第106回 カルテ変遷
公開日:2026年7月10日 08時30分
更新日:2026年7月10日 09時33分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
私の自宅の書斎の机にはパソコンがある。
病院の診察室にもパソコンが置いてあり、カルテの記事はパソコンによって記載されている。
どこの会議に出ても机にはパソコンが据えられている。
私が医者になった1970年頃は、外来の診察室の机には煙草盆が置いてあった。医者が煙草を吸って煙を吐きながら患者を診ていた。
カルテは手書きであった。
ドイツ語で書かれていたカルテの多くは判読不能であった。
患者が見ても分からないように書いていた。
国立大学の教授になったのは1993年であったが、その頃になるとカルテは英語で書く医者が多くなっていた。
今世紀になってインフォームドコンセントが喧伝(けんでん)されるとカルテの記載は日本語になった。
医療事故の開示を世間が求めるようになって、誰が見ても分かるようなカルテにする必要に迫られたのである。
パソコンが外来に置かれるようになり、病棟業務にもコンピューターが配置されるとカルテは劇的に変化した。
パソコンを扱えない医師は患者を診れなくなってしまった。
いつの世にも先端技術の扱いを拒否して時代の機運に乗りそこなう哀れな人達がいた。
20世紀末までの医学部臨床の教授にはこの種の人が時折混じっていた。
ある教授はコンピューターの起動ができなかった。常に秘書を連れて行って起動をしたそうである。
美人秘書が同道するのでその教授には不倫疑惑がついて回った。
コンピューターを扱えないために外来患者の診察を辞めざるを得なかった教授もいた。
古き時代の「白い巨塔」の世代の教授たちはそうやって時代から篩(ふる)い落とされていったのである。
私は今でも外来患者を診ているが、パソコンを自由に操っているわけではない。
扱い方を看護師に聞いてその指示に従っているだけなので一向に覚えない。
看護師が傍についておらず、電子カルテの扱いに途方に暮れていると、見かねた患者が使い方を教えてくれる、という事態が出現する。
自宅に帰って久しぶりにパソコンの置いていない机に座った。
向かいの林の上を雲が渡り、針葉樹の葉が夕日を反射している。
風はなく雑木林の木々は自然の静止状態である。
デジタル環境を逃れて暫し安らぎの時である。
雲を眺めていると、信州の山の中の小学校から町の中学へ入った時のことが不意に浮かんできた。
ナイフで鉛筆を削ったときの匂いを思い出そうとしたが、蘇ることはなかった。
季節外れの鶯が鳴くのが聞こえた。

(イラスト:茶畑和也)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」「老いを見るまなざし―老いは神の呪いか恩寵か」(いずれも風媒社)など