第94回 同郷の人
公開日:2025年7月11日 08時30分
更新日:2025年7月11日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
私が週に1回診療をしている桑名の病院で、56才の男性が母親の紹介状を書いてくれと言ってきた。彼は独身で認知症を患う母親と暮らしていた。
紹介状のあて先は信州の伊那にある医院にしてくれと言った。
伊那は彼の母親の生まれ育った所である。
母親は私の外来に30年近く通ってきていた。
私も信州の伊那谷の生まれである。月1回の診察の度に伊那谷の話が出た。
彼女が使う伊那谷に特有な言葉のアクセントに何とも言えぬ懐かしさを覚えたものだった。
私の「故郷に帰還しなかった後ろめたさ」が蘇るのであった。
彼女の診察を終えて帰路に着くとき、伊勢湾岸道路から鈴鹿山脈が見えると天竜河畔から望む中央アルプスを思い出した。
彼女は80歳で、嫁いで来てから50年になっていたが、いつまでたっても桑名に馴染めなかった。
季節の変わり目ごとに伊那へ帰っていた。
田舎の実家では弟一家がリンゴ農家を営んでいた。
帰ればいつでも温かく迎えてくれていたようだった。
農繁期には手伝いに駆り出されていた。
田舎の兄弟や隣近所の付き合いが彼女の生きる節目を作ってきた。
田舎に帰れば昔ながらの人間の付き合いが続いていると言っていた。
伊那谷は彼女のオアシスであった。
私に四季折々の伊那谷の雰囲気を伝えてくれた。秋にはリンゴを冬には天竜川のザザムシをお土産に持ってきた。
彼女は20歳で5歳年上の男と結婚をして桑名へ嫁いできた。夫は10年ほど前に亡くなり、息子と二人の生活が5年程続いた頃、彼女に認知症の症状が出現するようになった。
認知症は日常生活を送るには困難になるほど悪化していった。
ある日、冒頭に述べた息子が私の外来へきた。
母親を伊那の実家の近くへ帰すので医者への紹介状を書いてくれという要請であった。
母親の認知症は息子の手には負えなくなったようだった。田舎へ連れて帰って彼女の生家の人たちに面倒を見てもらおうと思ったのだ。
善良な田舎の人たちでもそんな話に乗ってくるとは思わなかったが、息子はすでに田舎の転居先も手配したと言っていた。
紹介先の医院も調べてあって、私の紹介状を待つだけになっていた。
母親が幼かった頃に生活した田舎に帰る。そこには天竜川があり駒ケ岳もある。
四季折々の景色は昔と変わらない。
親切な親類がいて母親の介護をしてくれるだろう。それが母親の一番幸福な暮らしである、と息子は思ったのだ。
身勝手な息子の要求に村人たちは拒否反応を示すだろうと思ったが、私は求められるままに紹介状を書いた。
数か月過ぎた頃に伊那の実家へ帰っている筈の彼女が病院の外来に現れた。
母親を帰郷させて親戚に介護を押し付けようとした息子の企みは失敗したようだった。

(イラスト:茶畑和也)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など