第100回 連載100回に際して
公開日:2026年1月 9日 08時50分
更新日:2026年1月 9日 08時50分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
本エッセイへの連載が100回に達した。
私が定期的にコラムを書くようになったのは、20世紀の終わりに名古屋大学医学部の学友会誌へ連載記事を載せるようになったのが契機であった。
朝日新聞の中部版に連載を始めたのは2000年代の初めで7-8年は続いたと思う。
朝日新聞の連載が終わるころから毎日新聞の中部版に連載を始めた。4年続いた後に長野県版に4-5年連載した。
並行して「あじくりげ」というタウン誌にも連載した。
Geriatric Medicineと言う月刊誌のコラムも書いた。どちらも私の連載が10年続いた頃に廃刊になった。
連載記事をまとめて約2年半に1度本を出版してきた。
最初の出版が2004年であった。
19年間に8巻の単行本の出版であった。
現在の連載は健康長寿ネットのエッセイを月に一度、名古屋大学医学部の学友会誌に隔月の連載である。
そして私は現在9巻の出版準備をしている。
1冊の本にするには40本程度が必要であるので、締め切りのないエッセイを書き溜めることにした。
パソコンには書き散らされた文章が残っている。
文章を書ききるには覚悟が必要であるが、締め切りがないと、覚悟ができない。
締め切りを意識せぬまま原稿を書くと、先端が狭窄(きょうさく)していないホースの水まきのような文章になる。
勢いがあるままに最後まで書かないと優れた終わりにはならないようだ。
オバマ政権の医療保険制度改革を主導した医師で医療倫理学者のエゼキエル・エマニュエルが10年程前に発表したエッセイは、大きな反響を呼んだ。
「高齢の米国人がよぼよぼの状態で長く生き過ぎている」として75歳以上の延命処置は拒否すると主張している。
75歳を過ぎても活発で、物事に積極的に取り組み、また、実際にクリエイティブなままでいられる人は、非常に少数であるという。
何よりも、大多数の人々にとって一層重要な問題は、認知機能の生物学的衰退であり、本当に賢い人々を見ても、75歳を過ぎてから新しい書籍を執筆したり、自身が思想家としてトップを走れるような新分野を実際に発展させたりできる人は多くはない。
むしろ、長い間取り組んできた馴染みのある分野を、再び掘り返そうとする傾向がある――そうである。1)
今は2025年の12月である。あれほど暑かった夏が急速に冬に向かった。
我が家の向かいに雑木林がある。
この頃、雑木林をぼんやりと眺めて過ごす時間が多くなった。
何事をするにも時間がかかるようになった。
仕事に取り掛かるまでの空白が長いのだ。
前述のエマニュエルは「人生は、長くなった寿命を単に楽しむだけではだめである」と言っているが、私はもう少し寿命を楽しんでいきたいと願っている。
ホースの先端を絞って、できるだけ遠方に水しぶきを飛ばそうと思っている。

(イラスト:茶畑和也)
出典
- MIT Technology Review Japan「75歳以上の延命は不要」波紋呼んだ医療倫理学者がいま語る発言の真意」(2019年)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など