健康長寿ネット

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いつも元気、いまも現役(洋画家 入江一子さん)

公開日:2019年8月30日 09時00分
更新日:2019年8月22日 10時33分

NHK日曜美術館「青いケシを描く」が大反響

 昨年(2017年)6月に放送されたNHK総合テレビの番組・日曜美術館「青いケシを描く~洋画家・入江一子101歳のアトリエ~」が大評判になり、同年11月にも異例の再放送になった。日曜の朝9時の放送は翌週日曜日の夜8時にNHK教育テレビで再放送されるため、合計4回の放送となった。

 「NHKの影響はすごいですね。全国から外国から一気にたくさんの人が来まして、うちの美術館はすごい状態になりました」と入江さんは顔をほころばせる。

 84歳の時に東京・杉並区阿佐ヶ谷の自宅を改装してオープンした入江一子シルクロード記念館には200号(2,590×1,818~1,940㎜)の大きな絵が展示されている。入江さんは手押しカートを頼りに自分の脚でしっかり歩き、1つひとつの絵を説明する。来場者は入江さんの姿に驚き、じっと仕草を見つめる。

写真1:入江一子シルクロード記念館にて、来場者に一つ一つの絵を説明する様子を表す写真。
手押しカートで力強く歩きながら作品を紹介

 NHKの番組は真っ白な100号のキャンパスに入江さんが木炭でデッサンを描き始めるところから始まる。やがて下描きを終えると青いケシに色を加える。合い間に76歳の時に中国・四姑娘山(スークーニャンシャン)に幻の青いケシを求めて高山病にかかりながら訪ねた様子の映像が織り込まれる。

 「チベット高原の標高4,300メートルの山に登ったのですが、20時間、馬に乗って行きましたから、もうフラフラです。その上、電気も水道もないところで、2日間テントで寝泊まりという状態でした。こんな岩山にも、人間の顔よりも大きな青いケシの花が咲くものなんですね。

図1:入江一子さんの作品「回想・四姑娘山の青いケシ」。
「回想・四姑娘山の青いケシ」 2017年 100号F
左上の馬に乗っている赤い服の人は入江さんだという

 このとき、途中でがけ崩れに出合いました。進行方向に大きな岩があって通れなかったんです。その岩を男の人たちが力を合わせて動かしてくれました。ようやくバスが動き出した途端、元いたところに大きな岩が落ちてきたんです。もしバスに直撃したら間違いなく谷底に転落していました。本当に危ないところでした」

日野原重明先生との出会いと別れを惜しみつつ

 2016年10月に東京・日本橋三越本店で100歳を記念した個展を開いた。「そのとき日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)が来てくださって対談をしました。『5年後にまた元気で会いましょう。See you again!』と大きな声で叫んだのです。日野原先生110歳、私が105歳でまた対談をしましょうと。ですが、2017年7月にお亡くなりになられました。本当に残念です」

 その日野原先生の挨拶の映像は記念館で繰り返し流され、入江さんはその姿に見入った。

 「日野原先生は偶然私と同じ山口県の萩市の出身です。そして日野原先生の奥様が私と同じ林武先生(洋画家・文化勲章受章)に絵を習っていて、とてもご縁が深かったのです。2人とも車いすでしたので、『2020年に2人でパラリンピックに出ましょう』といっていましたのに、実現できなくて残念です」

写真2:入江一子さんの絵の先生である洋画家林武氏からの手紙。
林武氏の手紙。「君がどこで絵を止めるかがわかれば、それは君が絵がわかったということです」

 『月刊美術』2011年新年号に掲載された「日野原重明のアートで生き生き」新春特別対談にはこうある。

入江:先生は「100歳がスタートライン」っておっしゃってますけど、私ももう少し時間がほしい。あと10年ほしいと思っているんです。無理でしょうか。

日野原:全然無理じゃない。この私があと10年がんばるつもりで、10年先まで予定を入れているんだから、あなたにはもっと時間がある。

入江:そうですか。それじゃがんばれます。だって絵がだんだんわかってくるんですから。自分で思うんですけど、歳をとるごとに色が鮮やかになってきて、迫力が出てきたようなんです。

日野原:色が鮮やかになるということは、つまり大胆になるっていうことですよ。それは人の意見を気にすることがなくなって、人がどういおうと自分の描きたいように描いている証拠。若いときよりも勇気が湧いてきている証拠なんです。

「女スパイにされる」と母にいわれフランス留学を断る

 入江さんは1916年(大正5年)5月15日、現・韓国・大邱(テグ)で父・逸三、母・フミノの長女として生まれた。生家は山口県萩市の毛利藩士の家系で、父は貿易商を営むが、6歳の時、父は逝去した。その時、母は28歳、妹は4歳と1歳だったが、資産が残り、生活は苦しくはなかった。

 小学5年生の夏休みの宿題で、1枚絵を描いていくところを、毎日描いて40枚持っていって先生に褒められた。小学6年生のときには、修学旅行に行かずに没頭して描いた静物画が、昭和の御大典で天皇に奉納された。大邱公立高等女学校5年のとき、朝鮮美術展入選作「裏通り」がフランス総領事ドペールに買い上げられ、フランスに留学を勧められるが、母に「女スパイにされる」といわれて断った。

 18歳のとき、東京の女子美術専門学校(現・女子美術大学)に入学した。本誌2006年10月号に登場した日本画家の堀文子さんは2級後輩にあたる。「今でも電話でお話する」という。

 卒後、東京丸善本店図案部に就職、生涯師事することとなる林武氏に出会う。その後、独立展、女流画家協会展に出品を繰り返し、30歳代は石仏を題材に国内の旅を重ねた。京都・深草の五百羅漢、奈良の浄瑠璃寺周辺の摩崖仏(まがいぶつ)、兵庫県北条の五百羅漢、九州の装飾古墳などを訪ねて画に表現していった。

 そして旅は台湾の田舎の石仏の肌あいの違いにふれたことがきっかけに遥か西へ源流をたどることとなり、53歳からシルクロードのスケッチ旅行が始まった。

シルクロードに魅せられて「男の平山、女の入江」といわれ

図2:入江一子氏の作品「トルファン祭りの日」。
「トルファン祭りの日」 1981年 200号F
中国新疆ウイグル自治区のトルファン。葡萄棚の下のウイグル歌舞団の踊りを描いている

 「シルクロードは鮮烈な色彩のパワーにあふれて、大地、自然の恵みやバザーの賑わいは私にエネルギーと情熱を与えてくれました」

 「西安(シーアン)から砂漠の中をバスで1日くらいかけて敦煌(とんこう)に行きました。当時は敦煌には何もない砂漠の中に莫高窟(ばっこうくつ)がありました。私は320窟が非常に気に入りまして、なんとしてでも描き留めたいと思いましたが、外人には、見せることはできても撮影は許可されていません。私は莫高窟の腐れかけた木の階段を大変な思いをして3階まで上っていったので、その熱心さに心動かされたのか、通訳が特別に模写することを許可してくれました。それでやっと敦煌飛天の壁画を描くことができました。20号くらいの大きさに模写してきまして、それを200号のキャンバスに描き上げました。

 その5年くらい前にはアフガニスタンのバーミヤンに行きまして、運よく石仏を描いてきました。それから30年もたたないうちに破壊されました。

 そんな感じでシルクロード一色です。シリア、ヨルダン、イラク、私は運よく行けて、絵に描いてきました。私が行ったところは全部戦場になってしまいました。シリアのパルミラも破壊されました。

 『男の平山郁夫、女の入江一子』といわれました。平山さんはわりといいところばかり、安全なところに行かれていた。私は逆に個人でみんなが行かないような危ないところばかり。だいぶ違いますね(笑)

 平山さんは立派な遺跡をよく描いていますけど、私は砂漠の中のくずれかけた建物や民家ばかり描いています。それがみんな戦争でなくなってしまいました」

1時間描いては1時間寝るサーロインステーキが大好き

 1日は午前6時の起床から始まる。顔を洗って1階の居室とアトリエを行ったり来たり、テレビを見たりして過ごす。午前8時半から食事で、白米、みそ汁、おかず、そして韓国海苔、キムチは欠かさない。

 その後、1時間絵を描いて1時間寝る。「夜も昼もないです。画を描きたくなったら描いて、疲れたら休む。ぜいたくな生活ですね」と笑う。

 午後1時に麺類かパンの昼食。また1時間描いては1時間寝る、を繰り返す。

 午後5時には夕食。白米、肉か煮魚、そして韓国海苔とキムチも欠かせない。「韓国で育ったせいか、辛いものが大好きで、いろいろなものに一味唐辛子や胡椒をふりかける。特にサーロインステーキを自分でカットしながら食べるのが好きです」

 そしてまた1時間描いては1時間寝る。床に就くと、わずか2分で眠りに入るという。

 昨年10月、国立新美術館で開かれた独立美術協会の独立展にポルトガル・リスボンの花屋を描いた「追想フラワーショップ」(200号)を出展した。入口を入るとすぐ左に鮮やかな光輝く花屋の絵があった。

 「私はリスボンにすっかり魅せられて4回くらい行っています。言葉はしゃべれないのですが、お花屋さんのおばあさんともすっかり仲よくなりました」。独立展の集合写真の最前列中央には入江さんの姿があった。

 今年5月末には女流画家協会展の出展が控えている。

(2018年4月発行エイジングアンドヘルスNo.85より転載)

プロフィール

写真:インタビュアー入江一子氏。
入江一子(いりえかずこ)(東京都 洋画家)
 1916年(大正5年)5月15日、現・韓国・大邱(テグ)で父・逸三、母・フミノの長女として生まれる。生家は山口県萩市の毛利藩士の家系で、父は貿易商を営む。6歳の時、父逝去。母は28歳、妹は4歳と1歳。小学6年生の時に描いた静物画が昭和の御大典で天皇に奉納される。18歳の時、東京の女子美術専門学校(現・女子美術大学)入学。卒後、東京丸善本店図案部に就職、生涯師事することとなる林武に出会う。その後、独立展、女流画家協会展に出品を繰り返し、53歳からシルクロードのスケッチ旅行が始まる。84歳で東京・杉並区阿佐ヶ谷の自宅を改装して入江一子シルクロード記念館をオープン。

著書

「色彩自在―シルクロードを描きつづけて」「シルクロードに魅せられて 入江一子100歳記念展─百彩自在─」「101歳の教科書─シルクロードに魅せられて─」など。

入江一子シルクロード記念館(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.85

Aging&Health(エイジングアンドヘルス)No.85(新しいウィンドウが開きます)

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