健康長寿ネット

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第1回 老いてはみなちょぼちょぼ

宮子あずさ(みやこ あずさ)

看護師・東京女子医科大学大学院看護職生涯発達学分野非常勤講師


精神科訪問看護で働く

 私は1987年から看護師をしており、その20年以上を精神科で働いてきた。総合病院の精神科病棟で13年働いた後、東京・多摩地区の精神科病院に転職。訪問看護室に配属されて丸9年が経った。

 業務の中心は、退院して自宅で暮らす利用者さんのお宅にうかがうこと。母体が長い歴史のある精神科病院なので、50年を超す入院歴を持つ方もいる。「自宅で暮らす」といっても、老人ホームまたはグループホームが自宅の場合もある。百数十人いる利用者さんのほとんどが生活保護を受けてのひとり暮らし。この仕事をしなければわからなかった世界を垣間見ている。

 50年を病院で暮らすというのは、本当に大変なことだ。国の政策として退院促進が進められる中、病院をあげて取り組み、かなりの成果を得た。

 例えば、バスの乗り方、電車の乗り方。自動改札は鬼門である。看護師が付き添い、練習して、住まいから病院まで確実に通えるように指導したという。

 こうした利用者さんの多くが統合失調症を患う。長い経過の人は、10代初めに発症し、70歳を超える。生活保護を受ける人への風当たりは強い。しかし、若いうちから精神を病み、学業も就労もままならなかった人に、どこまで多くを望めるのか。知れば知るほど、同情を禁じ得ない。

 一方で、利用者さんがみなわが身を嘆いているかといえば、決してそんなことはない。幸せそうな利用者さんは...と考えて、浮かぶ顔はいくつもある。

年とともに枯れる妄想

 ある女性は、自分が全能の神であると信じ、訪問する看護師に説教をする。「悪い奴から賄賂を受け取って、私を陥れようとしてもだめよ!」「私の怒りに触れたら、世界が終わるから!」

 自分が何かに脅かされている、との妄想があるわりに、常に正義は自分であり、常に強気。さらには、見た目も化粧はばっちり、本人も周囲も大変清潔。日常生活と妄想生活を両立させている姿は、完璧な二重帳簿のようである。

 これは曰く言いがたい感覚なのだが、私たちは彼女の家を訪問するのがとても楽しい。これこそ、不思議な世界に慣れた精神科で働く看護師特有の感覚なのかもしれない。

 ちなみに、彼女は60代。20代後半からの病歴をたどると、少しずつ病状が落ち着いているのがわかる。若い頃は、特定の肉親や近隣の住民をターゲットに、直接的な嫌がらせ行為に及んだ。

 例えば、特定の人についてのデマを紙に書きつけ、近隣のポストに入れて回る。人が歩きそうなところに画びょうをまく。自分に危害を加えたと言いがかりをつけ、大声を上げる、などなど。トラブルになり警察沙汰になったことも一度や二度ではない。

 それが、50代以降、警察とのご縁が切れた。妄想的な話は続いているものの、行動化は見られなくなったのである。「自分は神」という妄想自体は非常に現実離れしているが、現実世界での行動は明らかに落ち着いてきた。

 妄想は認知症でも出る場合があり、年を取ってから妄想にとらわれる人もいる。しかし、統合失調症の妄想は、加齢とともに治まる場合も少なくない。爆発的な妄想にはエネルギーがかかり、老いてエネルギーが枯れると、妄想も枯れるのである。

加齢は彼にほほえんだ

 先日、私が精神科病棟に移って間もなく関わった男性患者さんを街中で見た。20年ぶりに見るその人は、40代から60代に年を重ねていた。

 年を重ねて背が丸まり、以前のような覇気はない。しかしその分、穏やかな表情を浮かべた彼は、とても落ち着いて見えた。

 入院していた頃、会社員だった彼は復職を焦り、その都度不安定になっては無理矢理出勤。さまざまな悶着を起こし、退職を余儀なくされた。

 久しぶりに見るその人は、穏やかなお年寄り、という印象だった。以前のイライラした彼とは、まったく違う人に見える。のんびり街を流している彼は、笑みさえも浮かべている。

 穏やかな彼を見て、私は本当にほっとした。40代のとき、まわりは働き盛り。追いつき追い越せと、焦りも強かったに違いない。

 そんな彼も、今は60代。おそらく仕事をしていない彼だが、焦っているようには見えない。それはこういうことだ。60代になれば、すでにリタイアしている友人もいる。「働いていないのは自分だけ」と決めつけていたのが、定年後ぶらぶらしている友人を見れば、似たような人はたくさんいる。そのため、現状への焦りや引け目といったネガティブな感情が減り、穏やかになったのではないだろうか。

 その姿を見て、私は「ああ、加齢は彼にほほえんだのだな」と思った。積極的に年を重ねたい人は、そう多くないだろう。けれども、そうそう悪いことばかりではない。

 年を重ねればみなちょぼちょぼ。会社でえらくなった人も、えらくならなかった人も、組織を出てしまえば、若い頃ほどの差はつかない。

 老いてはみなちょぼちょぼ。自然にそう思える人が、一番強いのではないだろうか。

写真:宮子 あずさ氏が厚手の手袋にニット帽、ネッグウォーマー、ダウンジャケット、ダウンスカートを着込んだ写真.jpg
電動自転車で駆け回る訪問看護は夏暑く、冬寒い体力勝負の仕事。冬の防寒は見た目を気にせず着込んでいる。あまりに怪しい姿で職務質問を受けた同僚も

著者

写真:宮子 あずさ氏_写真

宮子 あずさ(みやこ あずさ)

看護師・東京女子医科大学大学院看護職生涯発達学分野非常勤講師

1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987〜2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。

 在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。

 井之頭病院訪問看護室(精神科病院)で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。

著書

『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600 人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ:ほんわか博士生活(外部サイト)(新しいウインドウが開きます)

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.85

Aging&Health(エイジングアンドヘルス)No.85(新しいウィンドウが開きます)

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