健康長寿ネット

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いつも元気、いまも現役(エッセイスト 鮫島純子さん)

公開日:2019年12月27日 09時00分
更新日:2019年12月27日 09時00分

「ありがたい」と思うまで50年かかりました

 「『肉体は期間限定、魂は何度も違う環境に生まれ変わり、学びながら成長していく』。心からそう思えると、どんなことがあっても逃げることなく、なんに対しても感謝を心がけ、自分を磨く習慣がつきました」

 毎朝、自宅から5分のところにある明治神宮を散歩する。おいしい空気、輝く太陽、頬をなでる風、すべてに「ありがたい」と感謝の気持ちがわいてくる。

 「しかし、それは『言うは易し、行うは難し』であって、若いうちは子育てに忙しく生活に追われてそんなゆとりはなかった。こうして感謝する暇をいただいたのが長寿のよいところです。この境地を完全に習慣化するまでに実に50年はかかりました」

 「毎月1、2回は日本の資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一の孫として講演に招かれ、こうした人生観をお話しすると、会場から『目からウロコが落ちました』『人生に対する意識が変りました』と感動の声を聞くと、私のほうがうれしくなり、元気になります。全国に参りますが、『渋沢栄一には足を向けて寝られない』という方が大勢いらっしゃいます。あるとき、明治神宮の早朝散歩の話をすると、講演後ある方から『朝から渋沢栄一にご縁がありますね』と言われました。何のことかと思いましたら、実は明治神宮設立の発起人が渋沢栄一だったとそのとき知りました」

写真1:なんに対しても感謝を心がけている鮫島氏がトイレにありがとうございますの張り紙を張っている様子を表す写真。
トイレや台所に「ありがとうございます」の張り紙

渋沢栄一の四男と池田・上杉家の子孫の母の次女として生まれ

 大正11年(1922年)東京・王子で渋沢栄一の四男正雄と、岡山藩主の池田家と上杉鷹山(ようざん)の子孫で華族となる上杉家の鄰子(ちかこ)の間の次女として生まれた。女子学習院高等科の卒業を待って昭和17年に20歳で、岩倉具視(ともみ)の子孫である海軍文官の鮫島員重(かずしげ)氏と結婚した。

 「当時、女子トラックいっぱい、花婿候補1人」といわれたくらい女性には結婚相手がいなかった時代。ネイビーブルーの海軍の軍服に白い手袋、腰にはサーベルをさした凛々しい見合い写真を見て、純子さんは在学中の19歳で婚約した。

 3,000坪もあった西巣鴨の自宅から嫁ぎ、新婚生活は逗子。そこから横須賀の海軍基地に通う夫の間に男児をもうけた。

 夫は三菱重工に呼び戻されて名古屋の航空機工場の勤務となった。間もなく名古屋にも空襲が続き、三重県の湯の山温泉山裾の村に疎開。終戦を迎えた戦後には3人目の男児に恵まれた。

写真2:インタビュアー鮫島純子氏の写真。背筋がピンとして足取りも軽やかな様子。左胸の真珠のブローチはミキモトパールの創業者御木本幸吉氏からの贈り物。
背筋がピンとして、足取りも軽やか。左胸の真珠のブローチはミキモトパールの創業者・御木本幸吉氏から贈られたもの

荘先生と出会ってストレッチ体操始める

 夫の退職後、夫婦で絵をたしなむ。10年余り、水墨画の目黒巣雨(そうう)氏に師事。1966年に明治神宮近くの代々木に移り住み、明治神宮に朝の散歩を始めた。そこで皇室にもゆかりのある台湾出身の女医・荘淑旂(そうしゅくき)先生と出会い、先生考案のストレッチ体操を始めた。

 「荘先生とのご縁は1984年の敬老の日に『防がん宇宙体操』の参加を呼びかけるチラシをもらって、夫婦で参加したのが始まりでした。自宅から近い明治神宮の芝生が会場ということもあって、『ほんのついでに』という気軽な気持ちでした。講習が終わって荘先生にご挨拶しますと、荘先生は『あなた方のことは知っていますよ。毎朝、歩いているでしょう。歩き方が気になって注意してあげたかったのですが、知らない者がいきなり声をかけるのもと、遠慮していました』と言って歩き方の指導をしてくれました。背筋を伸ばし、お腹をへこませ、太ももの内側を緊張させながら、直線上に歩きます」

毎日続ける明治神宮の早朝散歩

 未病を改善する生活習慣はこうだ。

  • 1、心...すべてプラス思考で
    • 感謝で受け止める習慣をつける
  • 1、防がん宇宙体操...血液、体液をフレッシュに
    • 各リンパ腺を同時に刺激
  • 1、姿勢...本来ある形
    • 内臓がのびのびよく働く
  • 1、体内ガス...作らない努力
    • 発生したら追い出す心がけ
  • 1、息を吐く、排便...心する
    • いらない用済みのものは排泄

 「疲労回復にはいろいろな方法があると思いますが、1時間だけ早く起きて、早朝散歩をすることをお勧めします。たとえ20~30分でも朝食前に散歩をして、朝の息吹にふれることによって、私たちは無限のエネルギーを得ることができ、太陽に対する深い感謝の気持ちが、大きな力を与えてくれます。

 まず朝目覚めるとお腹をトントンたたいて自己診断します。冷たいところがあれば要注意です。ガスが溜まっているとポコポコという音がします。痛ければ消化の問題、おへそのまわりがドキンドキンというときは神経の疲れです。ガスがいろいろ悪さを起こすので、外に出すことです。朝の散歩の前にはコップ8分目のお水をゆっくり飲みます。そして姿勢を正して散歩です。

 食事のボリュームは、朝3、昼2、夜1の割合。朝はウォーキングの後、シャワーを足から浴びて腹ペコになってしっかり食べる。昼はやや少なめにして、夜は朝の3分の1程度の量にして寝る前にお腹に残さないようにします」

写真3:東京都健康長寿医療センター正門横にある渋沢栄一像。
東京都健康長寿医療センター正門横にある渋沢栄一像

尊王攘夷から徳川の家臣そして「資本主義の父へ」

 渋沢栄一は天保11(1840)年2月13日、武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市)の農家の長男に生まれた。5歳のときから父に本を読む手ほどきを受け、6~7歳から従兄の尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)につき論語をはじめ四書五経を学んだ。

 幼少青年期、阿片戦争で清国がひどい目に合い、江戸では桜田門外の変などが相次いで起こり、栄一は尊王攘夷の考えに傾いていった。そして尾高惇忠を中心にした69人の若者たちは高崎城を乗っ取る計画を立てた。それは鎌倉街道を横浜へ進軍して異国人を切り殺してしまおうという無謀そのものの作戦だった。

 当然、その計画は中止となり、栄一はその後、京都で禁裏守衛総督であった一橋慶喜に仕えた。慶喜は後に将軍になり、慶喜の弟の昭武が将軍の名代でナポレオン3世がパリで開く万国博覧会に派遣され、栄一は庶務・会計係として随行を命じられた。倒幕論者が幕府の家来となり、攘夷論者が異国に渡ることになった。ヨーロッパに滞在約1年半、この間に徳川幕府は終わり明治新政府となったが、このヨーロッパで見聞きしたことが、後の日本の近代化に大きな影響をもたらした。

 明治6年に大蔵省を辞めてから栄一は第一国立銀行などの銀行、製紙、紡績、ガス、電力、海運など500にのぼる会社の設立・育成に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになった。口ぐせは「正しい道徳の富でなければ、その富を永続することはできぬ」と、「論語とソロバン」を地でいく生き方だった。

 その後、実業界を退いてからは民間外交とともに社会公共事業に専念した。生涯院長を務めた東京都健康長寿医療センターの前身である東京養育院の運営もそうだ。

 栄一は1931年に91歳で亡くなった。その時、純子さんは9歳。大勢のお孫さんの1人として約8,500坪の飛鳥山の本邸での臨終の場面も記憶している。

 「よそのおじいさんと比べられないので、おじいさんとはそのようなものかと思っていました。飛鳥山の近くに後妻の子どもたちは住んでいましたから、土日になると10人くらいの孫が栄一おじいさんのところに遊びに集まりました。祖父は1人ずつ口に飴玉を入れて頭をなでてくれました。孫にも敬語をつかう栄一おじいさんは、おそらく孫の教育のためにそうしたのでしょうか」

写真4:鮫島氏が描いたイラストの写真。イラストは独特の味わいがある。
独特の味わいのあるイラストにはファンも多い。著書にもイラストがふんだんに描かれている

夫との別れと孫たちへの継承

 「結婚後ずっと元気でした夫は、1998年に食道がんと診断されました。夫は『私は手術をしたくありません。84歳になるまで十分楽しませてもらい、幸せで思い残すことはありません』と申しました。それから1年普段通りの生活を続けていました。やがて食欲が落ち、水しか喉を通らなくなりましたが、夫の希望どおり自宅で見送りました」

 夫の生前は明治神宮を1時間かけて1周散歩していたが、1人では半周となり、運動不足を感じ始めた。そこで太極拳やヨガなどを試してみたものの長続きはしなかった。そこで80歳のときに出会ったのが社交ダンス。音楽に合わせて体を動かすのはとても楽しい。

写真5:鮫島氏が毛筆ペンで一字一字ていねいに書く様子を表す写真。
毛筆ペンで一字一字ていねいに書く

 純子さんの生き方はお孫さんに確実に受け継がれている。鮫島弘子さんは青年海外協力隊でエチオピアに派遣され、帰国後、エチオピア産の羊皮を使用した高級バッグの会社を設立。日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門賞など受賞多数。これまでエチオピアの羊皮はイタリアのブランドに安値で買われていたが、これを独自ブランドに育てて現地により多く利益が上がるようにした。いわゆるフェアトレードと呼ばれる経済援助の方法だ。これを取材したある出版社の人が「そのような娘さんに育てた親に会いたい」と言ったところ、「影響されたのは祖母です」と答えたために、純子さんのところに取材に来たという。

 もう1人のお孫さんである鮫島圭代(たまよ)さんはフリーランスの美術ライター兼翻訳家で知られている。祖母の紹介で水墨画家の目黒巣雨に師事して浴衣のデザインなども手がけた。

 「感謝」の気持ちは、確実に人に伝播する力を持つ。

(2017年10月発行エイジングアンドヘルスNo.83より転載)

プロフィール

写真:インタビュアー鮫島純子氏。
鮫島純子(さめじますみこ)(東京都 エッセイスト)
 1922年(大正11年)9月26日、東京生まれ。祖父は日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一、父は栄一の四男で実業家の渋沢正雄。1942年に岩倉具視のひ孫の鮫島員重氏と結婚。男児3人をもうける。夫の退職後、夫婦で絵をたしなむ。10年余り、水墨画の目黒巣雨氏に師事。1983年から夫とともに朝の散歩を始め、荘医師と出会う。日常生活の中でできる健康法を実践して元気な毎日を過ごす。1999年に夫を自宅で介護し、見送る。
 著書に『あのころ、今、これから...』『毎日が、いきいき、すこやか』『忘れないで季節のしきたり日本の心』『子育て、よかったこと、残したいもの』『なにがあっても、ありがとう』『祖父・渋沢栄一に学んだこと』など多数。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌Aging&Health No.83

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