を提供し、健康長寿社会の発展を目的に作られた公益財団法人長寿科学振興財団が運営しているウェブサイトです。

いつも元気、いまも現役(評論家・高齢社会をよくする女性の会理事長 樋口恵子さん)

公開日:2021年10月13日 09時00分
更新日:2022年11月16日 13時41分

都内一軒家に猫4匹と娘さんと暮らす

 「コロナ禍でこの2年は講演の予定はすべてつぶれ、政府の審議会や団体の会合もZoomばかり」

 5年前に建て替えた東京・杉並区の自宅には、猫4匹が悠然と歩いていた。アメリカのメインクーンという種で、通常の猫の2倍くらいの大きさ。まだ11か月のナオちゃんは、インタビューの最中、樋口さんの前のテーブルの上で寝始めて、ときどき大きな欠伸(あくび)をしたり、伸びをしたりと、すっかりのんびりモード。

 長い人生で老いるのは自らの体だけではない。

 「持ち家は住人といっしょに年老いるのです。40代で家を建てても木造なら30年で寿命がきます。屋根や外壁の修繕の繰り返しで思いのほかお金がかかります。2階の本の重みなどで耐震構造に問題があったので、建て替えを決心しました。有料老人ホームに入ろうと貯めていた貯金を使い果たして、少しウツになりました。人生50年時代の感覚では、人生80年、100年の時代には通用しません。それを伝えることが長い老いを初体験する私たちの世代の役割です」

写真:インタビューに参加する愛猫のナオちゃんの様子を表わす写真。
インタビューにはメインクーンのナオちゃんも参加

人生100年時代に贈る「親のトリセツ」

 「まさかこんなに長生きするとは思っていませんでした。89ですよ。どうやら90の声も聞こえてきそうで、呆れています」と明るく笑う。

 「私たちの世代は戦争で直接死んだ人は少なく、男女共学で育ち、高度経済成長の波に乗って暮らしは年々よくなってきました。そしてこれからの『人生100年時代』にお年寄りが大量の層をなして現れてくる最初の世代でもあります。90代の人が増えて、生物的に社会的に高齢者の姿が日常的に見えてくるようになりました」

 最新刊の著書『老いの福袋』が15万部を超えて増刷りを重ねてアマゾンでベストセラーになっている。どうしてこうも売れるのでしょうか、と問うと、「みなさん親の取り扱いに戸惑っているのです。いわばこの本は『親のトリセツ』のようなもので、娘さんがお母さんにプレゼントしているようです。娘さんが60歳くらいになると、80歳過ぎの親と力関係の逆転が起こります。この本は老いに対する免疫をつける『老いのワクチン』のようなものです。中年後、天寿をまっとうするまでの時間が約2倍になって、親子の力関係の逆転が長期的に発生したのは日本の歴史上初めてのことです」

写真:樋口さんの著書である老いの福袋と老~い、どんを表す写真。
ベストセラー続きの現役

東大で美学美術史と新聞研の2つを学ぶ

 樋口さんは、1932(昭和7)年5月4日、東京・練馬区生まれ。父親は考古学者の柴田常恵(じょうけい)氏。1939年に東京・目白の小学校に入学したが、卒業証書は持っていない。「まだ印刷所にあったので、1945年3月10日の東京大空襲で焼けてしまったのです」

 都立第十高等女学校(現・豊島高校)の併設中学に入学したものの、のべつ幕なしに警報サイレンが鳴って、校庭の片隅にある防空壕に駆け込む日々。1年生のときに初期の肺結核と診断されて1年半近く療養生活となった。2歳上の兄は結核性脳膜炎で急死した。

 1949年に東京女子高等師範附属高校(現・お茶の水女子大学附属高校)に入学。ここで創設されたばかりの新聞クラブの初代編集長となる。1952年東京大学に入学し、文学部美学美術史学科と新聞研究所(現・社会情報研究所)本科で学ぶ。同時に柏葉会合唱団に所属、全日本学生新聞連盟の活動にも参加した。こうしたことが後のオペラ好きとマスコミ志望へつながる。

写真:樋口さんの高校時代に撮った仲良し4人組の写真。
高校時代の仲良し4人組。左から2番目が樋口さん(本人提供)

1日16時間働き40歳で独立

 大学卒業の1956年は女性にとっては就職難の時代。時事通信社に入ったものの、覚悟も努力も不足で退職。横浜の新興住宅地で夫と幼い女の子の3人暮らしが始まった。ところが樋口さん31歳、娘さんが4歳のときに夫を亡くした。

写真:樋口さんが20代後半の時に新興住宅地内で撮ったご主人と娘さんとの家族写真。
樋口さん20代後半、横浜の新興住宅地で夫と幼い娘との3人暮らし。やがて夫は亡くなる(本人提供)

 それからが大変だった。昼はキヤノンの広報・宣伝の仕事、夜は出版社の学習研究社から仕事をもらって、1日16時間働く毎日が続いた。

 1971年の40歳のときフリーの評論家として独立。1983年に「高齢社会をよくする女性の会」を同志とともに設立し、介護保険制度の創設などにかかわった。

 「女性のあり方が大きく変わるのは、明治維新、1945年の終戦、そして男女雇用機会均等法などが国際条約の批准に伴って制定される1985年以降です。女性の就労については、戦後から実に40年間も変化がなかったことになります。『母親の手作り弁当を持ってこない子どもは愛情不足』『共働きは非行の温床』などといわれたり、結婚で退職を余儀なくされたり、女性は42歳で定年というようなひどいことがまかり通っていました。国際婦人年(1975年)まで生活保護費の食費も女性は男性より3,000円少ないという時期もありました。農村では姑の介護に手間がかかると、せっかくできた子どもを堕ろすこともあり、まさに家族介護の重荷で農村は滅びるのではないかと思いました」

BB問題こそ高齢社会の中心課題

 「私は憲法27条が好きです。『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う』とあります。『すべて国民は』と、男性も女性もありませんし、年齢にも言及していません。働くことによって、人は経済的自立、社会参加、自己実現の3つを叶(かな)えることができます。社会参加だけなら市民運動でもいいし、自己実現だけなら趣味のサークルでもできます。しかし、3つを同時に実現できるのは『勤労』しかありません」

 「女性は若くして退職したために年金は少なく、老後の経済は男性と比べて困窮している例が多い。85歳以上の高齢者は女性が7割を占めている多数派です。女性の貧困化(BB:貧乏ばあさん)防止こそが高齢社会の中心課題の1つです」

77歳での大動脈瘤 満身創痍(まんしんそうい)ならぬ満身疼痛(とうつう)

 樋口さんは中学時代の結核に始まり、腎炎、子宮筋腫、変形性膝関節症、77歳で胸腹部大動脈瘤感染症、その間、2回も転倒して骨折と「多病息災」そのもの。今でもあちこちが痛いという「満身疼痛」状態。昨日までできたことが、今日できなくなる。「老い」とは思いがけない負の自分との出会いの連続だ。

 「ピンピンコロリなんてめったにありません。ピンピンスタスタの時期を経て、ヨロヨロの末にドタリ。まさに私、ヨタヨタヘロヘロの『ヨタヘロ期』をよろめきながら直進しているのです。『健康寿命』という平均寿命から、寝たきりや認知症などの要介護状態を差し引いた期間は男性約9年、女性が約12年。つまり『ヨタヘロ期』は、女性のほうが男性より3年長い。せっかく女性が長生きでも、これでは意味が減少します。この原因を究明し、男女の差を縮め、両性とも健康寿命を伸ばさなくては、と思います。人生100年時代の初代として、私たち世代は、気がついたことを指摘し、若い世代や社会に問題提起していく責任があると思います」

「徹子の部屋」に出演 新語・流行語大賞が話題に

 昨年、1歳年下の黒柳徹子さんが司会をするテレビ番組「徹子の部屋」に樋口さんが出演した。そのとき、話題になったのは1989年の新語・流行語大賞になった「濡(ぬ)れ落葉(おちば)」。定年になった夫が、払っても払っても妻にベターとくっついてくる様子を表した言葉だ。

 時代を的確に表現した言葉を樋口さんは発信してきた。たとえば「人生100年時代」「ダイバーシティー(多様性)の推進」「すべての道はローバ(老婆)に通ず」「おひとりシニア」などなど数多い。「BB」や「ヨタヘロ期」は樋口さんと友人・春日キスヨさんらの合作。今何が起こっているかをひと言で表現している。「みんな周囲の方の言葉に触発されているんですよ」と笑う。

 「黒柳さんは同時代を生きてきた方で、こちらは勝手に戦友のように思っています。同世代にはすごい人が大勢います」

毎日ケンカばかりの娘さんとの生活ぶり

 樋口さんは家まわりの費用、東京女子医大を出た放射線科の医師である娘さんは4匹の愛猫と趣味のガーデニングや自家用車の費用を負担している。そして生活費は各自の収入で別会計。まるでシェアハウスに住む同居人のようだ。

 あるとき、食事づくりがなんとも億劫になってしまった。どうも女性の人生には「調理定年」があるのではないかと感じたという。現在、シルバー人材センターの会員に週2回、炊事、掃除、洗濯などの家事を依頼している。

 「娘とはもう毎日ケンカばかり。大声で言い合った後、3分もすると娘が『梨、むこうか?』って声かけてくる。典型的な身内のけんかです」

 「でも親子ケンカでは多くは親のほうが悪い。子どもにとっての唯一無二の環境は親がつくりましたから。娘のほうが理にかなっていますが、言い方が気に食わない。困ったものです」

写真:30代半ばの樋口さんと娘さんの写真。
30代半ばの樋口さんと小学2年生の娘さん(©主婦の友社写真部)

葬儀の簡素化を提案していきたい

 20年前に2番目の連れ合いを70歳で亡くした。葬儀のBGMは遺言によりチャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』だった。

 「あれから20年余。葬儀には行きたくても行けない年代が多くなり、これからは葬儀の簡素化を提案していきたい」

 時代のテーマをいち早くキャッチして発信を続けている。大きな身振りで表情豊かに語る姿はまさに「現役」そのものだ。

撮影:丹羽 諭

(2021年10月発行エイジングアンドヘルスNo.99より転載)

プロフィール

写真:インタビュアー樋口恵子氏の写真。
樋口 恵子(ひぐち けいこ)
<PROFILE>
1932(昭和7)年5月4日、東京・練馬区生まれ。都立第十高等女学校(現・東京都立豊島高等学校)の併設中学在学中、1年半肺結核で休学。学齢を1年下がる。東京女子高等師範学校附属高校(現・お茶の水女子大学附属高等学校)を経て1956年、東京大学文学部美学美術史学科卒業。在学中、同大新聞研究所で本科生。時事通信社、学習研究社、キヤノン勤務の後、40歳ごろフリーの評論家となり、女性問題、福祉、教育の分野で評論活動を行う。1986年から2003年まで東京家政大学教授。東京家政大学名誉教授・同大学女性未来研究所名誉所長、政府の男女共同参画審議会委員など歴任。『老~い、どん!』(婦人之友社)、『老いの福袋』(中央公論新社)など著書多数。
<過去の掲載記事>
対談/長寿社会の人生設計は男女共通の課題(Aging&Health No.75
特集/「女の一生」が貧乏をつくる―老いて 女の貧乏 脱出法―(Aging&Health No.89

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.99(PDF:7.0MB)(新しいウィンドウが開きます)

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