第93回 メールが使えなくなった
公開日:2025年6月13日 08時20分
更新日:2025年6月13日 08時20分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
昨日からメールが使えなくなった。
コンピューターは普段通り使用できるがメール機能だけが使えない。
パソコン画面の指示に従いメールアドレスとパスワードを打ち込んでみたが、いつも出てくるメールの画面がでてこない。
数回繰り返すと「今日はここまで、明日またやりなさい」という指示が出た。
それが昨日のことだった。今日改めて繰り返してみたが同じ反応しか出てこなかった。
誰かに頼んで直してもらうしかない。こんな時には電気屋のお兄ちゃんが頼りになる。
いつものように彼の携帯電話に電話したが、今日は連休の初日だ。
彼も休んでいるのだろう。応答がない。
電気屋のお兄ちゃんは何時でも若いと思っていたが、息子がすでに社会人だそうだ。
私とコンピューターとのお付き合いは、その息子が生まれる前からだ。
しかし私のコンピューターに関する知識は全く進歩していない。
機械は進歩しているらしいが私は置いてきぼりになっている。毎日付き合ってきた機器の部品の名前も知らない。
コンピューターの上に置いてあるステレオより倍賞千恵子の歌う「白い花の咲く頃」が流れている。彼女の歌の世界が私に似合って無理がない。
それにしてもよくもここまで、何の知識もないのに、この複雑な機械と付き合ってきたものだと思う。
毎日何回も覗いていたメールが読めないと、一寸先が闇になった気分だ。
思いも付かない幸運が、メールに乗って届いているかもしれない。
降って湧いたような災難が私を襲っているかもしれない。
私の知らない世界は時々刻々と変化しているに違いない。
暴風雨の伊勢湾岸道路を走る時に、前方の車の尾灯が見えなくなってしまった時の恐怖を思い出した。
庭には木蓮の葉が朝日を浴びて輝いている。
向かいの雑木林には朝日が差し込んで風に揺れている。太陽がその上を悠々とまたいでいる。
あー私は、メールが使えないが故に、地球に乗って太陽を回れない。
ゆったりとした連休の朝を過ごせない。

(イラスト:茶畑和也)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など