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第2回 お寺が消える

公開日:2017年10月30日 10時35分
更新日:2023年8月21日 13時06分

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授


 NHKのテレビで田舎のお寺が消えてゆくという番組をやっていた。
 過疎化が進み檀家が減って、採算が成りたたなくなったのが原因だそうだ。
 田舎の子供たちは都会へ出て行って帰ってこない。父母たちが年を取り、最後の砦のお寺までもがなくなってしまうということだった。
 お寺がなくなってしまったら、田舎の心は誰が支えるのだろうか。
 残された老婆のしわしわの顔も、腰の曲がったお爺さんもお寺が背景にあるから絵になるのだ。

 私は信州の伊那谷で育った。
 昔はお寺の和尚様がしょっちゅう村を巡っていたものだ。村は子供たちが群れていた。和尚様は子供たちを密かに監視していた。
 畑のスイカや庭のブドウは子供を素早く泥棒にした。「子供を見たら泥棒と思え」とその頃の大人たちは思っていた。だから子供は大人を見たら逃げる習慣がついていた。
 警察のことを巡査と言い、和尚様のことをおっ様と呼んでいた。戦争が終わったばかりの頃は泥棒が多かったので巡査は必需品だった。
 おっ様は巡査と違い子供を捕まえることはなかったが天の上から何でも見ているような気がしていた。
 葬式や法事は家で行われていたので、子供たちはおっ様に出会う機会が多かった。おっ様はお釈迦様のお使いであった。お寺の背後には中国からインドへ通じる道が通じている気配があった。
 死者はお経に乗って天竜川を渡り駒ケ岳を超えて天国へ行った。

 それからあっという間に時代が過ぎて、私は大人になり、故郷を離れて田舎の傍観者になった。
 1980年の初め頃、私は30代の半ばで、ニューヨークに住んでいたが、「お前の宗教は何だ?」とアメリカ人に聞かれることがあった。「仏教だ」と答えると「その宗教はどういう宗教だ?」と聞かれた。改めて聞かれてみると私は説明できなかった。
 多民族国家であるアメリカでは宗教は重大な問題なのだ。何回も「お前の宗教は?」と同じことを聞かれるので私は面倒くさくなって「キリスト教だ」と答えたことがあった。「何という宗派だ」とさらに聞かれた。キリスト教にはいくつかの宗派がある。そこまで深く問われるとは思っていなかった私はとっさに「浄土真宗だ」と答えた。田舎のお寺の宗派が「浄土真宗」であることを思い出したからだった。その時のアメリカ人は日本にはキリスト教の一派に「浄土真宗」という宗派があると今でも思っているに違いない。

 天竜川沿いにレンゲの花が絨毯のように咲いていたあの頃は、山の彼方に浮かぶ白い雲にも神様はいるような気がしていた。
 村のお寺が消えると私の神様も消えてしまう。

挿絵:老いをみるまなざし 第2回 お寺が消える

(イラスト:茶畑和也)

著者

写真:筆者 井口昭久先生

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

1943 年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007 年より現職。名古屋大学名誉教授。

著書

「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで ―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中で」(いずれも風媒社)など著書多数

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