第109回 私のエッセイ
公開日:2026年10月 9日 08時30分
更新日:2026年10月 9日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
私がエッセイを初めて書いたのは日本航空の社内誌であった。
私は大学の内科学教室の医局長をやっていた。
医局長は医局員のアルバイトを差配する権力者であった。私はその権力を悪用して名古屋支社の社医になった。
スチュワーデスに会えるのではないかと思っていたが、全くお目にかかることはなかった。
その顛末を日航の社内誌に載せたのが私の初めてのエッセイであった。
それ以来、毎月欠かさずにどこかの紙面にエッセイを書いて発表してきた。必ず茶畑さんに挿絵を付けていただいており、現在までに400編を超えた。
AIがエッセイを書くということを最近知った。
私の名前と課題をAIに与えると即座にエッセイが出来上がるらしい。
下手なエッセイは下手なりに私の文章を真似て書くのだろうか。
試してみたいと思ったが、私はその時から自分で書くのをやめるだろうと思ったので、思いとどまった。
危ない思い出に触らぬようにエッセイを書いてきた。
AIに書かせたら何を書かれるか分からない。
私への配慮はしてくれそうもない。
自分がどのように世間にさらされているのかネットで調べてみた。
「井口昭久」で引くと「井口昭久死亡」の見出しがあった。
死亡時刻や死因は記載されていなかった。
不意を突かれて、私は慌てて知り合いの弁護士に電話をして「記事を消してほしい」と言った。「何とかしてみましょう」と言ってくれたが、いつまでたっても消えなかった。
勤務先の病院の事務員に訴えたところ、「なんとかしましょう」と安請け合いしてくれた。
私は13年前に食道がん末期で死にそこなっている。
その時には「死にそうだ」という噂が意外に早く全国的に広がった。そして「死んだ」と確信した善人があちこちに出てきた。
奇跡的に生き残った私が目の前に現れると彼らは右往左往したものだ。生き返った人間に遭遇したことがなかったからである。
最近になって漸く生存が認められてきたところである。
今回で2度目だが、再度の死亡説では私は生き返れないのではないかと思った。
事務員のおかげで死亡記事は消えた。
数か月の間、私の死亡記事が載っていたと思うが、誰からも問い合わせはなかった。
世の中から見捨てられたと思ったが、死んだ人間に問い合わせはしないだろうと納得したところである。
死亡記事が消えて、今は安堵の時をすごしている。
書斎から雑木林が見える。
クヌギやコナラだそうであるが、似ている樹木が多く素人には判別不能である。
ネットに広がるニュースは雑木林の木々に似ている。
風が吹けば一様になびく。
雑木林の上空を飛行機が飛んでいた。
どうせ貨物便だろうと何故かそう思った。

(イラスト:茶畑和也)
著者

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」「老いを見るまなざし―老いは神の呪いか恩寵か」(いずれも風媒社)など