健康長寿ネット

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第2回 流行(はや)る「終活」に思うこと

公開日:2018年7月 6日 12時56分
更新日:2022年11月29日 13時08分

宮子あずさ(みやこ あずさ)

看護師・東京女子医科大学大学院看護職生涯発達学分野非常勤講師


商業的「終活」への違和感

 団塊の世代が70代に入り、「終活」についての話題が盛んに報じられている。先日もテレビで「終活」の見本市を見てびっくり。まさに商業的「終活」の集大成といった印象を受けた。

 広い会場は、たくさんの人たちで大賑わい。寝心地のよさそうな棺桶に入ってみる人やら、葬儀のガイダンスを受ける人やら。皆それぞれに、自分たちの死についての情報集めに熱心である。

 私はその様子を見て、強い違和感にとらわれてしまった。そして、「棺桶の寝心地など、どうでもいいではないか。死んでしまったらわからないのだぞ」と、テレビの前でぶつぶつ悪態をついたのである。

 ひどい言い方になってしまった。でも、なんか力の入れどころがずれている。そんなたまらない気持ちになったのだ。「終活」とは死への備えを産業化。所詮は商売という側面もあるのだから、冷静に見ることも大事なのではないだろうか。

 翻(ひるがえ)って、「終活」への熱意に、私は「思い通りに死を演出しよう」という強い意志を感じもする。しかしそれは以下の3つの点で、ほどほどにしたほうがいいと考えざるをえない。

  1. そもそもどんな死に方をするかはそのときにならないとわからない
  2. 死をつくり込むことよりも、楽しく生きることにエネルギーを注ぐ人のほうが見ていて気持ちがよい
  3. 死後の指示が細かすぎると、残る人間がかえって困る

 生きているときには思うようにいかないのが人生。だからこそ人間は、せめて死ぬときくらい自分が思ったように見送られたい。そう願うのは理解できる。

 しかし、思うようにいかない人生の幕引きもまた、思うようにはいかないのが世の常である。

私自身の死への備え

 一方で、いずれは必ず死ぬという現実を前にして、なんの備えをしないのも気がかりに違いない。備えるなというのも無理な話。実際、私も多少の備えはしていたりする。

 私の場合、一人っ子で、既婚。子どもはいない。両親が他界した今、夫が唯一の身内となった。初めに父が亡くなって墓を決めるとき、私が迷わず選んだのは、永代供養の墓であった。

 両親が眠る永代供養塔は、50年経つと収められた骨壺から骨が出され、土に戻される。それでも石に刻印された名前があるので、痕跡は残る。

 夫方の家にも縛りはないので、今のところ、私たち夫婦もいずれはそこに入る予定である。

 葬式については、残された片割れがやりやすいように、基本的には一任。やってもやらなくても、残ったほうが決めればよいと考えている。

 また、死後一番困るのは、遺品の整理だろうが、これについては「邪魔ならば全部処分してもらってけっこう、ほしければどうぞお持ちください」というのが基本的な姿勢である。

 仮に価値があると思ったものでも、もらう人にとって場所ふさぎかもしれない。誰かにあげる場合、「捨てても売ってもかまわない」と意思表示しないと、プレッシャーになると思う。

 少し前に、訪問看護でうかがっている80代の女性が、文学全集や冷蔵庫を甥や姪に残すと言っていた。意見を求められたので、やんわり私の考えを伝えたが、お気持ちは変わらない。

 人それぞれの考えだと思いつつ、やはり「お任せ」の姿勢でいくほうが、見送るほうも見送られるほうも気楽だなと再確認した次第である。

やはり助かる遺言状

 そして最大の備えは、遺言状。これに尽きる。母がこれを残してくれたおかげで、すべてのことがすんなりいき、それを実感した。

 母は父の死後、長い長いおつきあいだった22歳年下の男性と再婚した。私にとっては義父になるわけだが、何しろ私との年の差は10歳。私たち夫婦とは、母の死後も、よい関係を維持している。

 母の生前、彼に母の家を引き継いでほしいというのが、私や母の願いだった。母と彼は事実婚。心配もあったのだが、遺言状のおかげで、思ったように相続してもらうことができた。

 遺言状には、なぜそのように財産を分けたいのか、その理由が書かれていた。そこには、彼が多くの病を抱えた母に対して温かく接し、母もそれに対して深く感謝していた、敬慕の念に満ちた関係が読み取れた。

 私にとって母の遺言状は、単なる財産分けの指示書ではなく、母たちの関係性が読み取れる、かけがえのないテキストでもあった。

著者の両親のお弔いスペースに置かれた遺影とお鈴の写真。
両親の仏壇は母が暮らしていた家にあるので、私の家には遺影とお鈴(りん)を置いて両親のお弔いスペースをつくっている

 最後に、多くの患者さんの死を見送る中で、予想外の経過で亡くなる人もたくさんいらっしゃった。たとえば、私の父も、肝臓がんを長く患いながら、酔って転んだのがきっかけで骨折で寝たきりになり、肺炎で死去。がんのほうはまだ余力を残しての逝去だった。

 結局のところ、私たち人間は、どのように死ぬかはわからない。「死に方」にこだわりが強すぎると、予想外の転帰をとったときに、受け入れがたい気持ちが募るのではないか。そのことがとても心配になる。

 そして、「終活」で一番大事なのは、「人事を尽くして天命を待つ」という二枚腰の考え方。死に方にこだわるよりも、生きることに注力する。全部仕切ろうとせず、任せるところは任せる。これが賢明ではないだろうか。

 結局のところ、最も大事な「終活」は、遺言状と、「思ったようにならないこともある」とのわきまえ。これに尽きるといえる。

著者

写真:宮子 あずさ氏_写真

宮子 あずさ(みやこ あずさ)

看護師・東京女子医科大学大学院看護職生涯発達学分野非常勤講師

1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987〜2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。

 在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。

 井之頭病院訪問看護室(精神科病院)で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。

著書

『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600 人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ:ほんわか博士生活(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.86(PDF:4.3MB)(新しいウィンドウが開きます)

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