健康長寿ネット

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第14回 大丈夫、大丈夫

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授


食道がんは軽症から重症まで1期から4期に分類される。最も重症なのが4期である。私が食道がんと診断された時は4期であった。今から5年前のことだった。
癌が食道周囲のリンパ節に及んでいた。
手術による摘出は困難で、放射線治療と化学療法を試みることになった。
癌が縮小したら手術できる可能性はあったが治癒は困難であった。
現代はEBMの時代である。エビデンスに基づいた客観的事実を患者に伝える。
検査を受けた大学病院の病室で「あなたの現在の状態からは5年生存率は12.2%であります」と若い医者から説明された。生存率12.2%であるということは87.8%は5年以内に死んでしまうということだ。
それを聞くと、私は「生まれてからずっと運が悪かった」と思った。
5年以内に9割が死んで1割しか生き残れないのなら、1割程度の運のいい群に自分が入るとはとても思えなかった。
私の気力は萎えて、「どうせ死ぬのなら早く死んだ方がいい」と思った。
葬式を早く終わらせて、家族を日常の生活に早く戻してやりたいと思った。
私はせっかちな性格で問題を長引かせるのは嫌いなタイプである。
それにしても「葬式用の式服を新調しなければならない」などと思うが「そうか、自分の葬式には自分は出なくてもいいのか」などと思い直したりして、とりとめのない瞑想が始まった。

そこへ定年間近の教授が回診で回ってきた。私の顔を覗きながら明るい声で
「大丈夫だよ、井口さん!5ソンは1割もあるんだから!」と言って私の背中をたたいた。そしてもう一度「大丈夫」と言ってくれた。
5年生存する人が1割もいるというのだ。
私は元気が沸いてきた。私は「思えば運のいい男だった」と思い直すことにした。人生の中で数多の危険な目にあったが、ことごとくすり抜けて生きてきたなと思い返した。
今回も乗り切れるかもしれない。
私は葬式用の写真を用意するのを止めにしようと思った。

その後、私の癌は放射線と化学療法で消えて、手術の必要がなくなった。
今では発症から5年が経過したが、再発の気配はない。癌であったことを忘れていることが多くなった。

人は少しでも希望があれば生きていけるものだ。
私はこの頃自分の患者たちに、どんな時でも「大丈夫」と言うことにしている。
人間は死ぬまで、「大丈夫、大丈夫!」。

図:老いをみるまなざし_第14回大丈夫、大丈夫_挿絵

(イラスト:茶畑和也)

著者

写真:筆者 井口昭久先生

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。

著書

「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで ―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中で」(いずれも風媒社)など著書多数

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