第101回 全員スマホの時代
公開日:2026年2月13日 08時30分
更新日:2026年2月13日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
年末から年始にかけて京都へ行った。
1月1日午後5時、帰りの京都駅は混雑していた。
新幹線のホームは冷たい風が吹いており、発車まで30分ほど時間があったので待合室へ行った。
20名ほど収容できる室内に入ると満席であったが、暖房があり、風を避けることができたので立ったまま待つことにした。
国立大学にいた頃は毎週のように新幹線に乗っていたが私立大学へ移り75歳を超えると新幹線に乗る機会はほとんどなくなった。
久しぶりの新幹線ホームの待合室は人の声がしない不思議な静寂があった。
座席を見渡すと全員がアジア人らしかったが、日本人なのか外国人なのか不明であった。
手前に座っている人はスマホを見ていた。その右隣の人もスマホに触っていた。
部屋全体を眺めてみると全員がスマホを手に持っていた。
新聞を読む人はおらず、週刊誌を眺めている人もいなかった。
左側には30歳代と思われる女性とその夫らしき人が座っていた。
ふと見ると、夫はゲームをやっているようだ。
妻もゲームに夢中であった。
改めて周囲を見回して、現代の人間の話し相手はスマホであると知った。
新聞や週刊誌が売れるわけがないと思った。
10分ほど立っていたが空席が出来たので座った。
外国人らしい4人が大きな荷物を持って入り口のドアを開けたので寒い風が吹き込んできた。
大柄な男性2人と痩せた女性と中学生ぐらいの子どもであった。
室内を見渡して空席がないことを知っても強引に大きな荷物を4個持ち込んで入室した。
急に部屋が混雑して狭くなった。
静寂な室内で聞きなれない言葉で会話をした。
英語でも中国語でもなかった。
数分後4人がスマホを取り出した。
そして彼らもスマホに吸い込まれて室内から会話が消えた。
待合室の静寂とは裏腹に彼らの頭の世界はスマホによって混み合っているように思えた。
会話がないのに言語中枢はせかせかと活動しているに違いなかった。
眺めているだけの私は彼らの世界から疎外されてしまった。
17時30分発の新幹線はスマホの彼らと一緒に私を名古屋へ運んでくれた。

(イラスト:茶畑和也)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」「老いを見るまなざし―老いは神の呪いか恩寵か」(いずれも風媒社)など