第103回 ちょっとしみじみ思う
公開日:2026年4月10日 08時30分
更新日:2026年4月10日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
今年(2026年2月)本を出版した。
第9エッセイ集である。
最初の出版は2004年であったので22年の間に9冊の本を出したことになる。
最初の出版のきっかけは新聞の連載であった。
その頃、朝日新聞の中部版に毎月一回コラムを連載していた。
当時の朝日新聞社は活気があって毎年新聞記事の筆者を集めて忘年会を開催した。
連載が5年に達した頃、新聞社の記者が出版社の社長を紹介してくれた。
社長は私が病院長の間に本を出版したらどうかと勧めてくれた。
私は国立大学病院の病院長をしていた。
現役の病院長であれば本は売れるとその社長は思ったようだった。
私は勧めに乗って生まれて初めて本を出版した。
「ちょっとしみじみ悩み尽きない医者人生」と言う題であった。
出版社の社員が考案した題名であったが、言い得て妙の題名であった。
本は売れた。最初5千部刷って、4刷までいった。
総数で1万部は売れたであろうと思われるが正確には分からない。
味を占めて2冊目を出したのは国立大学を定年になって私立大学へ移ってからだった。
「鈍行列車に乗って」という題は自分で考案した。
内容を知らない店員が勘違いして「旅行」の棚に並べてあった本屋もあった。
社長の予言したように国立大学の病院長であるという「現役」ではなくなってから本は売れることはなかった。
本を出すまで出版業界についての知識を持っていなかった。
本は出版社から頼まれて書けば全国の書店に並べられて売れていくものだと思っていた。
しかしそう単純なものではないことが3冊目を出す頃より分かってきた。
私は新聞や雑誌に毎月エッセイを連載していたので3年も経てば1冊の本にするほどの原稿ができた。
その度に本にした。
その度に売れなかった。
そして、その度に私の所へ通院していた患者に配った。
患者の中には「今度の本はいつ出るんですか?」と催促する人も出てきた。
多くの人は貰った本は読まない。私も送られてきた本を読むことは稀である。
しかし、感想文を送ってきてくれる人がいることから想像すると、私の献本者の中には読む人もいるらしかった。
一日で全部読むのは勿体ないので一日に3話と決めて読んでいる、と言ってくれる人もいた。
最初の頃は1冊に70話程度載せていたが9冊目では40話に減った。だんだん字数が減っていくので編集者は、行間を広く開けて行替えを繰り返してページ数としては一巻と同じ程度の170ページにした。
スーパーの店員が肉の値段の高騰を秘匿するのに、値段を変えずに中身を減らしていく要領である。
最初の本に比べれば中身は3分の2程度である。
買ってくれるかも知れない読者に申し訳ないので、できるならタダで差し上げたいと思っている。
文筆業を商売にしなくてよかったと「ちょっとしみじみ」思っている。

(イラスト:茶畑和也)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」「老いを見るまなざし―老いは神の呪いか恩寵か」(いずれも風媒社)など