健康長寿ネット

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第17回 いつもの顔

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授


若い頃は人の顔をじっと見つめることはできなかった。私の心の弱さを見透かされてしまうのではないかと思ったり、相手が女性である場合、好意を抱いていると誤解されたりしないかとか取り越し苦労をしたからである。
この頃は誤解されることはないと確信できるまで年老いたので、じっと相手の顔を見ることができる。
相手も私が誤解しないと勝手に思い違いしているせいで、じっと私の顔を見つめて平気である。そしてお互いに見つめ合っても何の融合も起きない。

人の老化は各臓器に同じに起こるのではなく各々の臓器によって異なる。長年会っていない老人同士が再会すると以前の印象と全く異なる顔に出会い、お互いにびっくりすることがある。
顔を形作る臓器がそれぞれ異なった老化をしているからである。
家具や機械は古くなっても形を変えることはないが、人の顔は目や鼻や唇が、連携を取らないで老化するので外観が著しく変形することになる。
古くなっても机は机で椅子は椅子で変ることはないが人の顔は机が椅子に変ってしまうほどに変化する。

それは外来の診察室での出来事であった。
患者の診察が終わって一段落したときに、隣から入ってきた看護師が私の顔を見て言った。「先生の顔がおかしい!」私は冗談かと思ったが、彼女はじっと私の顔をみつめて再び「おかしい!」と言った。
目の下が異常に腫れていて、顔が赤いというのだ。
それを聞いてもう一人の看護師も私の顔をのぞき込んだ。そしてやはり「おかしい」といった。私は少し心配になってきた。

隣から看護師が集まってきて4人になった。20代から40代の女性の看護師たちが顔を集めて私の顔を凝視した。4つの顔が私を中心にして集まり、四方から私の顔を見つめた。
彼女たちにとって私の顔をじっと見つめることは初めてのことだった。
彼女たちは口々に感想を言った。「むくんでいるにしては、目の下だけなんておかしいわ。」「先生、こんな顔してたっけ?」
私の顔をじっと見つめたことなどなかったくせに彼女たちは私の顔がいつもの顔と違うというのだ。

一人の看護師が「皮膚科の先生に診てもらおう」といった。
他の看護師たちも全員が「それがいい」と賛同して、私はその場から直接皮膚科の医師の所へ連行された。

皮膚科の医師は私の顔をじっと診察して「何もありませんよ」と言った。
私の目の下が腫れているのは老化のためで顔が赤いのは室温が高かったからだ。

私の顔を直視したことがなかった看護師たちが改めて見つめて見るとおかしいと思ったのだ。
私は看護師たちに言った。
「これが俺のいつもの顔だ!!」

図:老いをみるまなざし_第16回いつもの顔_挿絵

(イラスト:茶畑和也)

著者

写真:筆者 井口昭久先生

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。

著書

「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで ―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中で」(いずれも風媒社)など著書多数

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