いつも元気、いまも現役(アイヌ文化伝承者・古布絵作家 宇梶静江さん)
公開日:2025年10月27日 17時11分
更新日:2025年10月29日 10時24分
こちらの記事は下記より転載しました。

アイヌであることを問い続ける92年
北海道白老町のJR白老駅近く、通りの入口で木彫りのシマフクロウが出迎える一軒の民家がある。ここがアイヌ学舎「シマフクロウの家」。アイヌ文化を共に考え、体験できる場である。
この学舎は、アイヌ文化伝承者の宇梶静江さんが2021年、88歳で関東から移住して開設した。1973年には東京ウタリ会を設立し、長年にわたりアイヌ民族の復権運動※の中心を担ってきた活動家であり、古布絵(こふえ)作家や詩人としても知られる多才な人物である。

アイヌ刺繍を施した鉢巻(マタンプㇱ)と羽織を凛と着こなす宇梶さんは、芯のある口調で、92年の歩みを語った。
※ アイヌ民族の歴史:1868年に明治時代が始まり、1869年に政府は北海道開拓のために開拓使を設置。北海道の先住民のアイヌ民族を「旧土人」と呼び、和人(日本人)との同化政策を進めた。1899年「北海道旧土人保護法」が制定され、狩猟や漁労といったアイヌ固有の生業を禁じ、農業への転換を推奨した。さらに日本語の使用を進め、アイヌ語を禁止したことで、口承によるアイヌ文化は衰退していった。この法律は、1997年にアイヌ民族出身の国会議員が誕生したことを契機に廃止され「アイヌ新法」が誕生するまで、100年近く続いた。
アイヌと知られないように生きる
1933年、宇梶さんは北海道浦河郡浦河町の和人(日本人)も混在するアイヌ集落に6人きょうだいの3番目として生まれた。戦時中の幼少期は貧困に苦しみ、小学校では厳しい差別を受けた。多毛であることや彫りの深い顔立ちがいじめの対象となった。幼い頃には「和人」と「アイヌ」を意識することはなかったが、学校での体験によってその違いが心に刻まれることとなった。
戦後、13歳のときには生活がさらに困窮し、中学校には進学せず、家業の手伝いや日雇い労働に追われる日々を送った。20歳で一念発起して札幌市内の私立中学に入学し、卒業後は友人に誘われて23歳で東京へ上京した。
「中学校を卒業しても、北海道ではアイヌということだけで職に就けません。何のために勉強してきたのかわからない。人間らしく生きたい。だからアイヌを封印して東京へ移りました」 27歳で結婚し、長女・良子さんと長男・剛士さん(俳優)をもうけ、二人の母親となった。そのころ宇梶さんの家は、上京してくるウタリ(同胞・アイヌの人々)の集まる場となっていた。
のちに国立市の公団住宅に移り住み、団地の人の勧めで詩作を始める。詩人・壺井繁治氏(作家・壺井栄の夫)から評価を受け、月刊誌『詩人会議』に詩を発表した。しかし、一番表現したかった"アイヌ"には触れられず、「アイヌをどう表現してよいかわからなかった」という。
ウタリたちよ、手をつなごう!
宇梶さんのアイヌの活動家としての歩みは、1972年38歳の頃、『朝日新聞』家庭欄へ「ウタリたちよ、手をつなごう」と呼びかけたことから始まった。
「自分がアイヌだと知られないように出自を隠して生きる。自分に対してこんなに愚かなことはありません。アイヌはいつも置き去りにされ、人権というものを認められない。仲間と一緒に何かを訴えなければいけない。共に語り合いましょうと呼びかけたのです」
しかし、この呼びかけに対する反応は決して一様ではなかった。賛同する人がいる一方で、「アイヌとして生きたいと思わない。放っておいてほしい」と怒鳴られることもあった。「私の呼びかけが、むしろアイヌの人たちを苦しめるのではないか」と宇梶さんは苦悩したという。
それでも、翌1973年、宇梶さんは仲間とともに「東京ウタリ会」を設立。「アイヌは諦めることから始まっている。ならば、私がやるのは諦めないことだ」と宇梶さん。都議会に何度も働きかけ「アイヌ実態調査」を実現するなど、アイヌ民族の復権運動に向けて尽力していった。
63歳、古布絵との運命的な出会い
「手をつなごう」と呼びかけて始まった同胞たちとの交流も理想にはほど遠く、数々の要望を行政に訴えても厚い壁に阻まれ、出口の見えない状況が続いた。25年近くが過ぎ、60歳を超えた頃には、宇梶さんの情熱に少し陰りが見え始めていた。そんな折、都内で開かれた北海道物産展でアイヌ刺繍に出会い、その美しさに心を打たれた宇梶さんは、基礎から学びたいと北海道ウタリ協会主催の刺繍教室に1年間通い、技術を身につけた。
63歳の春、着物の古布展に出かけた際、壁にかけてあったA4サイズほどの2枚の布絵に目を奪われた。
「布で絵を表現できることに驚きました。布でシマフクロウを描きたい、アイヌを表現したいと胸が高鳴りました。シマフクロウはアイヌにとって『村の守り神』。大きく見開いた目で村を守ると伝えられています。翌日本屋でシマフクロウの写真集を買い、ページを開いた瞬間、炎のような目で迫ってくるシマフクロウと目が合い、私も負けじと見返しました」
この体験をきっかけに、燃えるような赤い目のシマフクロウの布絵を完成させた。その赤い目には「アイヌはここにいます。私たちが見えますか」というメッセージを込めた。そして、古布とアイヌ刺繍を組み合わせた作品を「古布絵」と名付けた。

叙事詩を通してアイヌであることの喜びを知る
やがて宇梶さんは、アイヌの叙事詩(口承の物語)に独自の絵を付け、古布絵で表現し、絵本として仕立てるようになった。
「なぜアイヌの叙事詩を絵本にしたかというと、アイヌの精神性や文化を伝えたかったからです。物語を読むと、かつてのアイヌが蘇ってきます。明治時代からアイヌ語も生活習慣も、アイヌ文化のすべてが禁止されましたが、母がよく語ってくれた物語を通して、私はアイヌの世界で育ってきた感覚があります。物語そのものがアイヌの教育でした」
こうして3冊の絵本『シマフクロウとサケ』(福音館書店、藤原書店)『セミ神さまのお告げ』『トーキナ・ト』(いずれも福音館書店)を出版した。「一部の同胞から『アイヌの伝統を破った』と批判を受け、悲しい思いもしましたが、和人を含め多くの人が支援してくれました」と宇梶さん。その活動は高く評価され、2011年には吉川英治文化賞を受賞している。
古布絵と出会い、叙事詩に深く触れたことで、「アイヌであることの喜びを知った」と語る宇梶さん。これまでのアイヌ民族復権運動と表現者としての活動が交わり、新たな世界が広がっていった。日本各地をはじめ海外でも、講演や古布絵展を精力的に行い、アイヌ文化を広く伝えている。
アイヌが持つ力は世界を変える
「天から言葉がこぼれ落ちてきて、近くにあった紙切れに夢中で書き留めました」
2000年、宇梶さんは実に28年ぶりに詩作に取り組んだ。その後、2011年には「大地よ─東日本大震災によせて」を発表。30代の頃の詩では"アイヌ"を表現することはなかったが、古布絵や叙事詩から受けた大きな波動が、以後の詩作を強く後押しすることになった。
そして2020年、その後の活動の象徴となる詩「アイヌ力(ぢから)よ!」を発表する。
「『アイヌ力』はアイヌの精神性を表しています。私は長い間、胸を張って『私はアイヌです』と言えませんでした。清水の舞台から飛び降りる思いで、この詩を書きました」
アイヌ力よ!
アイヌよ
自分力(りょく)を出せ
アイヌが持つ力は 世界を変える
自分を出すは 自分力
自分力は アイヌ力
アイヌよ
大地を割って出るが如く
力を出せよ
アイヌ力を!
「アイヌを学問する」アイヌ学の立ち上げ
宇梶さんは2020年、書籍『大地よ! アイヌの母神、宇梶静江自伝』を藤原書店から出版し、多くの反響を得た。「遺言書を完成させたような思いでしたが、これで本当に終えてよいのかという迷いもありました」と宇梶さんは振り返る。そんなとき、「アイヌ学の確立はこれからではないか」という藤原書店の社長の言葉に背中を押され、2021年には関東から白老町へ拠点を移す。そこでを設立し、「アイヌ学」を立ち上げた。
アイヌ学とは「アイヌを学問する」という意味である。文字を持たないアイヌには歴史書が存在しない。だからこそ、次世代に向けて、アイヌも和人も共に「アイヌとは何か」を考え、語り合い、文化や精神性を共有する場を築き、学問として確立していこうとする試みである。
「アイヌの人々は、森羅万象、あらゆる動植物、人が使う道具に至るまで、すべてにカムイ(神)が宿ると信じています。目の前の四つ葉のクローバーにも、雨風から守ってくれる屋根にも。何ひとつ無駄なものはなく、それぞれに役割と意味があって存在しています。競い合いや争いではなく、助け合って生きる。自然を崇拝し、生かされている─それが私たちアイヌの生き方です。世界に存在するすべてに、アイヌの感謝の言葉『イヤイライケレ』を送りたい」

撮影:丹羽 諭
プロフィール

- 宇梶 静江(うかじ しずえ)
- PROFILE
1933年北海道浦河郡浦河町生まれ。20歳で中学に入学、卒業後上京し、1959年に結婚。1966年から『詩人会議』同人となり詩を書く。1972年『朝日新聞』に「ウタリたちよ、手をつなごう」と投稿し反響を呼ぶ。翌年「東京ウタリ会」設立。1996年63歳でアイヌ刺繍を学び、アイヌの叙事詩を古布で表現する「古布絵」(こふえ)を創作。古布絵作家の活動を評価され、2011年吉川英治文化賞受賞。2021年北海道白老町に移住し、を設立し、アイヌ学舎「シマフクロウの家」でアイヌ学を立ち上げる。2020年後藤新平賞、2023年アイヌ文化賞、北海道文化賞受賞。2024年地域文化功労者表彰。著書に『大地よ! アイヌの母神、宇梶静江自伝』『アイヌ力よ! 次世代へのメッセージ』(いずれも藤原書店)、『シマフクロウとサケ』(福音館書店、藤原書店)など。
※役職・肩書きは取材当時(令和7年10月)のもの
WEB版機関誌「Aging&Health」アンケート
WEB版機関誌「Aging&Health」のよりよい誌面作りのため、ご意見・ご感想・ご要望をお聞かせください。
お手数ではございますが、是非ともご協力いただきますようお願いいたします。