第80回 期待は魔物
公開日:2025年7月11日 08時30分
更新日:2025年7月11日 08時30分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
ナースコールで呼ばれて患者さんの所に行くと、頼まれ事が多く、そばを離れられない―。病棟ではよくある光景である。私が働く精神科病棟でも、こうした患者さんが時々いて、看護師が参ってしまうことがある。
もちろん、つらいのは患者さん。そうわかっていても参るのは、<キリがない><甲斐がない>という、2つの感覚にとらわれるからだと思う。
「自分で寝返りが打てない。向こうに向けてください」
「はい、これでよろしいですか?」
「ダメダメ。苦しい。やっぱりこっちに向けてください」
「はい。これでよろしいですか?」
「あ、トイレに行きたい。起こしてください」
指示に従って身体の向きを変え、細かい頼み事に応じていると<キリがない>。そしてようやく終わったかと思いきや、起きこしてトイレへ連れて行くのでは、あまりにも<甲斐がない>。やはりつらいのは、この2つの<ない>である。
動いたから尿意を催したのだよなあ、と自分をなだめてみる。実際そうだと思う。それでもなんか、気が収まらない。
看護師なんだから、ここはぐっと気持ちを抑えて、とがんばってみる。それでも、これが一日に何度も続くと、本当に泣きたい気持ちになってしまう。
家に帰って落ち着くと、あの人もつらいんだよなあ、としみじみ思う。20代の頃から、この気持ちの揺れは、基本的に変わっていない。そして、自分の態度を振り返り、イライラしているのがきっと伝わっていただろうと反省するのである。
それでも、60代になった今、さすがに20代の頃よりは、気持ちは抑えられていると思う。良くも悪くも、淡々と関われるようになってきた。
加齢によるエネルギーの低下は、確かに理由の1つだろう。喜怒哀楽の激しい感情は、明らかにピークが低くなっているように思う。
しかしそれ以上に大きいのは、患者さんへの期待を意識して下げられるようになったこと。この場面であれば、患者さんに、「楽になったわ。ありがとう」というような、ポジティブな反応は全く期待しない。
現状では、際限のない頼まれ事の中で、時間切れでそばを離れるのは、やむを得ない。酷なようだが、患者さんはその人以外にもたくさんいる。その人のところだけにつくわけにはいかない。
そして、実際一人になったらなったで、自分でなんとかしているのも事実。一人でもできることを看護師に頼み、そばにずっといてほしいというのが、その人の気持ちなのだと思う。
だからこそ、どんなに長い時間そばにいても、その場を離れる限り、患者さんは不満を表明する。うつが良くならない限り、満足はない。それが病状であると理解し、満足を求めないのが肝要なのだ。
落胆は、期待値と現状の落差で生じる。期待は魔物。心穏やかに患者さんと関わるためには、敢えて期待しない努力も必要になる。期待はせず、希望は捨てず。白黒付けない態度の大切さを再確認している。
<近況>
わが家の大事な家族・10歳のもふこが、ウイルス性角膜炎で治療を始めています。目薬2種類を1日6回、眼軟膏を1日4回。そして大きな錠剤を1日2回。これが3週間続き、効果が不十分ならさらに3週間続けることになっています。

光の加減によってわかりにくいのですが、右目全体が曇って、黒目がはっきり見えません。もともと右目は涙目で不調だったので、気づくのが遅れました。この写真だとわかるでしょうか。どうか効果が上がり、良くなりますように。ここは期待も希望も持ちたいと思います。 がんばろうね、もふこ。

著者

- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「本音のコラム」の13年 2010~2023(あけび書房)、「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: